忍者ブログ
あとーすログに引っ越しました!

LiteraTech風見鶏

Home > ブログ > 記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

今更だけど 養老孟司『バカの壁』を読んだ

2003年に刊行された新書ということは、もう十年ということになりますか。
そんな『バカの壁』を今更ですが読んでみました。
日本の頭脳を司る人の意見ということで、今でも生きている理論があるなあと感じました。

最も印象的だったのは、「個性」に関する考察でした。
僕らの世代は「個性」というものを持たなければならないと思ってきた。
しかし、それは本当は正しいことなのかという懐疑があるわけです。

『バカの壁』の一節を引いてみましょう。
 このところとみに、「個性」とか「自己」とか「独創性」とかを重宝する物言いが増えてきた。文部科学省も、ことあるごとに「個性」的な教育とか、「子どもの個性を尊重する」おtか、「独創性豊かな子どもを作る」とか言っています。
 しかし、これは前述した「共通理解」を追求することが文明の自然な流れだとすれば、おかしな話です。明らかに矛盾していると言ってよい。多くの人にとって共通の了解事項を広げていく。これによって文明が発展してきたはずなのに、ところがもう片方では急に「個性」が大切だとか何とか言ってくるのは話がおかしい。


共通理解がなければ人間は生きていくことができない、というのは僕も同意するところです。
例えば、僕らは殺人を犯してはならないという共通理解がなければ、殺人を犯してしまうかもしれない。現在はそれが法律として明文化されているけれど、恐らくこの法律がなくなったところで、人を殺す人というのはそれほど出現しないはずなのです。

ただ、個性というのもやはり大切だとは思うのです。
それは、先進的な考え方かもしれないし、後進的な考え方かもしれない。その両者の意見の議論の果てに、正解に近い何かが見えてくるのではないでしょうか。

また、僕は「常識」というのがとても怖いものだと思っている。
というのは、簡単に常識をふりかざす人が増えていると感じるからである。しかもその多くは、「常識」を「自分の都合のいい意見」だと解釈している。しかも、自分の都合の悪い時には、「人それぞれ」なんて言って逃げるのだ。

このような考え方は、なるほど「常識的に考えて」卑怯だと言うことができるように思うのだが、皆さんの意見はどうでしょうか?

『バカの壁』には、この他にも様々な興味深い記述があった。
確かに現代人は知らずしらずのうちにバカの壁を作り出してしまい、その考え方の中で生活してしまっているのかもしれない。

なんだか世界に生きづらさを感じている人は、もしかしたらこの本を読むことで何かが変わるかもしれない。もちろん、この本に書いてあることを信じるか信じないかは、あなた次第であるのだけれど。



関連記事
 →【接触/非接触の問題】男女混合スポーツをジェンダーとセクシュアリティの視点から考える
 →恋愛哲学を語ることの愚かさ 映画「モテキ」を観て
 →松山幸雄 『「勉縮」のすすめ』を読んだ
PR

「独壇場」は間違った書き方だった?!

彼はその舌鋒の鋭さによって、その場を独壇場としてしまった。

みたいな感じで、「独壇場」という言葉を使うと思います。
「どくだんじょう」と読みますね。意味は、ほしいままにするとか、独り舞台である、といったような意味です。

しかし、「独壇場」と書いて「どくだんじょう」と読むこれは、もともと間違ってものであるということを知っていましたか?

「独壇場」はそもそもは「独擅場」と書かれていました。
遠目に見るとなんとなくしか違いがわからないと思うので、少し大きくしてみましょう。

「壇」「擅」

前者は土へんで、後者は手へんという違いがあります。
土へんと手へんといえば、なかなか大きな違いがありますよね。
「堀」と「掘」を間違えてしまえば、あなたは非難されること必至でしょう。

前者の漢字の意味は分かると思います。「教壇」などの字で使われるように、一段上がったところや舞台を表す漢字です。

それでは、後者はどうでしょうか。
後者は「ほしいままに」と訓読みする漢字で、「独」と同じような意味を持つ漢字です。

つまり、そもそも「独擅」という熟語は「停止」や「柔軟」などと同類で、同じような意味の漢字を二つ重ねたものなのです。

一方、「独壇」の方は「壇」を「独」りじめする、とでも訓読しましょうか。
構成面から見ても、違う熟語になってしまっているわけです。

では何故、このような間違いが起こってしまったのでしょうか。
「堀」と「掘」は間違えたら非難されるのに、この間違いは容認されるに至った理由はどこにあるのでしょうか?

それは、「独壇場」という言葉が、「独擅場」という言葉の表すイメージに限りなく近かったからだと思います。

後者では、「場」をひとりじめにするというような意味です。
前者は「壇場」をひとりじめにするというような意味です。

僕らが「独壇場」というとき、それは「独り舞台」という風に換言できる場合がほとんどではないでしょうか。
ここに「独壇場」が容認されてしまった理由があるのだと考えられます。

この熟語については、辞書のほとんどは「独擅場」の方が正しいとしているようです。
しかし、もうほとんどの人が「独壇場」という風に使っているので、わざわざ正しい方を使うこともない気がします。もしかすると、奇をてらって知識をひけらかしているように見られているかも……?

しかし、このように間違いが容認されている言葉があることを理解し、正しい形を理解することは決して無駄なことではないと思います。


関連記事
 →likeとloveだけじゃない!英語で「好き」の表現いろいろ
 →「上には上がいる」は、間違った表現?
 →すぐに忘れてしまう人のために 「おざなり」と「なおざり」の違い

KANA-BOONのMVに出ていた岸井ゆきのが出演する短編映画「センチメンタルカラス」

岸井ゆきの。あなたはこの名前を知っているでしょうか?
この名前を聞いた事がなくとも、バンドKANA-BOONの楽曲「ないものねだり」のMVに出演していた女優といえば、知っている人も多いのではないでしょうか。

その岸井ゆきのが出演している短編映画「センチメンタルカラス」がYouTubeにて無料で観ることができます!

