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LiteraTech風見鶏

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天野喜孝展に行ってきた@熊本市現代美術館



熊本市現代美術館では、2014年9月27日から11月23日にかけて天野喜孝展が開催されている。15歳からキャリアをスタートさせた彼の集大成というべき展示と言えよう。

天野は15歳でタツノコプロダクション入社。みなしごハッチやヤッターマン、ガッチャマンなど大ヒットアニメのキャラクターデザインを手掛けている。その後も『吸血鬼ハンターD』や『グイン・サーガ』などの挿絵を担当し、四半世紀に亘って世界中で愛されるファイナルファンタジーシリーズのキャラクターデザインを担当している。

僕はファイナルファンタジーをほとんどプレイしたことがない。DSの復刻版を一度だけやったことがあるのだけれど、シリーズ中どの作品だったかは全く覚えていない。一応、ラスボスまではたどり着いた気がするのだけど……。

しかし、ファイナルファンタジーが現在でも根強い人気を誇っていることくらいは僕だって知っている。日本のRPGといえばドラクエとFFみたいなのはほぼ一般常識になっているし、友人にもファイナルファンタジー愛好家は多い。

そんな風にファイナルファンタジーは僕にとって「今」なのだけど、対してヤッターマンやガッチャマンは「過去」のものだ。父親が子どもの頃に見ていたようで、テーマソングなどをお風呂の中で聴かされて育った僕は、「昔、そういう作品があったんだなあ」という風に感じながら育った。

そんな僕の中の「今」と「過去」がつながる、というのはちょっとした衝撃だった。しかも、よくよく見てみれば『吸血鬼ハンターD』も見覚えがある。叔父が昔使っていた部屋に入った時に、今回見た作品を用いたジグソーパズルが置いてあったのだ。当時、その絵をとても不気味に思ったのを覚えている。

僕の中で、天野義孝の絵は基本的には不気味なものである。ヤッターマンなんかはかっこいいという形容の方が似合うのだけれど、さっきから言っている『吸血鬼ハンターD』の挿絵なんかはどこまでも不気味だ。

僕は天野が描く髪の毛が苦手だ。一本ずつ丁寧に描きこまれたそれはリアルに迫ろうとしている。デフォルメされた絵ばかりを見慣れている僕は、それだけで何か異様なモノに触れてしまったようか気がしてしまう。

また、肌の白さも彼の描く男性の特徴ということができるだろう。血の気の失せたような顔は「かっこいい」よりもまず「不気味」さが先行する。一見しただけでは、正義のヒーローなのか悪のヒーローなのか判別することができない。黒装束も、その不気味さを助長させている。


そんな風に僕の中では「不気味」さというのが天野喜孝理解の重要なキーワードなのだが、近年はポップな作品も増えてきているようだ。展覧会の最後の方は、そういうポップアート的な作品を中心にして展示されていた。僕は、こういう世界観が好きなのだなあと改めて実感した。

作品数も多く、一番目を引いたのはCandy Girlシリーズだった。天野喜孝の描く女性にはどうしてもエロスがつきまとうのだが、ここに描かれている女性たちはそういったエロスを感じることができない。露出度の高い服を着ているにもかかわらず、だ。先行するポップさがエロさを排除しているのだと考える。

画材も特殊で、とてもピカピカしている。正直、他の作品は作品集とかで家で寝ながらパラパラ見てもあんまり変わらないんじゃないかと思ったが、このゾーンにある作品は作品集と比べてみての印象が全然違う。大きさ、色、光り方、どれをとっても足を運んで見た方が断然良い。天野ファンではない僕も、これを見ることが出来ただけで来た甲斐があったと思った。

芸術的絵画とイラスト、その境界線は徐々になくなりつつあるのかもしれない。いわゆる現代美術家と呼ばれる人々の作品を見ていると、そういう感覚を強く抱く。天野喜孝だって、アニメの現場から世界的アーティストに羽ばたいていったという点では、この境界線を不明確にすることに一役買っているに違いない。

「芸術的なもの」と「商品的に価値があるもの」はずっと対立し続ける概念であるように思う。文学の場面でも、純文学と大衆文学は対立するものとして捉えられている。しかし、その中でもちゃんと二つの間に交流があって、お互いがお互いに良い影響を与えている。それは美術の世界でも同じなのだろうと感じることができた。それを再確認することができたという点で、天野喜孝展は僕にとって重大な意味があったように思う。
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劇団濫觴「きしかん」を観劇してきた@早川倉庫

