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読みやすい自己啓発本みたいな感じ 水野敬也『夢をかなえるゾウ』を読んだ

最初は文学カテゴリに入れようかと思っていたのですが、小説っぽくはないので社会カテゴリに入れてみました。

みなさんこんにちは、あとーすです!

『夢をかなえるゾウ』 何年か前に、小栗旬が主演でテレビドラマをやっていましたね。僕は観ていなかったのですが、あのイメージが頭の中に残っており、古本屋に立ち寄った際に買っておきました(100円でした)。

ドラマ化された作品を数年してから読むのが好きなので、この作品もどんなもんかなあとワクワクしながら読みました。

内容としては、そこそこ面白いかなあと思いました。ただ、冒頭に書いたようにこれは小説かと訊かれれば、なんだか違うものかなあという感じがしました。
文学性というものはほとんど無いと言っても過言ではないと思います。ただし、軽い文体で書かれていて読みやすく、スラスラと読めてそこは良いと思います。あまり思い本ばっかり読んでいると疲れますからね。

で、疲れない上にこの本は大事なことをたくさん教えてくれる。作品中にも書いてあることなんですが、この本、なんだか自己啓発本に書いてあるようなことを延々と説いていくような感じなんですよね。
僕も、いくつかの言葉は「似たような言葉見たことあるなあ」と思っていました。僕、そういう自己啓発系の本とかサイトとかが好きなもので……。

まあ、結局何が大事なのかはよくわかりませんでしたけどね。難しいですよね、人生で成功するために何が必要かって。それって正解を求めているわけですが、やっぱり正解ってないわけで。
誰も認めていない方法で、誰からも認められるような存在になる人もいるのですから、やっぱり人生はわからないですね。
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オタクを分析する 東浩紀『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』を読んだ

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)


こんんちは、あとーすです!
いやあ、本当はこんなことしてる場合じゃないんですけど、どうしても気になってしまって東浩紀さんの『動物化するポストモダン』を読んでしまいました。
以下、その本を読んでの感想でございます。

オタクというのは、3つの世代に分けることができるそうです。
一つは、60年前後生まれを中心とする「宇宙戦艦ヤマト」や「機動戦士ガンダム」を享受してきた世代。次に、70年代前後生まれを中心とする世代。さらに、80年代前後生まれを中心とした「新世紀エヴァンゲリオン」を中心とした世代。
この世代間には、アニメなんかとの付き合い方が明らかに違っているというのが東さんの主張のようでした。

ところで、僕は90年代に入って生まれています。ということは、第四世代ということになるのでしょうか? この本を読んで第三世代までの動きというのは多少なりとも把握できたつもりでいるのですが、現在が果たしてどういう時代になっているのかということは、ちょっと僕にはわからないところです。

さて、この本の中で一番面白かったのは「シミュラークル」の話でしょうか。
シミュラークルの話が面白かったなあということは書けるのですが、それがどんなものなのかここに書き記す元気が今の僕にはありません……。
簡単に言うと、オリジナルと二次創作の境界がなくなっているよねという話です。これには僕も同感です。同人誌において、二次創作は盛んに行われている。それが普通になっているのって、本当は普通じゃないんだよなあということが確認できました。

実はこの辺って。東さんが言いたいことの前提条件みたいなところなんですよね。もっと深くに潜っていくのですが、僕の言葉に噛み砕くことは、現段階ではできそうもありません。
なので、どんなもんかなあと気になる人は是非読んでみてください。
そして、「第四世代」のオタク文化が一体どういう風に規定されるか、考えてみようじゃありませんか。


Twitterと他のSNSとの違い 津田大介『Twitter社会論 新たなリアルタイム・ウェブの潮流』を読んだ。

Twitter社会論 ~新たなリアルタイム・ウェブの潮流 (新書y)


 昨日の読書によって、津田さんの考え方がいいなあと思いまして。所属する大学の図書館に一冊だけ著書が入っていたので、早速読んでみました。それがこの『Twitter社会論』です。
 この本が書かれたのは2009年のことですが、個人的にはTwitterがSNSの王様だと思っているので、ここに書かれていることは有用なことが多いように思いました。例えば下のような言説。
 例えば、何か話題となる新商品が発売されたときに、一刻も早くユーザーによる率直な感想や使い勝手などのレビューを探したい場合、もはやグーグルよりもツイッター検索の方が効率よく探せる。グーグルはSEO的に上位になりやし通販サイトなどが先に表示されやすく、クリックしても目当てのレビューが見つからないことが多い。一方、ツイッター検索はリアルタイム性が高いため、実際に触ったばかりの感想が書かれることが多く、ユーザーの反応を見つけやすい。リアルタイム性に紐付いたユーザーのダイレクトな反応を一覧で見られることは、マーケティング的にも価値の高いものだろう。(pp.32-33)