岸井ゆきのの声についてはKANA-BOONの「1.2. step to you」でお聞きになった方もいるかと思いますが、この映画では、演技をしている岸井ゆきのを見ることができます!

なかなか演技がうまいですね。もう少し登場シーンがあればいいのにと思うのですが。
個人的には、彼女の主演を見てみたいですね。飽きずに見ていられる自信があります。

さて、この「センチメンタルカラス」はどうやら「過去」がテーマになっているようです。
あなたには、過去に捨ててしまったものはありませんか? 
それは思い出だったり、パートナーだったり、夢だったりするかもしれません。

そういう、捨ててしまったものは何かと考えさせてくれるのがこの「センチメンタルカラス」だと思います。

無料で見ることができますので、是非ご覧下さい!



ついでに、彼女が出演しているKANA-BOONの「ないものねだり」と「1.2 step to you」も貼っておきます。
この二つのMVは連作になっていまして、前者後日譚が後者という形になっています。






likeとloveだけじゃない!英語で「好き」の表現いろいろ




「好き」の英訳というとlikeまたはloveがよく挙げられますが、その他にも多くの表現が存在しますよね。

その例を簡単にまとめてみました。



be fond of      (likeよりやや強い)好き

care about      気遣う、大切に思う
cherish       大切にする・大切に育てる

have a tooth    (食べ物が)大好物である

habe a crush on    惚れ込んでいる
be crazy about    夢中である

adore        敬愛・崇拝する
dote on        溺愛する

favor         好む・贔屓にする


どうだったでしょうか。
likeとloveだけでなく、シーンに応じて色んな表現を使えると良いですね。


「上には上がいる」は、間違った表現?



「彼は相当な金持ちだと思っていたけど、上には上がいるんだな」

「上には上がいるものだ」


こんな発言、耳にしたことはありませんか?

<ある人が秀でていると思っていたけれども、それよりも秀でている人の存在が明らかになった時>
などによく使われる表現ですね。

しかし、「上には上がいる」という表現は辞書に掲載されていません。

広辞苑などに載っているのは
「上には上がある」
という句。


「いる」も「ある」も一緒じゃないか、という人もいるかもしれません。

しかし「いる」というのは動くものが存在していることを指すため、人間も含めた動物以外には適さないですね。

一方「ある」は全てのものに対し、存在していることを表現できます。
ここだけ見ると、「上には上がある」の方が汎用性があり、且つ正しい表現と言えるかもしれません。


ところが一概にそうとも言えないのです。

お気づきの方もいるかもしれませんが、かつて全てのものに対して使うことのできた「ある」という言葉は、現代において静止物の存在に限定して使用するようになっているのです。

「私には親友がある」ではなく、「私には親友がいる」と言いますよね。
人に対して使うときは「いる」の方が自然なのです。

「上には上がいる」という表現は辞書にこそ載っていないものの、人を指す時に使いたい場合は、現代語として考えると間違いとは言えないかもしれないですね。






「上には上がいる」という表現について考えてみましたが、いかがだったでしょうか。

現代語としては自然かもしれませんが、使用の際には「上には上がある」という慣用句も頭に入れておくと良いでしょうね。


センター試験の奇跡 「Twitterに姿晒したやつが隣の席だった」

今日センター試験だという方もいらっしゃるかと思います。明日もありますので、頑張ってください!

さて、センター試験では様々な奇跡が起こります。毎年毎年、一ヶ月ほどはセンター試験関連のツイートが絶えませんもんね。

今回は、そんなセンターの奇跡となりそうな1万RTを達成した一連のツイートをまとめてみました。






最初のツイートはよくある感じの晒しツイートですが、その晒しツイートがその相手のもとまで届いてしまうとは……。うーん、Twitterとは恐ろしいものですね。

その後の投稿者の反応がこちら。



二人がセンターで高得点をマークし、無事に志望大学合格することを祈りましょう!

ウインナー・フランクフルト・・・ソーセージの違いって?

お弁当の具や、ちょっとしたおつまみとして人気のソーセージ。

スーパーの精肉売り場に行くと、「ウインナー」「ソーセージ」「フランクフルト」など様々な表記が目に飛び込んできますよね。


どれも似たように見えますが、その定義はどう異なっているのでしょうか?


本場ヨーロッパでは、

オーストリアのウィーンで作られたソーセージを『ウインナー』
ドイツのフランクフルトで作られたソーセージを『フランクフルト』
イタリアのボロニアで作られたソーセージを『ボロニア』

というように、産地ごとに呼称が異なります。


ところが、日本ではそうでないのです。

JASの規定では、充填する皮あるいは直径によってその表記の方法が変わります。


(1)皮の種類

羊腸 …ウインナー
豚腸 …フランクフルト
牛腸 …ボロニア

(2)直径

20mm未満      …ウィンナー
20mm以上36mm未満 …フランクフルト
36mm以上      …ボロニア


このような分類になります。

近年は人口の皮で作られることが多いので、製品のほとんどは直径によって分けられるようですね。

ちょっとした雑学として覚えておくと良いかもしれません。

すぐに忘れてしまう人のために 「おざなり」と「なおざり」の違い

「おざなり」という言葉と「なおざり」という言葉。
僕も未だに、どちらがどういう意味なのか覚えることがイマイチできません。
意味も似ていますし、字も同じ四文字がアナグラムになっているだけですし……。