こんにちは、あとーすです。
今日は、熊本の劇団「濫觴」の『きしかん』を観劇してきました。
「きしかん」とじゃ「既視感」、つまり「デジャビュ」のこと。このデジャビュを軸にした30分程のお芝居でした。

この既視感、僕もどうして起こるのかということをずっと疑問に思っていました。科学的には、まだ明確な答えが出ていないということだった気がします。その疑問に、この舞台はおもしろい解答を出しています。

別の時間軸で経験しているから、一度体験したような気がするのだ。というのがこの舞台における解答なわけです。そして、何度でも僕らは人生をリセットすることができる。その度に記憶が消去されていく。

「ループ」というキーワード。ハルヒのエンドレスエイトにも同じようなものを感じます。あるいは、まどマギの世界も同じ。ある一人の人以外は、記憶をなくしてしまっている。しかし、この舞台ではもっと様々な要素が絡み合っている。台本を書き換えるという行為、音響の出演。そういう要素によって、世界の枠組みを二重にも三重にもしている。

正直、僕の言葉ではあの世界観を表現することができません。それほど複雑であった。しかし、理解はできた。理解はできるけど説明できないもの。これを、演劇で見せるべきなのだなあと、書く側としても思いました。

濫觴の「きしかん」、本当におもしろかったです。この舞台のキャストが雨傘屋「禿の女歌手」にも出演すると聞いて、とっても楽しみです。

「草間彌生 永遠の永遠の永遠展」に行ってきた@熊本市現代美術館

みなさんこんにちは、あとーすです!
先日、熊本市現代美術館で開催されている「草間彌生 永遠の永遠の永遠展」に行ってきました! 日本現代美術を代表する彼女の作品が如何なるものだったのか……簡単ではありますが、レポートしていこうと思います。


草間彌生全版画1979‐2013
写真は、彼女の作品集



草間彌生といえば、幼少時代の幻覚体験をきっかけとして、水玉や編み目などをモチーフとして「無限」や「増殖」をテーマとして創作活動を行ってきた人物です。そんな彼女が今回熊本に持ち込んだ作品は2004年から2007年にかかえて制作された連作「愛はとこしえ」。それから、2009年から始まった「わが永遠の魂」シリーズです。

どちらも、「無限」や「増殖」といったこれまでの草間彌生のイメージとは違っているような印象を僕は持ちました。一際目立って描かれていたのが「人の顔」や「眼」、「植物」でした。

僕は彼女のこれら一連の作品に、生と死の匂いを感じました。草間彌生自身が、生と死の狭間で生きてきた、その匂いが染みついているように感じられるのです。この作品を見て、技巧的だとは誰も思わないでしょう。それでも人を惹きつけるということは、何かしらのパワーがあるのでしょう。


さて、今回僕がすごいと思ったのは、「魂の灯」という作品でした。
作品とは言っても、それは一つの空間です。空間が作品として成り立っているのです。全面鏡張りの空間の中に、たくさんの灯が吊してあり、比喩でもなんでもなく、この世のものとは思えないくらいに美しい世界でした。あの世とこの世を行き交う魂が本当にあるならば、もしかしたらあんな光景なのかもしれませんね……。


その他に、部屋全体に彼女のトレードマークである赤い水玉が描かれている部屋もありました。どちらの作品も、順路通りに行ったら出会えるので、お時間がある方は是非いかれみてください。2014年6月15日まで、開催されています。

熊大×学園大×崇城大 合同イラスト展「三熊展」レポート

こんにちは、あとーすです!

今日は熊本市上通で行われた「三熊展」に行ってまいりました!

この三熊展、熊本大学・熊本学園大学・崇城大学のサークルが合同で行っているイラストの展示会でして、僕は熊大の友人の勧めを受けて行ってまいりました。

甲玉堂という文房具屋さんの3階がギャラリーになっており、そこで展示が行われていましたよ。

それぞれの絵に個性が光っていました。僕はアニメなどをあまり見ないので! 何のキャラクターが分からなかったものが多かったのが残念。わかる人が見ると、もっと面白いと思います。

素人には真似できないなあというレベルの高い作品が多かったです。僕もブログデザインお願いしたい。

私見ですが、学園大の作品に秀作が多かったように思います。もちろん、他の大学の作品も僕がとうていおよばないくらい凄かったんですけどね!