 このような考え方は、薄々とみんなが気付いていながらも、多くの人が活用していないTwitterの機能なのではないでしょうか? 僕も、検索をかけるときはまずはGoogleを使います。しかし、ある人の評価や著作を見る場合には、Twitterで検索をかけた方が、その人に関する純粋でリアルに近い意見を見ることができます。

 ただ、TwitterがGoogleの存在を脅かすのかと聞かれれば、そんなことはないでしょう。津田さんも指摘しているように、Twitterに流れてくる情報にはデマが多いですから。その点、Googleの情報は、ある程度認知された情報が上の方にくるので、その記事が正しいかどうかを判断しやすい。上位にくるのはWikipediaが多いわけですが、これも脚注がついているので、僕らはその記事が本当に正しいのかどうかを検証することができる。まだまだ、検索エンジンは死ぬことはないでしょう。


 さて、僕らはどのようにTwitterと付き合っていくべきなのでしょうか。友人との交流のためだけにTwitterを使うというのも良いでしょう。しかし、やはりTwtterの真価を発揮するためには
常に自分の考えを発信していき、それに対する反応をもらうという必要があると思うのです。また、反応をもらうためには、こちらも積極的に反応していかなければならない。チャットと同じような感覚で、リアルに反応することができるのがTwitterのいいところです。また、他のSNSと同様に、以前の発言に反応しても構わない。チャットと違って、ログが残るというのも特徴でしょう。

 個人的な話になりますが、僕は現在、気になるユーザーをどんどんフォローしている最中です。Twitterを有効に活用している人の発言は面白い。津田さんもフォローしていますが、リツイートも含めて、色々考えさせられることがある。

 また、自分のフォロワーを増やすという目的もあります。僕は、だれかに僕の意見を聞いてほしいし、他の人の意見を聞きたい。そのために、常に意見を発信する存在でありたいし、届ける相手がほしい。そういう信念のもと、僕は気になった人々をフォローし続けているのです。

 Twitterの使い方について、あなたももう一度考えてみませんか?


Twitter社会論 ~新たなリアルタイム・ウェブの潮流 (新書y)
津田 大介
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津田大介『ゴミ情報の海から宝石を見つけ出す これからのソーシャルメディア航海術』を読んだ

ゴミ情報の海から宝石を見つけ出す  これからのソーシャルメディア航海術 (PHPビジネス新書)


PHP新書から出版されている津田大介著『ゴミ情報の海から宝石を見つけ出す これからのソーシャルメディア航海術』を読みました。

読書をするのは久しぶりなのですが、全く読むのが苦にならず、一気に読み終えてしまいました。これは面白い。ずっと手元に置いておきたい本です。

この本では
第一章 動かす
第二章 受ける
第三章 発する
第四章 伝える
第五章 魅せる
第六章 働く
の6つの章に分けて、僕らがいかにしてメディアとかかわっていくかということが書かれていました。

こうやってブログを書いている身としましては、やはり第三章の「発する」と第四章の「伝える」ということについて気になることがたくさん書いてありました。
ただ、書名が「ゴミ情報の海から宝石を見つけ出す」としてある割には、やや「書く」だとか「仕事をする」ということに主眼があるように思いました。しかし、第二章までは「書く」ということをしない人にとっても、これからのメディアやメディアリテラシーについて考える上で有用な情報が書かれていました。

例えば、メディアとの付き合い方について。
ネット界隈において、マスメディアを「マスゴミ」と揶揄する人をよく目にします。徐々にマスメディアの力が衰えていると捉えることもできます。
しかし、それではネットの情報の方が信憑性が高いかといえば、そんなこともなくて、やはりまだまだマスメディアの方が信頼できるメディアだと言えます。ネットはデマが多いし、それについて責任もとられないことが多い。しかし、少なくともマスメディアは責任を取ります。マスゴミなんて言うのはもったいない。