他のサイトで見て使い分けは知っている!(つもり)の方もいるかと思いますので、忘れてしまってもう一度確認したいという方の為に、ここに書き記しておこうと思います。

まず、それぞれを感じで書くと
おざなり→御座なり
なおざり→等閑
となります。

漢字で書かれると字面が全然違うから分かりそうなもんですが、「等閑」を「おざなり」と読んでしまいそう……。

しかし、これをしっかりと覚えるためには、この漢字表記を生かして覚えるしかなさそうです。

「御座なり(おざなり)」というのは、その場(座)を成り行きに任せてしまうことです。
つまり、いい加減なことをしてその場を逃れようとすることです。

「等閑(なおざり)」は、何もしないことを表します。これを漢字から連想することは難しいので、「おざなり」の方を覚えてしまって、「なおざり」はそっちじゃない方という風に覚えた方がいいかもしれませんね。


例えば、「宿題をおざなりにする」と「宿題をなおざりにする」では、前者は適当にやってはいるのですが、後者は何もやっていません。
そのような違いがあるのです。

何か覚えやすい覚え方などありましたら、コメント欄にでも書いていただけるとありがたいです。もっとスパッと覚えられる方法ってないんですかねえ。

地産地消のメリットはここにあり。「フードマイレージ」という考え方

平成24年度の食料自給率は、カロリーベースで39%と、依然として低い水準のままで推移しています。

日本は経済大国なので食料を自国でまかなわなくても良いという考え方もあるかもしれませんが、国際情勢を見る限り、いつどこで戦争が起きてもおかしくはない状態。もし世界の状況が大きく変わったときに、日本国民は生きていくことができるのでしょうか?

また、食料自給率が低いことは、エネルギー問題や地球温暖化問題にも影響を及ぼします。それがよく分かるのが、「フードマイレージ」という考え方です。

農林水産省のホームページによれば、フードマイレージとは「英国の消費者運動家ティム・ラングが1994年から提唱している概念("Food Miles")で、生産地から食卓までの距離が短い食料を食べた方が輸送に伴う環境への負荷が少ないであろうという仮説を前提として考え出されたもの」です。

例えば私たちは大豆のほとんどをアメリカからの輸入に頼っているわけです。
地産地消の最たる例、自給自足を行うならば、庭先に実っている大豆を収穫してそれを加工するなり食べるなりすれば良いだけです。

ところが、これをアメリカから運んでくるということになると、まずは海まで輸送するために燃料が必要で、海をわたるためにも燃料が必要。もちろん、国内での輸送にも燃料が必要になってきます。

しかも、日本は工業立国ですから、食料を買うために、様々な製品を海外に輸出しています。この輸出にも、膨大な燃料がかかっているわけです。

地産地消をすれば、エネルギーを節約することができ、それに伴う二酸化炭素の排出も削減することができます。

僕は今までどうして地産地消をしなければならないのかとずっと疑問に思っていましたが、これでやっと納得することができました。

安いものやおいしいものを食べたい気持ちはわかりますが、これからの地球のことをかんがえるのであれば、極力地元でつくられたものを食べるようにしたいですね。

衒学とナンセンス 坂口安吾『風博士』を読んだ

坂口安吾を読んだのは、『堕落論』『続・堕落論』『青鬼の褌を洗う女』に続いて四作目であると記憶しています。

毎回違う姿を見せてくれる作家ですね。
もちろん、毎回違うという点は近代作家には共通するものがあるように思います。太宰はいつもとうって変わって「竹青」や「清貧譚」のような小説を書きますし、漱石だって、『坊ちゃん』「虞美人草』『三四郎』を通して読めば、本当にこれは同じ作家が書いたものかと疑うことでしょう。

しかし、『堕落論』を書ける安吾がこのような作品に走った理由、というのがよくわからない。
この表現は恐らく適当でないと思うのだが、その衒学的な文章からは森見登美彦を思い出した。つまり、森見的試みというのは、この頃からあったのである。

下らないことを拡張高く見せかけながら論じるというのは、衒学家の手法であるように思います。
衒学に意味がある、と言いましょうか。その雰囲気に酔うのです。

私の読みが足りないだけかもしれませんが、この『風博士』の内容にどれほどの意味がありましょうか?

これが森見登美彦であるとするならば、あんなものに意味なんてほとんど無いと思っています。
しかし、僕は森見さんの文章が好きです。それは、あの雰囲気に酔っているからです。

文学を言葉の芸術として突き詰めていくならば、このような作品はこの先もどんどん生み出されていくことでしょう。

未来の安吾・森見に僕は期待したいところであります。

日本語の不思議…「に」と「には」

日本語において、「に」と「には」には不思議な役割があります。
その例を少し見ていきましょう。

(1)私には夢がある。
(2)君にこの問題は解けない。

(1)の主語は何でしょうか。
日本語では、主語に続くのは「は」と「が」ですから、当然「夢」のはずですよね。

(2)を同じ要領で考えると、主語は「この問題」。

しかし、何か違和感を覚えませんか?
(1)の主語は「私」で(2)は「君」ではないだろうか、と。


日本語だけをじっと見ていても混乱してしまうので、同じ内容を英語ではどう書くか考えてみましょう。

(1)私には夢がある。
→I have a dream.
(2)君にこの問題は解けない。
→It is impossible for you to solve the problem.