塗り絵が置いてあったので、それにも挑戦してきました。
コピックというものにはじめて触りました。ふぉー、こんな楽しそうなものがあるんですね! 塗り方次第で、展示されていたような色付けができるのか……ううむ、凄い。凄すぎる。

僕のは幼稚園児の落書きみたいになってしまいましたが、一緒に行った方のは中々うまくできていました。ほー、こんな風に塗るのかあと感動。





エレベーターを昇らないと行けないので、これから行く方は注意。

場所は既に書きましたが、上通にある甲玉堂の三階。

3月9日は10:00~18:00、10日は最終日となっていて、10:00~15:00となっています。
興味のある方は、是非足を運んでみてくださいヽ(・∀・ )ノ

東浩紀×津田大介@熊本市長崎書店 「福島第一原発観光地化計画について」

福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2




こんにちは、あとーすです!

今日は、熊本市上通りにある「長崎書店」の三階リトルスターホールで行われ東浩紀さんと津田大介さんの講演に行ってきました!
「講演」とはちょっと違うかなあ。対談、とか、トークショーの方がしっくりくるかもしれません。最初の方はお互いが交替で喋っているという印象でしたが、後半ではお二人の対談形式で話が進んでいました。

そのお二人の話の中で、僕が気になった話をいくつか取り上げ、僕の意見を少し交えながらこの記事を書いていこうかなと思います。


そもそも今回の公演が東さんが社長を務める出版社ゲンロンが発行している『思想地図β』のvol.4である「チェルノブイリダークツーリズムガイド」と「福島第一原発観光化計画」の発売を記念した公演だったので、お話は「福島第一原発観光化計画」についてのものが主となっていました。

福島第一原発の問題は、すでに風化しはじめているように思います。僕自身、ほとんど思い出すことはありません。
そのまま風化させるのが、福島のためにはいいことだと言う人がいるかもしれません。でも、それはやっぱりあまりいいことではなくて、広島やチェルノブイリのように、僕らはこのことを忘れずに常に反省することが大事なのでしょう。

その中で、やはり原発の一般公開という問題が出てくる。世間一般では、重装備をしなければ現場に入れないような雰囲気がありますが、実際はそんなことはない。実は意外と軽装備で入れてしまうのだと東さん・津田さんは仰っていました。
もちろん、長時間放射能を浴び続けることは好ましくないけれども、短時間そこにいるだけではほとんど問題がないとのことでした。つまり、住むことは無理でも、そこを見学することはできるわけです。

広島は、観光の地としてしっかり成り立っていると思います。僕も昨年広島に旅行へ行きましたが、原爆関連の施設をしっかり見ることができ、原爆というものがどういうものかということを、それまでよりも身を以て実感することができました。現時点で、福島がどういう状況にあるのかわからない。これはやはり問題なのではないでしょうか?
その為には、やはり福島を見学の地としなければならない。それが二人の言うところの「福島第一原発観光地化計画」なのでしょう。
僕はまだ書籍としての「福島第一原発観光地化計画」を読んでいないのですが、お話を聞いた現段階では、この意見に大いに賛成です。人間は、やはり困難なことをわざわざするようにはできていません。何か福島に行く動機をつくらなければ、人々の頭の中で福島はさらに風化していくことになってしまうでしょうから。


対談の途中で、東さんから現在開催中のソチ五輪に絡めた話が出てきました。
ソチ五輪は今でこそあんなに盛り上がっているけれど、開催までにはかなり問題があった。それは、かなり近いところでグルジアとの問題が起こっているからであります。この関連で、テロがあるのではないかという声が上がった。
日本でも2020年に東京五輪があるわけですが、そこで福島第一原発の問題が解決されていなかったら、東京五輪も今回のソチ五輪と同じようなことを世界中から言われるのではないか、という趣旨のことを東さんが言っていました。僕も、これは問題だと思います。問題を解決しない限り、というか解決したとしても日本は「フクシマ」というイメージから逃れえないでしょう。また、逃れるべきでもありません。その中で、日本がいかにフクシマの問題を解決していくかというのは、今後注目していきたい問題です。その点で、やはりこの「福島第一原発観光地化計画」というものは有用になってくることでしょう。

他にも様々なお話をお聴きしたのですが、僕が強く印象に残っているのはこんなところでしょうか。新しい知見を得ることができた部分もあるので、それについては今後の記事の中に織り込んでいきたいと思っています。

しかし、東さんと津田さんは本当に仲がいいなあというイメージがあります、僕は最初に津田さんの著作を読み、その繋がりで東さんを知り、今は『動物化するポストモダン』を必死になって読んでいます。
その中で、やはり二人の書いていること、考えていることというのはなんていうのかな、「質感」が違うように思うんですよね。扱う領域とか問題が違う、みたいな。
しかし、そういう壁を越えて仲良くしているというのは、何か不思議なものを感じます。だって、一方は表象文化論で、他方はジャーナリストですからね(多少乱暴な分類ですが)。なんか、この二人が手を組んでいるというのは非常に面白いなあと僕は思うのです。

お二人の言論には、これからも注目したいと思っています。とりあえずの目標は、お二人の著作を読んでいくことですね。
もちろん、お二人のTwitterアカウントでの発言も注意深く見守らせていただこうと思っております。
福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2
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なつかしのおかしを食べた(その2) ヤンヤンつけぼー

こんにちは、あとーすです!