しかし、もちろんそのメディアが伝えたことの裏を見ることは重要なことです。メディアに踊らされないようにするために。
それでは、メディアに踊らされないようにするためにはどうすればいいか? 本書から引用します。
答えは書店にあります。本屋に行って、自分が興味のある分野の単行本を買って読むことから始めましょう。軸ができれば、少なくとも自分に知識がある分野については、メディア報道の裏側を推測したり、そこに秘められた意図などもわかるようになります。すると、メディアに全体に対する接し方、読み解き方も変わってくる(p.69)

僕たちは、専門的な知識を身につけなければならないということでしょうか。
尖閣諸島問題に対処しようと思えば、歴史を十分に学ばなければならない。そうしなければ、自分の意見を形成できないし、メディアが言っていることが正しいのかどうかはわからない。
そのためには、専門家の意見を聞かなければなりません。学問的に正しいことは何か、何が有力な説とされているのか、その根拠はなんなのか。それらをよく知った上でなければ、議論ができない。知識を身につけることが、メディアリテラシーの第一歩といえるでしょう。


僕の拙い文章ではこの本の魅力を伝えることができません。うう、残念。
とにかく、是非一度読んでみてください!

2014年度センター試験 国語の評論・小説を解いてみたけど、難易度についてはノーコメント

こんにちは、あとーすです!

センター試験のネタツイートも最近では落ち着いてめっきり見ることがなくなりました。
皆さんぼちぼち飽きた頃かとは思いますが、折角解いたので、感想を書いていこうと思います。

まずは評論。結果は44点でした。
斉藤希史『漢文脈と近代日本』からの出題です。

後半で漢文させるのに前半で漢文のことを論ずるんですね……。評論と漢文は「硬さ」という点で似たような性格を持っているように思われますから、この辺が手を組んできたということができるでしょうか?

漢字一問とまとめの問題以外は正解することができました。
漢字で間違えてしまったのが「グンコウ」という言葉の「コウ」の漢字。正解を見てみれば「軍功」なのでよく考えたらわかるのですが、あまり耳にしない言葉なので、間違えてしまいました……。センター試験を解く上では、文章特有の言い回しに注意しなければならないのだなあと思った次第です。

最後のまとめの問題以外は悩みながらも正解しているので、なんとも言えませんね。
間違った問題だと間違った理由を考えることができるのですが、正解すると国語は「お、おう」となってしまいますから。

最後のまとめの問題を間違えたのが悔しい。
僕はこの文章の構造を「起承転結」であるとする選択肢にマルをつけたのですが、どうやらそういう構造にはなっていなかったようです。
やや不満はありますが、解答にそう書いてありますし、確かに「結」の部分はないようなと思うので、まあ仕方ないですね。


さて、次に小説。これはグッと点数が下がって30点でした。
ツイッターでかなりネタにされていましたね。岡本かの子「快走」の全文が課題文となっていました。

岡本かの子は、大阪万博の会場に作られた「太陽の塔」の製作者である岡本太郎の母親です。
彼女の作品は読んだことあるなあと思って解いていたのですが、宮本百合子と勘違いしていました……。
というわけで、彼女の作品を読むのはこれが初めてということになります。

小説の出題パターンは本当にわかりませんね。漱石など第一級の作家が出てくるかと思えば、『楽隊のうさぎ』を書いた中沢けいさんが出てきたりするなど、本当に予測がつきません。
今回の岡本かの子はややマイナーよりですが、大作家と読んで差し支えないでしょう。岡本太郎の母親であることも加味すれば、日本文化を語る上で重要な人物と言えます。

いやあ、しかしこの「快走」は予想に違わず、なかなか常人では考えられないような純文学めいた雰囲気を漂わせた仕上がりとなっていますね。
少しくらい狂っている方が小説は面白みが増すと思うんですけどねえ……あ、だからツイッター上でみんな面白がっているのか。

しかし、面白いと解くのにも難儀しますね。三問も間違えてしまいました。

語句の問題については特に難しくはなかったのではないでしょうか。
「刻刻に」「腰を折られて」「われ知らず」の3問でしたが、「われ知らず」以外は普通に使う漢字ですね。まあ、これも字面から判断できる範囲内でしょう。

問2は「使命感に酔っている」と書かれている選択肢を選んでしまってはずれ。
問3は紛らわしかった! なんかあんまり変わらないような気がするんですけどねえ。ただ、「別の世界」というのが大事らしいですよ(激怒)

あとは問6を間違えたのですが、「まあ」という言葉の区別が難しい。正解は「直喩と色彩表現が含まれている」というものだったのですが、ちょっと何言ってるかわからないですね(´・ω・`)
指定箇所が二箇所あって、そのうちの一箇所にしか色彩表現も直喩しかないやん(これで伝わるかな)! という感じでした。

何人かと一緒に解いたのですが、小説満点が結構いました。す、すげえ……。
どちらかというと、評論の方が難しかったんですかね? 最近は新書を読むことが多いので、そちらに頭が寄ってしまっているのかもしれません。

まあ、来年も解いてみようかなあと思いました。余裕があれば、他の教科も解いてみたいですね。

今更だけど 養老孟司『バカの壁』を読んだ

2003年に刊行された新書ということは、もう十年ということになりますか。
そんな『バカの壁』を今更ですが読んでみました。
日本の頭脳を司る人の意見ということで、今でも生きている理論があるなあと感じました。

最も印象的だったのは、「個性」に関する考察でした。
僕らの世代は「個性」というものを持たなければならないと思ってきた。
しかし、それは本当は正しいことなのかという懐疑があるわけです。

『バカの壁』の一節を引いてみましょう。
 このところとみに、「個性」とか「自己」とか「独創性」とかを重宝する物言いが増えてきた。文部科学省も、ことあるごとに「個性」的な教育とか、「子どもの個性を尊重する」おtか、「独創性豊かな子どもを作る」とか言っています。
 しかし、これは前述した「共通理解」を追求することが文明の自然な流れだとすれば、おかしな話です。明らかに矛盾していると言ってよい。多くの人にとって共通の了解事項を広げていく。これによって文明が発展してきたはずなのに、ところがもう片方では急に「個性」が大切だとか何とか言ってくるのは話がおかしい。


共通理解がなければ人間は生きていくことができない、というのは僕も同意するところです。
例えば、僕らは殺人を犯してはならないという共通理解がなければ、殺人を犯してしまうかもしれない。現在はそれが法律として明文化されているけれど、恐らくこの法律がなくなったところで、人を殺す人というのはそれほど出現しないはずなのです。

ただ、個性というのもやはり大切だとは思うのです。
それは、先進的な考え方かもしれないし、後進的な考え方かもしれない。その両者の意見の議論の果てに、正解に近い何かが見えてくるのではないでしょうか。

また、僕は「常識」というのがとても怖いものだと思っている。
というのは、簡単に常識をふりかざす人が増えていると感じるからである。しかもその多くは、「常識」を「自分の都合のいい意見」だと解釈している。しかも、自分の都合の悪い時には、「人それぞれ」なんて言って逃げるのだ。

このような考え方は、なるほど「常識的に考えて」卑怯だと言うことができるように思うのだが、皆さんの意見はどうでしょうか?

『バカの壁』には、この他にも様々な興味深い記述があった。
確かに現代人は知らずしらずのうちにバカの壁を作り出してしまい、その考え方の中で生活してしまっているのかもしれない。

なんだか世界に生きづらさを感じている人は、もしかしたらこの本を読むことで何かが変わるかもしれない。もちろん、この本に書いてあることを信じるか信じないかは、あなた次第であるのだけれど。



関連記事
 →【接触/非接触の問題】男女混合スポーツをジェンダーとセクシュアリティの視点から考える
 →恋愛哲学を語ることの愚かさ 映画「モテキ」を観て
 →松山幸雄 『「勉縮」のすすめ』を読んだ

地産地消のメリットはここにあり。「フードマイレージ」という考え方

平成24年度の食料自給率は、カロリーベースで39%と、依然として低い水準のままで推移しています。

日本は経済大国なので食料を自国でまかなわなくても良いという考え方もあるかもしれませんが、国際情勢を見る限り、いつどこで戦争が起きてもおかしくはない状態。もし世界の状況が大きく変わったときに、日本国民は生きていくことができるのでしょうか?