(1)の主語は「I=私」そして(2)の主語は「It(無生物主語)」ですね。

(1)の場合、英語の文法に誤りはありません。
主語、動詞、目的語という基本的な文章です。

では、日本語ではなぜ「私」が主語にならないのか。
それはもちろん、「ある」という存在動詞を使っているからです。

存在動詞は特定のもの・ことが存在していることを表します。
「私には~がある」では、どうしても「私」に「ある」というイメージを抱いてしまいますが、「ある」が指すのはあくまで「~が」の部分。

文法上では、「私」が主語になることは有り得ないのです。

しかし「私」を主語のように錯覚してしまうのは、「〜には」が主語に近いニュアンスを含むからなのではないでしょうか。
ここが日本語の不思議なところですね。


さて、(2)の話に移りましょう。

英語では無生物主語を使っていますね。
しかし日本語ではそういう書き方をすることはありません。

そこで「〜に」に主語のようなニュアンスを含ませて、「解く」という動詞と対応させようとしているのです。

無生物主語をとらない故、文法的にはちょっと混乱してしまうこんな文章が生まれるのです。


いかがだったでしょうか。
これはあくまで私の意見ですので、何かアドバイスがあれば気軽にコメント・リプライ等いただけると助かります。

Android版Janetterが動かない人のために

僕はAndroidでTwitterを使うときにはJanetterを愛用しているのですが、今朝更新しようとしても呟こうとしてもエラーばかりが帰ってきます。

そして、数時間経った今も正常に動かないまま……。

これは何かおかしいと思ってJanetterの公式アカウントを見てみると、こんなことが書いてありました。



うーん、何が原因かも分からず、僕らもとりあえず待つしかないようですね……。

Janetterは、Twitterの認証限度に達しているためにこれ以上新規のアカウント登録ができないことを通告していました。

僕はこれを知らずに間違えてデスクトップ版のJanetterをアンインストールしてしまって、アカウント登録ができずに今とても苦労しています……。

もしかしたら、今回もこのことと関係があるのかもしれませんね。
JanetterがTwitterから締め出されるということが起こりうるのかも……。

Janetterを愛用していた方は、そろそろポストJanetterとなるクライアントを探し始めた方がいいかもしれませんね。

本塁打数日本記録を達成したバレンティン 逮捕

昨年60本のホームランを放って、王貞治の記録を破ったバレンティンが、アメリカのフロリダ州で逮捕されていたことがわかりました。

ソースはこちら→朝日新聞DIGITAL

何でも、離婚協議中の妻の家におしかけ、監禁したとのこと。
他の媒体でも同じような記事を確認したので、情報は確かかと思います。

僕は芸能人の不祥事にはそれほど興味がないのですが、スポーツ選手の不祥事というのは、少し気になるところがあります。

スポーツは健全な精神と肉体を育て、子どもたちに夢を与えるものですからね……。

まあ、昨年大記録を達成した選手だけに、本当に残念だなあと思います。
しかし、詳細がわからない状態にあるので、続報を待ちたいましょう。

apple開発中と噂の「iWatch」…スマートウォッチに望める機能とは



画像はvenestudioより


appleが開発中と噂のiWatch

時計型になっており、iPodやiPhoneと連携可能だと言われています。
世界各地で商標登録がされており、その存在はますます信憑性を帯びてきました。


さて、皆さん。
スマートウォッチと言えば、Sonyの「SmartWatch2 SW2」が現在人気を博しています。

その機能を見ながら、スマートウォッチに望めるものを考えてみましょう。


1.時計としての機能

スマートウォッチと言うくらいですから、やはり時計として使用できるわけです。
しかし当然ただの時計ではありません。

時間表示・タイマーといった機能は一般的な腕時計にも見られるとこが多いですが、特筆すべきはアラーム機能。

このSmartWatch2 SW2では、一週間の内で通知日と通知時間を指定することができます。

通知はバイブレーション。
着けてさえいれば気づかないということはまず起きないでしょう。


2.通知ツールとしての機能

SmartWatch2 SW2ではメールや電話の通知を行えます。
電話はスマートウォッチを使って応答することも可能。

自由な文字入力はできないようですが、定型文によるメッセージの返信も行うことができます。

設定次第では指定のアカウントのツイートを通知してくれる機能もあるそうで。

しかし、やはり機能としては通知が中心ですね。
スマートフォンと合わせて持つことが重要です。


3.音楽プレーヤーとしての機能

SmartWatch2 SW2は、ペアリングしたスマートフォンに保存されている音楽を再生することができます。
曲の切り替えや早送りも可能。

そして専用アプリをインストールすればWALKMANなどの音楽プレーヤーとの連携も可能に!
うーん、ほ、欲しい…。

これさえあれば、いつでも手間いらずに音楽の再生ができるようになりますね。


以上、SmartWatch2 SW2の機能を見ていきましたが、いかがだったでしょうか。
スマートフォンのアクセサリーとしてはかなり魅力的ですよね。

開発中のiWatchが、既存のスマートウォッチとどう差別化を行うのかにも注目です。


関連記事
 →ウェアラブル端末の最先端は中国か?! Andoroido搭載1.6インチ「Goowatch」


松山幸雄 『「勉縮」のすすめ』を読んだ

朝日新聞社から出ている松山幸雄氏の『「勉縮」のすすめ』を読みました。
氏は旧制高校で青春時代を過ごし、東大法学部を卒業後、朝日新聞に入社。政治外交が専門であるが、この本では、日米の教育の違いに焦点が当てられている。

本書のタイトルにある「勉縮」とは何を指しているのだろうか。
もちろん、勉強をしなくても良いということではない。しかし、氏が日本人に「あまり勉強をしすぎるな」と言いたいことは確かである。

日本人は受験戦争に対応して詰め込み教育を強いられている、というのは現代も言われることであるが、この本の中でもほとんど同じようなことが書かれている。
ちなみに、この本の初版は昭和56年である。数十余年経って、日本が前進しているなあということを実感することはできない。

もちろん、日本政府だって対策を怠ってきたわけではないだろう。
その結実が、いわゆる「ゆとり教育」であったと言える。
しかし、このゆとり教育は失敗に終わった。さらに学力の低下を招くという事態を招いてしまった。

日本の何がまずかったのか、私には何とも評することができない。
ただ、その間違いを指摘するような論点が、この『「勉縮」のすすめ」に隠されているような気もしている。


本書は教育の重要性というのを、様々な角度から捉えている。そしてそれは、主に日米との比較の中で語られる。
例えば、ユーモアについて、女性への態度について、酒との付き合い方について、などなど、本当に多岐に渡ってる。

日本人は往々にしてユーモアの精神に欠けている。それに代わって、上司の太鼓持ちをする精神に長けているのだ。
そのような鋭い指摘が、この本の中には散りばめられている。

ユーモアの精神に欠けているということは、すなわち教養がないということではないかと私は思う。
そして、氏も日本で教養人をつくりだすことの重要性を説いている。

教養人とは何であるか。そこに「勉縮」という概念が必要なのだ。
確かに、日本ではゆとり教育が失敗した。しかし、だからといって詰め込み型の教育にまた戻れば良いとは思わない。

もっと、勉強時間を維持しながらでもできることはあるはずだ。
例えば、テレビを見る時間を減らすだとか。

クリエイティブな感性を養うのにテレビが不要だと私は思わない。
人を楽しませるということについてブラウン管の向こうの人々は一級の技量を獲得しているといえる。
彼らには「ユーモア」があると言ってもいい。教養があるようにも思う。

しかし、やはりそれだけではいけない。
テレビを見ることはやはり(乱暴な言い方になるが)「低俗」なことであると言わなければならない。

「低俗」なことも必要であるが、それとバランスを取るために、「高級」なことも必要なのではないだろうか。

例えば、化石の研究をしてみたり、植物の名前を知ろうと努めたり、先人の教えに感動したり、などだ。
このような高級な試みが、教養人を生み出すように思う。

ただ、私はこれをある程度の自虐をこめて言わなければならない。
何故かといえば、このようにブログを書くなどと言う行為は、やはり「低俗」と言わざるを得ないからだ。

しかし、私は低俗の必要性がないとは言っていない。
人生を円滑にするためには、低俗なことも必要なのである。みなさんの息抜きのために、僕の低俗な作業がお役に立てれば、これほど光栄なことはありません。

なお、氏はこの本の中で「差別用語」やジェンダーの問題についても取り上げられていました。
それについて過去にいくつか記事を書いていたので、ご参考までにお読みくだされば幸いに思います。
 →読みやすい文章とは何かを考える 「差別的表現」
 →【接触/非接触の問題】男女混合スポーツをジェンダーとセクシュアリティの視点から考える


読みやすい文章とは何かを考える 【まとめ】

「文章について考える」ということで三本の記事を書いてみました。
全体を通して考えたことも含めて、まとめてみたいと思います。


第一回 「ら抜き言葉」
 →読みやすい文章とは何かを考える「ら抜き言葉」

ら抜き言葉についてはこれまでも考えたことが幾度もあり、それがこの記事を書くきっかけとなりました。
個人的にはら抜き言葉は許容される言葉だと思っているのですが、確かに読んでいてら抜き言葉が気になる場面があることも事実。

三回全体を通して言えることですが、その言葉を誰に向けて書くか、どう思われたいか、というのは重要なことだと思います。


第二回 「差別的表現」
 →読みやすい文章とは何かを考える 「差別的表現」

差別は絶対に許されないことです。
しかし、差別的表現というのは、文章を書いたり読んだりすることを円滑にするうえで、ある種仕方のないところがあるのかもしれません。

英語のtheyをわざわざ「彼・彼女ら」という風に訳さなければならないのか? ということです。小さなことから変えることで意識は改革されるのかもしれませんが、現状としてはこのような小さな差別的表現を使うのは便利であると思います。


第三回 「ネットスラング」
 →読みやすい文章とは何かを考える 「ネットスラング」


最後に、ネットスラングについてかんがえてみました。
とりとめのない文章になってしまい、申し訳なく思っています。

ただ、本当に「寒い」という感じを取り除くことに執念を燃やす必要がるということは、ひしひしと感じております。

新しいことを生み出すためには、陳腐だと思われることを一切排除しなければなりません。



とまあ、こんな感じで三記事書いてみました。

文章をどう書くべきかということは、これからもずっと考え続けねばならないと思っています。
なので、何かご意見などありましたら、是非ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

読みやすい文章とは何かを考える 「ネットスラング」

読みやすい文章を考える。第三回は、「ネットスラング」について考えていこうと思います。

なお、僕が思うネットスラングと皆様の考えるネットスラングには多少の開きがあるかもしれませんが、その辺は最初にご了承ください。

また、今回はブログやTwitterなど、軽めの文章について考えることが主になるかなと思います。


早速本題に入りましょう。
まず、主なネットスラングって何があるのかなあと考え、とりあえず検索して拾ってきてみました。

w(笑いを表すネットスラング)、kwsk、wktk、○○奴ww、微レ存、密林、虹、小並感、○○な件、etc...


他にも、一人称を「ワイ」だとか「漏れ」という風に書き表すのもネットスラングということができるでしょう。

これらネットスラングには、流行り廃りがあります。
今時wktkなんて使う人は滅多にみませんし、「○○な件」という言い回しも少し古くなってきたかなあという感があります。

これらの言葉を「時代遅れ」とみなす人々にとっては、これらのネットスラングは「寒い」と思われてしまう危険性があります。

自分の気に入っているフレーズは別として、僕も「今更こんな言葉使う人いるんだ……」と思う言葉がいくつかあります。

そのような言葉は、一つあるだけで文章全てをダメにしてしまう危険性があります。
適度に使えば、読みやすい文章になってネットスラングは便利なものなんですけどね。

例えば、笑いを表す「w」はかなり市民権を得ていて、(笑)よりも使い勝手がいいような気がします。
文章に簡単に変化を加えることができるので、便利ですよね。「!」や「?」と同じような感覚で使っている人も多いと思います。


「寒い」と思われない文章を書くためには苦労することが多いなあとネットスラングについて考えると本当に実感します。

Twitterでは、いわゆる「華麗なる公式」というものが流行りましたね。
あれも当時は話題性があってよかったのですが、今ではもう「寒い」感じが否めないのは僕だけでしょうか?
ネットスラング(というかネットで流行っているもの全般)を取り入れてネットで広報活動をするのはいいのですが、いささかネタが古い気もしています。

そんなんい新しいネットスラングが頻繁に生まれるわけでもないので、陳腐化するのは当たり前なんですけれどね。


と、なんだかとりとめのない文章になってしまいました。
まとめますと、ネットスラングを使うときはちょっと考えてみよう!ということです。

これで、三回にわたる「読みやすい文章について考える」は終わります。
尻すぼみになってしまった感が否めませんので、また考えがまとまりましたら、もう一度投稿してみたいと思います!

ビリケン様って大阪生まれの神様じゃないんだ……

大阪通天閣のマスコットキャラクター的存在(といったらバチがあたるかな?)であるビリケン様。
足の裏を掻くとご利益があるとされていて、僕も大阪にいったら絶対に触ってやろうと画策しています。

さて、このビリケン様。僕はずっと大阪で生まれたもので、大阪土着の神様なのだと思っていました。
しかし、どうもそうではないらしいのです。


ビリケン様はアメリカ生まれ
ビリケン様を制作した人は、なんとアメリカ人だったのです!
1908年、アメリカの芸術家フローレンツ・プリッカが初めてこのビリケン様の像を作りました。

確かに、ビリケン様はアメリカンな顔をしておられるような……気がしなくもないですね。

などと適当なことを書いていたら、顔はアジア人をモデルにしていたことが判明。
ううむ、しかしこれをアジア人顔というのも侮辱されているような気がするのですが。まあ、外の人から見たアジア人なんて、こんなものだということなのでしょう。いや、決してビリケン様をブサイクだと言っているわけではないんですよ?!

ちなみに、現在通天閣に飾られているビリケン様は三代目。
2012年に、通天閣100周年を記念して新調されたということ。

お腹の中には金のビリケン様が入っているんですって!
腹を割いて中身だけ持っていく不届きな輩がいないか心配ですね……。

懐かしの小学校算数「真分数・仮分数・帯分数ってなんだっけ?」

学校で習ったものの中には、その後ほとんど使わないものがありますよね。
特に算数・数学にはそのようなものが多いという実感を持っている方も多いのではないでしょうか?

僕も大学受験のときに微分積分やらベクトルやらやりましたが、もうほとんど覚えていませんし、これから使うこともないでしょう。

うーん、なんだか時間がもったいなかった気もしますが、まあこれも人類の知識の累積の一旦を担うと考えれば、妥当なことなのかもしれません。


さて、そんな算数・数学ので習ったことのなかで僕が最も「あれはなんだったんだろう……」と思うのが、今回お話する「真分数・仮分数・帯分数」です。

この記事は僕のPCで入力しており、入力システムにはBaidu IMEを使用しているのですが、「しんぶんすう」とタイプすると「新聞数」と表示されてしまいます。(仮分数と帯分数は、そのままでもちゃんと変換できました)

つまりそれだけ忘れられている存在というわけなのです。
それでは、まずはこの三つがどういったものなのかを振り返ってみましょう。


真分数
真分数というのは読んで字のごとく、真の分数のことです。
そもそも分数というのは1より小さい数を表すために作られて概念ですので、分母が分子より大きい分数のことを真分数と呼びます。

仮分数
一方、分母よりも分子の方が大きい(つまり1より大きい)分数のことを仮分数と言います。

帯分数
帯分数は、左側に整数を伴う分数のことです。
仮分数から帯分数にする問題をよくやった覚えがあります。


さて、一番疑問に思うのが、この帯分数というやつなんですよね。
中学校でも、高校でも、数学をやる上でこの帯分数というやつを使った覚えがないんですよね……。

だから、あれは何の意味があったのだろうかと今疑問に思っているところです。
もちろん、分数がどんなものかということを理解するために、あの勉強は役に立ったとは思うんですけどね。

皆さんも、学校の勉強で「これは勉強して意味あったのかな……」と思うことがあったら、是非教えてください!

元素記号には使われないアルファベットがあるって知ってた?

みなさんこんにちは!

さて、今回は雑学をお届けしてみようかなあと思います。
タイトルの通りなんですが、みなさん、元素記号には使われないアルファベットがあるって知ってましたか?

元素記号と聞くと、高校時代を思い出します。
水兵リーベ、僕の船。七曲りシップ、クラークか。
……あとは思い出せないですねえ。

水素はHで、酸素はO、窒素はNで、銀はAg
このように、元素記号には様々なアルファベットが使われています。

しかし、二つだけ使われていない元素記号があるのです。
さて、それはなんでしょう?




