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恋愛哲学を語ることの愚かさ 映画「モテキ」を観て

みなさんこんにちは!

元日は夜から映画「モテキ」が地上波で放送されますね!
僕はそれを知らずに、TSUTAYAで借りてきてしまいました……知っていたら絶対に他のを借りていたのに。
まあ、借りてしまったものは仕方ないので、早速今日観ました。早く見たので、ここで布教活動をしておきます。

まず声を大にして言いたいのが、僕は数ある映画の中でモテキが一番好きということです。
ちなみに、原作は全く三巻までしか読んでおりません。ドラマシリーズに至っては全くみておりません。す、すいません……。
しかし、それも来年には見ようと思っております。

映画の「モテキ」を観るのは僕は実は二回目なのです。
最初に観たのは一年ほど前でした。森山未来と長澤まさみが出るなら観るしかない!というテンションでしたね。

初めて観終ったあと、僕はすごくぐったりしてしまいました。
やばいやばい、画面の向こうに自分がいるぞ、という感じがしてしまったのです。
その頃は恋愛関係でいろいろあり、なんだか主人公の幸世の気持ちがよくわかってしまったのです。
もう本当に、痛いところ突かれて本当に死ぬかと思いましたよ。男性諸君なら、共感するところが少なからずあるはずです。

なんだろう、これを観てから、僕は恋愛に対するルールというものが変わったような気がします。
それは、恋愛哲学を持たないようにしよう、ということです。

みなさん、ご自分の恋愛哲学をお持ちでしょうか?
様々な小説や漫画、映画、さらには自分が経験したことをもとにして、価値観を構築しているのではないでしょうか。
純愛がいい、という人もいるでしょうし、なるべく多くの人を知りたいという人もいるでしょう。不倫市場主義の人だっているかもしれません。

でも、そういうのって、モテキを観ているとどうでもよくなってきちゃうんですよね。
人間は、ずるい。それはもちろん恋愛においてもです。時には真面目に、けれども時には真面目じゃなくなって然るべきだと思うんです。

もちろん、真剣に恋愛すれば周りからは認められるでしょう。しかし、それで相手に裏切られたら? 自分の愛は徒労に終わってしまうかもしれません。
純愛主義ではない人は、周りからはけなされる分、裏切られたときのダメージというのは少ないのではないでしょうか。

人は、このどちらか(まあもっとあるのでしょうが)の価値観に固定されるべきではないと思うんですよね。
それは人生のステージでも違うでしょうし、その時そのときでまだ違うものでしょう。

さらに自分の恋愛哲学を人様に語るなんてこんな愚かなことはないと思うんですよね。その価値観が、他の人にぴたりと当てはまるなんてほとんどないことなのですから。
もちろん、自分も自分の恋愛哲学でガチガチにしばってしまってはいけません。疲れてしまいます。また、自己矛盾に苦しんでしまいます。心安く生きるためには、様々な恋愛哲学をすべて許容することが重要なのだと私は考えています。


最後に。
モテキが好きだという方は是非ぜひコメントしていってください!
お友達になりましょう('ω')ノ!!!
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