また、食料自給率が低いことは、エネルギー問題や地球温暖化問題にも影響を及ぼします。それがよく分かるのが、「フードマイレージ」という考え方です。

農林水産省のホームページによれば、フードマイレージとは「英国の消費者運動家ティム・ラングが1994年から提唱している概念("Food Miles")で、生産地から食卓までの距離が短い食料を食べた方が輸送に伴う環境への負荷が少ないであろうという仮説を前提として考え出されたもの」です。

例えば私たちは大豆のほとんどをアメリカからの輸入に頼っているわけです。
地産地消の最たる例、自給自足を行うならば、庭先に実っている大豆を収穫してそれを加工するなり食べるなりすれば良いだけです。

ところが、これをアメリカから運んでくるということになると、まずは海まで輸送するために燃料が必要で、海をわたるためにも燃料が必要。もちろん、国内での輸送にも燃料が必要になってきます。

しかも、日本は工業立国ですから、食料を買うために、様々な製品を海外に輸出しています。この輸出にも、膨大な燃料がかかっているわけです。

地産地消をすれば、エネルギーを節約することができ、それに伴う二酸化炭素の排出も削減することができます。

僕は今までどうして地産地消をしなければならないのかとずっと疑問に思っていましたが、これでやっと納得することができました。

安いものやおいしいものを食べたい気持ちはわかりますが、これからの地球のことをかんがえるのであれば、極力地元でつくられたものを食べるようにしたいですね。

続・男の人って「音姫」のなんたるかを知らないよね

昨日、「音姫」についての記事を書かさせていただきました
男の人って「音姫」のなんたるかを知らないよね

これが予想以上の反響だったので、今日はもう一度、この「音姫」について書いていこうかと思います。

「音姫」がどういうものであるかということについては、昨日の記事で説明したのでそちらをご覧下さい。
もしかすると、「泡姫」のようなものだと思っていた男性も多いのでは……。

さて、何度も言うようですが、男である僕にはこの音姫の存在意義が全くわからんとです。
女性の方もこれを本当に使うのかどうか、半信半疑のところがあったりします。

でも、Wikipediaには
擬音装置が開発される以前は、排泄音を隠すため、排泄時に水洗トイレの水を流す(場合によっては個室を使用している間中水洗レバーを倒して水を流しっぱなしにする)人がおり、こと多くの人が利用する公衆トイレでは無視できない水資源の無駄遣い、ひいては施設の維持コスト増加の要因ともなっていた。

と書いてありますし。
あ、今「Wikipediaの記事を簡単に信じるなんて……」と思った人いるでしょ?!
いいじゃないですか、2ちゃんとWikiは信じてなんぼなんですよ。


スマホのアプリもあるらしい
さて、この音姫なんですが。
節水目的のためにトイレにもとから設置されているものが主流のようですが、なんとスマホのアプリまであるようなのです。

これもWikipediaに書いてあったので、半信半疑ながらPlayストアで探してみました。
そしたら……あるじゃないですか!



結構あるもんなんですね。
これ使うくらいだったら、少し水を流せばいいんじゃないかなあと思うんですが、もしかしたらそれほど女性にとって音姫が一般的になっているということかもしれません。こわいこわい。

その中で、一番上のetiko2をインストールしてみました。
etiquette(エチケット)とかけてあるんでしょうね、きっと。



上のバーが音量を調節するやつですね。
周りの状況に合わせて音を変えられるようですが、これって何と合わせたらいいんだろう。自分の立てる音の大きさなのか、そのトイレの水の音の大きさなのか。

下のボタンを押すと、実際に音が流れます。事前に試しておきたいところですね。
右の「Running Water」はわかるのですが、左の「Flashing」というのが何かよくわかりません。
「バタン」のいう音が聞こえてから、水の音が出ているような。


結局、男にはよくわからない
色々調べては見ましたが、実物を見たことのない僕ら男にとって、音姫とはなんたるかはよくわからないままでした。

男性に聞かれたら恥ずかしいという心理はまだわかるとして、女性同士で聞かれるのも恥ずかしいというのは、なんだかよくわからないですね。

LiteraTech風見鶏では、女性のみなさんの「音姫」に対す思いを募集しております。
「あれいらないんじゃ?」だとか「音姫無しじゃ生きていけない!」だとか「音姫って噛めば噛むほど味が出るよね!」などなど何でも良いので、気軽にコメントしてくださいね!