正解はですね……JとQです!
しかし、逆に言えば他のアルファベットは全て使われているということで、それはそれですごいことのような気もします。

ちなみに、w,x,zの三文字も、小文字としては使われていないようです。
大文字として使われているのも僕は見たことないですけどね……。あ、Zは見たことあるような気も。

今Wikipediaの元素記号のページを見ながらこの記事を書いているんですけれど、水兵リーベのあとはわかんないですね。

というか、なぜか頭の中で、「七曲りシップスクラークか」の後に「うゐのおくやまけふこえて」という風に続くんですが、どうしてなんでしょうか。
うーん、確かに語感は良い気が……そうでもないか。

三文字で構成されている元素記号もあるんですね。
Uut、ウンウントリウム。出オチ感がはんばない名前やなあ。
しかも平均寿命が2ミリ秒って書いてあります。ひええ、こんなのつくってどうするつもりなんやろ。

なんだか、元素記号を一つひとつ見ていくと面白そうですね!
元素記号botつくろうかな……。
と思ったら、やっぱり既出でしたね→元素記号bot

でも、もう少し説明を加えるbotがあったら面白そう!
化学履修してたなら、もう少し気軽に作成に乗り出せるんですけどねえ。

ネコ科の特技で、チーターにだけできないこと

僕はどちらかといえば猫が好きです。
でも、近所の猫は警戒心が強いのか、なかなか僕の方に寄ってきてくれないんですよね。
いつか鰹節で釣ろうと思ってるのですが、都合よく鰹節を持っているというとき、というのがなかなかありません。

さて、今回はそんな猫とその仲間たちのお話。

猫の特技といえば、一体なんでしょう?
高いところから落ちても怪我をしないとか、夜でも目がよく見えるとか。

まあそれもそうなのですが、今回話題にしたいのは、猫の「爪をひっこめることができる」という特技。

そもそもそんな特技どこで使うんだよ……と思ったので、調べてみました。
なんでも、爪を出し入れすることによって、爪の鋭さを保っているよう。

さすが能ある鷹は爪を隠すといいましょうか。いや、猫なんですけどね。
優れた野球選手はいつだってグローブの手入れを怠りませんもんね!たぶん!それと同じなんでしょうね。


チーターだけは爪をひっこめることができない
この爪をひっこることができるという特徴、ネコ科の動物全般にいえることでして。
ライオンだってヒョウだって、爪をひっこめることができるわけです。

しかし、そんな中で爪をひっこめることができない動物がいるのです。
それが、チーターです。

どうしてなのだろう。なぜチーターだけなのだろう。
チーターは脚が速いので、爪が鋭くなくてもその身体能力のみで獲物を捕まえることができるからかもしれません。

しかし、能ある野球選手は果たして優れた身体能力があるからといって道具をおろそかにするでしょうか?
弘法は筆を択ばず、と言いますが、それにしても爪は体の一部です。それを守らないというのは一体どういう了見なのか!!

……なんだか熱くなってしまいました。
自分は爪をひっこめることができないくせに、チーターを責める権利なんてありませんね。



カラットは大きさの単位ではない

カラット、という言葉をご存じでしょうか?
まあ、タイトルでだいたい何を書くのか想像のついた方もいると思いますが、最後まで付き合ってくださいよ!

一般的に、カラットという言葉はダイヤモンドなどの宝石を扱うときに使う言葉ですね。
「100カラットのダイヤモンドが欲しい!」なんて子供のころに言ったことのある方も多いんじゃないですk……多いかな?

まあ、そんなことは置いといて。
実は、カラットというのは「大きさ」の単位じゃなくて、「重さ」の単位なんですよね。
テレビの司会者が「なんとこのダイヤ、○○カラットで~す」なんて言うから、僕も昔はてっきり大きさの単位なのかなあと思ってたんですけどね。

まあ、重けりゃ大きさも大きくなるんで、別に大きさの単位だっていってもあながち間違いではないような気もするんですけれどね。
ただ、「カラット」ってなんだかダイヤモンドの輝きの度合いを表すような言葉にも思えますよね。語感が、と言いましょうか。まあ、日本人だけなんでしょうけれども。ていうか、僕だけ?!

ちなみに、1カラットは0.2gなのだそうです。
じゃあ、10カラットのダイヤモンドですというのではなく、1gのダイヤモンドですと言えばいいのに。

でも、1gのダイヤですじゃ恰好つかないですよね。
グラムではなくカラットで言い表すのは、もしかして宝石業界の陰謀なのではないかという気がしてきましたよ、私は!



金の純度の単位も「カラット」


ちなみに、金の純度の単位もカラットといいますね。
金の純度の方がkaratで、宝石の重さの方がcaratです。

これは金の純度を24分率で表したもので、純金は24カラットです。
これを24Kという風に言い表すのですが、日本では24金という風に「金」を使って言うことの方が多いですね。

Twitterアカウントを用いた動画サービス、「ツイキャス」「Vine」の魅力

この頃、若い層を中心に、Twitterアカウントを用いた動画サービスが人気を博していますね。


その代表が「ツイキャス」そして「Vine」。


一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?
芸能人や企業等もプロモーションのためによく利用しているようです。

さて、この2つのサービス。
一体どこに魅力があるのでしょうか?

今回は2つのサービスの特徴から、人気の秘密を探ってみたいと思います。


その1 登録の手間が省ける


この2つのサービスの魅力といえば、やはり「Twitterのアカウント」さえあれば利用できるという手軽さでしょう。

Vineはメールアドレスで会員登録することもできますが、アカウント保持者は登録の手間が省けるので嬉しいですよね。




Vineログイン画面

逆に言えば、それだけ若者が使っているということですよね、Twitter・・・。
うーむ、恐るべし。



その2 素人でも気軽に使える

ここ数年って急激に動画のクオリティが上がったように感じませんか?

動画編集を専門にする人、イラストを描く人、音声を調整する人…様々な役割分担により、以前よりも質の良い動画を量産できるようになりました。

でも、誰にでも技術や人脈がある訳ではないですよね。


「youtubeやニコニコ動画にupするほどじゃないけど、自分も動画を配信してみたい…。」


そのように感じる人に重宝されるのが、ツイキャス及びVineなのではないでしょうか?