なつかしのおかしを食べてみた、その2
ここでレポートするのは……「ヤンヤンつけぼー」です!





温めると絵が出てくるんですよね!(絵が出てきたところ撮り忘れた…すみません)





こいつをなあ、こいつをなあ(羅生門の老婆風)





こうしてやるんじゃああああああああああ!


……ということで、めちゃくちゃおいしかったてす。

ただ、つけぼーが結構折れてて、取るのがめんどくさいんですよね。ひっくり返したら、スプレーチョコがこぼれちゃうし。

それから、チョコレートが残るんですよねえ。まあ、僕はチョコレートオンリーで食べるのも好きですけどね!


昔、ばあちゃんに買ってもらっていたのを思い出しました。

みなさんも、久々に手にとってみてはいかがでしょうか?

なつかしのおかしを食べた(その1) ねるねるねるね



こんにちは、あとーすです!

今日はスーパーで懐かしいお菓子を見たので、ちょっと食べてみました。
これです!




そう、「ねるねるねるね」。
子供の頃、買物に行く度にねだっていたのを思い出します。
ああ、幼い頃の麗しき思い出! もうあの頃には戻れない……

まあ、とりあえずつくってみましょう。




一番から三番まで粉があります。





一番をドバーッ!!!





この三角形のやつで水を入れるのに夢があるんですよね~。





よく混ぜたところで





二番をドバドバドバーッ!!!





混ぜたら完成です(`・ω・´)





右側に三番を入れて





いただきます!(ちょっとつけすぎた)


お味としましては、まあほとんど砂糖ですから甘かったです。そうかあ、昔はこんなの食べてたんだなあ。

楽しんで作って満足し、そして100キロカロリーなので、童心を忘れていない方のダイエットにはいいかも。パン一個食ってはい終わり、だともっとカロリーとっちゃいますからね。


ちなみに、ねるねるねるねは重曹で膨らませているそうです。なるほど、それで容積を増やしてるわけですか!

懐かしいお菓子を食べました。
ちなみに、焼酎を一緒に飲んでいたのですが、合ったのか合わなかったのかはご想像にお任せします……(´∀`)

日本のゴッホ「山下清展」最終日に行ってみた@熊本県立美術館

皆さん、こんにちは。
芸術の秋……は過ぎてしまって、もうすっかり冬ですが、今回は芸術についてお送りしたいと思います。

私の住んでいる熊本県で山下清展があるということは知っていました。いつか行こうと思っていたのですが、なんと今日が最終日なのだとつい先日知りました。

というわけで、今日は時間をつくって行ってみました、山下清展。
最終日ということもあって、たくさんの人がいました。普通に見て回れるだろうと思っていたのに、まず入場までに三十分かかってしまいました。

入場してからもずっと列ができていて、なかなか進まず……ゆったりとした気持ちで見ることはできませんでした。いやあ、山下清は未だに人気のある画家なんですねえ。

山下清といえば「裸の大将」で有名ですが、実際の彼は、映画やドラマのように、放浪先で絵を描くというようなことはしなかったようで。
彼はそのずば抜けた記憶力で以て、放浪から帰ってきてから、記憶を頼りに創作活動に勤しんでいたようです。


山下清といえば、その切り絵が代表とされています。
しかし、私は今回、山下清はペン画にも素晴らしいものがあるなあと感じました。

彼は、他の画家が決して使わないマジックペンを使いました。濃淡や強弱がつけづらいので、創作活動には向いていないのです。
しかし、彼は点描という手法を用いて、独特のペン画を描きました。

若い頃には確かに粗さも見えます。特に建築物。山下清の描く建物というのは、いささかアンバランスかなという感じがするのです。
しかし、彼の描く植物は実に素晴らしい。特に木は、その表面や葉っぱの質感がペンだけで表現されているのです。

しかも、後年になればなるほど、彼は建築物も上手に描いていくようになります。
今回の展示では山下清の東海道五十三次も展示してありましたが、これには本当に驚かざるを得ませんでした!


今日一日で、僕はすっかり山下清のファンになってしまいました。
皆さんのお住まいの地域に山下清の作品が来たとき、是非観にいってみてはいかがでしょうか?