男の人って「音姫」のなんたるかを知らないよね

みなさんこんにちは!
ふと思いついたので、音姫とはなんぞやということについて書いてみようと思います。
属するカテゴリが思いつかず、一応「社会」に分類してみました……。

さて、僕は男なので、実際のところ「音姫」の正体を知っているわけではないのです。
なので、この記事を読んでくれている男性の皆さんは、一緒に「音姫」がなんたるかと想像してみましょう。

まず、「音姫」でGoogle検索をしてみると、Wikipediaの「トイレ用擬音装置」というページがトップに出てきます。

ここで、勘の言い方なら気づかれると思います。
そう、つまりはトイレのときにジョボジョボという音を消すためのものなのです。

Wikipediaのページを見る限りでは、どうも排尿をするときだけではなく、他の音を消すときにも使うようですね。
男子トイレなんて、色々な音が聞こえ放題なんですけどね……。

同じ女性同士でも気にするものなんですかね? 僕にはよくわからんですね。
そういえば、女性がうちにトイレを借りるとき、先に水を流すから何かと思っていたのですが、なるほどそういう意図があったのですね。勉強になります。



続きの記事を書きました!
 →続・男の人って「音姫」のなんたるかを知らないよね

恋愛哲学を語ることの愚かさ 映画「モテキ」を観て

みなさんこんにちは!

元日は夜から映画「モテキ」が地上波で放送されますね!
僕はそれを知らずに、TSUTAYAで借りてきてしまいました……知っていたら絶対に他のを借りていたのに。
まあ、借りてしまったものは仕方ないので、早速今日観ました。早く見たので、ここで布教活動をしておきます。

まず声を大にして言いたいのが、僕は数ある映画の中でモテキが一番好きということです。
ちなみに、原作は全く三巻までしか読んでおりません。ドラマシリーズに至っては全くみておりません。す、すいません……。
しかし、それも来年には見ようと思っております。

映画の「モテキ」を観るのは僕は実は二回目なのです。
最初に観たのは一年ほど前でした。森山未来と長澤まさみが出るなら観るしかない!というテンションでしたね。

初めて観終ったあと、僕はすごくぐったりしてしまいました。
やばいやばい、画面の向こうに自分がいるぞ、という感じがしてしまったのです。
その頃は恋愛関係でいろいろあり、なんだか主人公の幸世の気持ちがよくわかってしまったのです。
もう本当に、痛いところ突かれて本当に死ぬかと思いましたよ。男性諸君なら、共感するところが少なからずあるはずです。

なんだろう、これを観てから、僕は恋愛に対するルールというものが変わったような気がします。
それは、恋愛哲学を持たないようにしよう、ということです。

みなさん、ご自分の恋愛哲学をお持ちでしょうか?
様々な小説や漫画、映画、さらには自分が経験したことをもとにして、価値観を構築しているのではないでしょうか。
純愛がいい、という人もいるでしょうし、なるべく多くの人を知りたいという人もいるでしょう。不倫市場主義の人だっているかもしれません。

でも、そういうのって、モテキを観ているとどうでもよくなってきちゃうんですよね。
人間は、ずるい。それはもちろん恋愛においてもです。時には真面目に、けれども時には真面目じゃなくなって然るべきだと思うんです。

もちろん、真剣に恋愛すれば周りからは認められるでしょう。しかし、それで相手に裏切られたら? 自分の愛は徒労に終わってしまうかもしれません。
純愛主義ではない人は、周りからはけなされる分、裏切られたときのダメージというのは少ないのではないでしょうか。

人は、このどちらか(まあもっとあるのでしょうが)の価値観に固定されるべきではないと思うんですよね。
それは人生のステージでも違うでしょうし、その時そのときでまだ違うものでしょう。

さらに自分の恋愛哲学を人様に語るなんてこんな愚かなことはないと思うんですよね。その価値観が、他の人にぴたりと当てはまるなんてほとんどないことなのですから。
もちろん、自分も自分の恋愛哲学でガチガチにしばってしまってはいけません。疲れてしまいます。また、自己矛盾に苦しんでしまいます。心安く生きるためには、様々な恋愛哲学をすべて許容することが重要なのだと私は考えています。


最後に。
モテキが好きだという方は是非ぜひコメントしていってください!
お友達になりましょう('ω')ノ!!!

