2014/01/10 Category : 言葉 読みやすい文章とは何かを考える「差別的表現」 さて、読みやすい文章とは何かを考える第二回目ということで。この記事では、「差別的表現」について考えていこうかと思います。差別的な表現というのは、もちろんなるべく使われるべきではありません。しかし、差別的表現にも色々な種類のものがあります。例えば「めくらめっぽう」というような言葉を見かけるときがありますが、これも差別的な表現なんですよね。「めくらめっぽう」は「盲滅法」と書きます。何の見当もつけずに行動することを言うのですが、ポイントはこの「盲」という言葉。これが視覚障碍者を指す差別用語とされているんですよね。なので、盲滅法という言葉も差別用語になるっちゃあなるんですよね。ただ、盲滅法という言葉で「めくら」を想像する人がどれだけいるのでしょうか。そういえば高校生のときに読んだ芥川龍之介の『羅生門』では「永久におしのごとく黙っていた」なんて老婆の描写があったのですが、あれは問題ないんですかね。女性差別の言葉まあ、ここまで述べてきたようなことはさほど問題ではないかなあと思います。僕もこのような表現はなるべく使わないようにしていますし、文章の読みやすさとは対して関わりがありません。しかし、女性差別の言葉は便利だなあとも思うのです。例えば、「彼ら」という言葉。英語の「they」はこのように訳されることが多いですが、これも立派な差別用語だと昔から議論がありますね。ただ、この言葉をもしも差別的なニュアンスなく日本語にしようとするのなら、「彼・彼女ら」という風にもなるでしょう。僕はこの言葉は好きです。語感も良いですし。ただ、それは小説や詩なんかでの話です。ブログ団体紹介の最後の一文が「彼・彼女らの今後の活躍に期待したい」じゃやっぱり締まらないと思うんですよね。そこは「彼ら」だろう、と。ひらがな表記最近気になるのが、「障害者」を「障がい者」という風に表記する類です。まあ、どうしてそんな風に表記するのかなんてことは、もう説明もいらないことでしょう。僕はこの表記方法にやはり疑問を感じざるを得ません。ら抜き言葉よりも、こっちの方がよっぽど読んでいて引っかかります。それならむしろ障碍者と表記するのがすっきりするとも思うんですが、まあ、常用漢字外じゃ仕方ないかなあというところでしょうか。女性差別の表現も含めて、やはり「言葉くらいで何が変わるの?」と思ってしまう気持ちが私にもあります。慣習を破ってまで、読みにくい表現をする必要があるのかどうか。でも、確かに言葉の力を信じている人間としては、言葉によって何かが変わるような気も一方ではしているんですよね。小さなことから積み重ねていくことは何事でも大事なことだと思いますから、まずは言葉から、まずは意識から、としていくことは確かに重要かも……。まあ、読みやすさを損ねるんじゃないかという点は譲りませんけどね!ここらへんをどう使い分けていくのか(あるいは一方を全く使わないのかということも、文字を書く人間にとっては重大な課題となりそうですね。 PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword