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衒学とナンセンス 坂口安吾『風博士』を読んだ

坂口安吾を読んだのは、『堕落論』『続・堕落論』『青鬼の褌を洗う女』に続いて四作目であると記憶しています。

毎回違う姿を見せてくれる作家ですね。
もちろん、毎回違うという点は近代作家には共通するものがあるように思います。太宰はいつもとうって変わって「竹青」や「清貧譚」のような小説を書きますし、漱石だって、『坊ちゃん』「虞美人草』『三四郎』を通して読めば、本当にこれは同じ作家が書いたものかと疑うことでしょう。

しかし、『堕落論』を書ける安吾がこのような作品に走った理由、というのがよくわからない。
この表現は恐らく適当でないと思うのだが、その衒学的な文章からは森見登美彦を思い出した。つまり、森見的試みというのは、この頃からあったのである。

下らないことを拡張高く見せかけながら論じるというのは、衒学家の手法であるように思います。
衒学に意味がある、と言いましょうか。その雰囲気に酔うのです。

私の読みが足りないだけかもしれませんが、この『風博士』の内容にどれほどの意味がありましょうか?

これが森見登美彦であるとするならば、あんなものに意味なんてほとんど無いと思っています。
しかし、僕は森見さんの文章が好きです。それは、あの雰囲気に酔っているからです。

文学を言葉の芸術として突き詰めていくならば、このような作品はこの先もどんどん生み出されていくことでしょう。

未来の安吾・森見に僕は期待したいところであります。
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