これから政治を勉強しようという人へ「あたらしい憲法のはなし」

「日本の若者は政治への興味が薄い」
「若年層の投票率が非常に低い」

この頃はそんな文言をよく目にします。
実際のみなさんはどうでしょうか?
詳しい人もいれば、ちんぷんかんぷん、という人もいるでしょう。

しかし年齢を重ねるにつれ、「自分の国の政治のことを知らないままでいるのは恥ずかしい」という気持ちを抱くのではないかと思います。
この記事を書いている私もその一人です。

とは言え、いきなり新聞を読んでみてもよく分からない。この人誰だ、この党は何だ。こんな法律あったっけ。そもそも政治ってどういうシステムなんだ。
結局混乱して、投げ出してしまうこともしばしばあるでしょう。

しかし、そのような「今から政治を学びたい」と思っている人にこそ読んで欲しい文献があります。


それが『あたらしい憲法のはなし』。



日本史の教科書で見覚えのある人も多いのではないでしょうか。

これは、日本国憲法公布の際、中学1年生用の社会科の教科書として出版されたものです。
憲法そのものや、民主主義、平和主義についてなど全15章から成っています。
現在は青空文庫で閲覧可能。

もちろんこれは中学生用に書かれたものですから、大変易しい文章で丁寧に解説されています。
(しかもイラストつき)
1947年に書かれたものなので、多少引っかかる箇所もありますが、日本の政治の理念・システムについて理解しようとする際には、大きな助けとなってくれるでしょう。

気になる方は、ぜひ一読してみて下さい。

あたらしい憲法のはなし

【接触/非接触の問題】男女混合スポーツをジェンダーとセクシュアリティの視点から考える




みなさん、こんにちは!

このブログでは当初から社会のことについて書いていこうと思っていたのですが。なかなか実現しておりませんでした。
今回、ちょっと興味のあるジェンダーの問題について、僕の考えを書いていこうかと思います。


みなさん、スポーツ観戦ってしますか?
僕はそこまで好きなわけではないのであまり見ないのですが、それでも、たまにテレビでやっていればみたりします。

なでしこジャパンが話題になったのはいつ頃のことだったでしょうか。女子スポーツといえば、最近はバレーの火の鳥ジャパンが銅メダルを取りましたね! 男子の方は、僕はそれほど興味がなかったので結果は知らないんですが……


でも、毎回不思議に思うんですけど、どうしてスポーツって男女別でやるんでしょう。
そりゃあもちろん、体力や体格の差はあると思います。やっぱり、総体的にみるとどうしても、男性の方がそういう面では勝ってしまうのが現状です。

プロ野球なんかは、システムとしては女の人でも入れるみたいですね。ただ、現状として試験に受かるのが難しいのでしょう。相撲においては、未だに土俵の上は女人禁制らしいですが。

でも、よくよく考えれば、小学生の頃には男女一緒に体育をやっていたのに、中学生くらいになると男女別々になってしまうんですよね……。
もちろん、これにも体格差なんかの問題はあると思います。でも、それだけでは無いような。幼稚園や頬幾円の頃は一緒に着替えていたのに、小学生くらいから一緒に着替えなくなるのと同じような問題を孕んでいるように思うんですよね。

つまり、体育というのは接触が頻繁に起こり得る教科だと思うんです。
僕の学校ではタグラグビーやサッカー、バスケなんかをやっていましたが、これらは相手の体に接触することがある競技です。

これをスポーツだと割り切ることのできる人もいるのでしょうが、でも、やはり男子としましては、男に触れるのと女の子に触れるのでは意味が違ってくるわけです。
思春期の微妙な時期に、そういうことで男女がお互いに悩まなくていいように、体育は男女別なのかなあと、私は思っております。

結局、大人のスポーツも同じような理由なのではないでしょうか。
もちろん、バレーとかサッカーを見ていると、男女で激しさは違いますが。
しかし、それだけではなくて、「接触」というのは大きな問題だと思います。

だって、レスリングや柔道というのは、あれだけ接触をしていて、男女混合でやる、というのはいささか問題があるでしょう。
僕は昔、空手を少しやっていたのですが、女の子と組手をするときはすごく気まずかったのを覚えています(特に胸めがけて攻撃できないですよ)。

逆にいえば、卓球とかテニスは、別に混合にしても問題はないと思うんですよね。
もしかしたら、今後女の人が強くなって、男女混合でスポーツが行われる時代が来るのかもしれませんね。