ツイキャスは生放送をするだけ。
Vineは6秒分のループ動画を撮るだけ。(最近は編集もできるようになりました)

公開もボタン一つで楽チンです。

確かに質はそれほど高くないかもしれませんが、参加のしやすさというのは大きなポイントになるでしょう。


その3 共有が楽

youtubeやニコニコ動画に投稿してみても、「面白いアイデア」あるいは「高いクオリティ」、そして「知名度」がないとなかなか見てもらえませんよね。

一方のツイキャスとVineは、主な公開場所がTwitter。
つまり、少なくともフォロワーには見てもらえるわけです。

また、「身内だけで共有したい…」という人もいるでしょう。
そのような人にはむしろ後者のほうが好まれるのではないでしょうか。

非公開アカウントなら基本的に拡散されることはないですし、反対にどんどん広めたい時はリツイートするだけでOK。

そんな公開範囲の自由度の高さ、共有の手軽さも魅力の一つですよね。




皆さん、どうでしたか?

まだ使ったことのない人はぜひ「ツイキャス」そして「Vine」を試してみて下さい。



読みやすい文章とは何かを考える「差別的表現」

さて、読みやすい文章とは何かを考える第二回目ということで。
この記事では、「差別的表現」について考えていこうかと思います。

差別的な表現というのは、もちろんなるべく使われるべきではありません。
しかし、差別的表現にも色々な種類のものがあります。

例えば「めくらめっぽう」というような言葉を見かけるときがありますが、これも差別的な表現なんですよね。

「めくらめっぽう」は「盲滅法」と書きます。
何の見当もつけずに行動することを言うのですが、ポイントはこの「盲」という言葉。
これが視覚障碍者を指す差別用語とされているんですよね。

なので、盲滅法という言葉も差別用語になるっちゃあなるんですよね。
ただ、盲滅法という言葉で「めくら」を想像する人がどれだけいるのでしょうか。

そういえば高校生のときに読んだ芥川龍之介の『羅生門』では
「永久におしのごとく黙っていた」
なんて老婆の描写があったのですが、あれは問題ないんですかね。


女性差別の言葉
まあ、ここまで述べてきたようなことはさほど問題ではないかなあと思います。
僕もこのような表現はなるべく使わないようにしていますし、文章の読みやすさとは対して関わりがありません。

しかし、女性差別の言葉は便利だなあとも思うのです。
例えば、「彼ら」という言葉。
英語の「they」はこのように訳されることが多いですが、これも立派な差別用語だと昔から議論がありますね。

ただ、この言葉をもしも差別的なニュアンスなく日本語にしようとするのなら、「彼・彼女ら」という風にもなるでしょう。

僕はこの言葉は好きです。語感も良いですし。
ただ、それは小説や詩なんかでの話です。
ブログ団体紹介の最後の一文が「彼・彼女らの今後の活躍に期待したい」じゃやっぱり締まらないと思うんですよね。そこは「彼ら」だろう、と。



ひらがな表記
最近気になるのが、「障害者」を「障がい者」という風に表記する類です。
まあ、どうしてそんな風に表記するのかなんてことは、もう説明もいらないことでしょう。

僕はこの表記方法にやはり疑問を感じざるを得ません。
ら抜き言葉よりも、こっちの方がよっぽど読んでいて引っかかります。

それならむしろ障碍者と表記するのがすっきりするとも思うんですが、まあ、常用漢字外じゃ仕方ないかなあというところでしょうか。

女性差別の表現も含めて、やはり「言葉くらいで何が変わるの?」と思ってしまう気持ちが私にもあります。
慣習を破ってまで、読みにくい表現をする必要があるのかどうか。

でも、確かに言葉の力を信じている人間としては、言葉によって何かが変わるような気も一方ではしているんですよね。

小さなことから積み重ねていくことは何事でも大事なことだと思いますから、まずは言葉から、まずは意識から、としていくことは確かに重要かも……。

まあ、読みやすさを損ねるんじゃないかという点は譲りませんけどね!
ここらへんをどう使い分けていくのか(あるいは一方を全く使わないのかということも、文字を書く人間にとっては重大な課題となりそうですね。

流行は循環するか?今年はミリタリーがブームだとか…。

いやぁ、街なんか歩いていて、やたらとミリタリー系の服を着た女の子が多いなと思っていたのですが、どうやら年末あたりから流行っているみたいですね。

いわゆる軍服風のファッションです。
トム・クルーズ主演の某映画を連想させることから、「トップガン女子」なんて呼び方もあるとか。

モスグリーンのモッズコートは毎年流行るような気がしますが…。
あれも元は軍用パーカーらしいですね。
言われてみれば確かに、という感じがします。


今年の特徴としては、MA-1というフライトジャケットが注目されているそうです。
(一時期はコレ、時代遅れなんて言われてたんですが)


参考までに画像を調べてみましたが・・・
ご、ごつい。
思いっきり男物っぽいですよね。

これがボーイッシュで良い!と人気らしいですが、ボーイッシュ通り越して別のゾーンに入っているような気もします。

また、迷彩服やなんとハーネスまで流行っているらしいですね。

ハーネスって、あれですよ、電気工事のおじさんや大型犬などがつけてる…

しかし、新しいものをファッションに取り入れようとする精神はすごいなと思いますね。
これからもどんなものが出てくるのかチェックしたいです。

ところで、少し前までは千鳥格子がトレンドだと聞いていたのですが、はてアレはまだ健在なのでしょうか。
流行は変化が速くてついていけそうにないです、ハイ…。