忍者ブログ
あとーすログに引っ越しました!

LiteraTech風見鶏

Home > ブログ > > [PR] Home > ブログ > 社会 > 今更だけど 養老孟司『バカの壁』を読んだ

今更だけど 養老孟司『バカの壁』を読んだ

2003年に刊行された新書ということは、もう十年ということになりますか。
そんな『バカの壁』を今更ですが読んでみました。
日本の頭脳を司る人の意見ということで、今でも生きている理論があるなあと感じました。

最も印象的だったのは、「個性」に関する考察でした。
僕らの世代は「個性」というものを持たなければならないと思ってきた。
しかし、それは本当は正しいことなのかという懐疑があるわけです。

『バカの壁』の一節を引いてみましょう。
 このところとみに、「個性」とか「自己」とか「独創性」とかを重宝する物言いが増えてきた。文部科学省も、ことあるごとに「個性」的な教育とか、「子どもの個性を尊重する」おtか、「独創性豊かな子どもを作る」とか言っています。
 しかし、これは前述した「共通理解」を追求することが文明の自然な流れだとすれば、おかしな話です。明らかに矛盾していると言ってよい。多くの人にとって共通の了解事項を広げていく。これによって文明が発展してきたはずなのに、ところがもう片方では急に「個性」が大切だとか何とか言ってくるのは話がおかしい。


共通理解がなければ人間は生きていくことができない、というのは僕も同意するところです。
例えば、僕らは殺人を犯してはならないという共通理解がなければ、殺人を犯してしまうかもしれない。現在はそれが法律として明文化されているけれど、恐らくこの法律がなくなったところで、人を殺す人というのはそれほど出現しないはずなのです。

ただ、個性というのもやはり大切だとは思うのです。
それは、先進的な考え方かもしれないし、後進的な考え方かもしれない。その両者の意見の議論の果てに、正解に近い何かが見えてくるのではないでしょうか。

また、僕は「常識」というのがとても怖いものだと思っている。
というのは、簡単に常識をふりかざす人が増えていると感じるからである。しかもその多くは、「常識」を「自分の都合のいい意見」だと解釈している。しかも、自分の都合の悪い時には、「人それぞれ」なんて言って逃げるのだ。

このような考え方は、なるほど「常識的に考えて」卑怯だと言うことができるように思うのだが、皆さんの意見はどうでしょうか?

『バカの壁』には、この他にも様々な興味深い記述があった。
確かに現代人は知らずしらずのうちにバカの壁を作り出してしまい、その考え方の中で生活してしまっているのかもしれない。

なんだか世界に生きづらさを感じている人は、もしかしたらこの本を読むことで何かが変わるかもしれない。もちろん、この本に書いてあることを信じるか信じないかは、あなた次第であるのだけれど。



関連記事
 →【接触/非接触の問題】男女混合スポーツをジェンダーとセクシュアリティの視点から考える
 →恋愛哲学を語ることの愚かさ 映画「モテキ」を観て
 →松山幸雄 『「勉縮」のすすめ』を読んだ
PR

Comment0 Comment

Comment Form

  • お名前name
  • タイトルtitle
  • メールアドレスmail address
  • URLurl
  • コメントcomment
  • パスワードpassword