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LiteraTech風見鶏

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【ゆる募】の内容。ざっくりバージョン

一人くらい反応してくれたら良いなあと思ってた上記のツイートに、数人からリプライが来たので、今ぼんやりと考えていることをここに書いておきます。本当にぼんやりですので、あしからず。

今はすっかり更新できていませんが、僕はLITECOというサイトを運営しています(このブログのサイドバーと記事下でめっちゃ宣伝してます)。

「文学を学ぶ学生の意識を向上させよう!」と思って、レポートやエッセイなんかを出してもらってたのですが、あまり活発にならないままここまで来てしまいました。

僕なりに考えた理由としては
①レポートを提出してもらってたのですが、ちょっとハードルが高かった(確かにちょっと恥ずかしい)。
②皆さん、だいたい一回きりしか出してくれなかった。
③寄稿者を大学生に限定していた。
④論じる対象を「文学」に限定していた。

という感じになります。

そこで、この反省点を踏まえまして、ちょっとリニューアルしてみようかと思っています。
①レポートではなく、コラム形式の記事を主体にしていく(もちろん、レポートや論文形式のものも受け付ける)。加えて、ニュース記事なんかも考えてます。
②継続的に書いてくれる方を募集する。
③寄稿者の属性を問わない。
④「言語・文学」に対象を変更する。場合によっては、その他の文化事象を論じても構わない。

と、いう感じにしたいと思います。
ちなみに、「文学」の範疇にはアニメとか演劇も含まれています。「言語」も加わったので、大学の文学科でやりそうなことは大体何でも書けると思って頂ければ大丈夫です。

コンセプトとして一つ考えているのは、「硬いものを柔く、柔いものを硬く」です。純文学をポップに語ったり、アニメをクソ真面目に批評したりしていただきたいです(語弊があったらごめんなさい)。もちろん、硬いものを硬く、柔いものを柔く書く人も探しています。

そんなわけで記事を書いていただける方を募集しているのですが、残念ながらお仕事ではないので、報酬は出ません。ただ、もともと収益出して雑誌化したいなあと考えてLITECOを始めたので、収益化する気はあります。そのときは、執筆者に対しての分配はあると考えていただいて結構です(その段階までいくかは分かりません)。

単純に面白そうだと思っていただけた方や、ライターって興味があるけど周りに書けるところがないなあという方は、ご参加いただければと思います。探せば、報酬が出るところは他にあると思います(たぶん)。

報酬が出ないので、代わりと言ってはなんですが、記事には執筆者を明記し、プロフィールなども表示させたいと思っています。自サイトなんかの宣伝をしてくださって結構です。また、所属団体なんかのPRを、記事として書いていただくことも可能にしたいと思っております。

しばらくはサイトに記事をアップしていく形でやりたいのですが、その形態は未定です。とりあえず無料で使えるブログから初めて、行けそうだと思ったらサーバー借りても良いんじゃないかなと思ってます。


最後に、求める人物像を書いておきます。
①継続的に書いていただける方。文字数は特に問わないので、週一ペースでアップしてくれるとサイトが活発になると思います。
②自分から企画の立案ができる方。サイトの運営について、「こういうのやろう!」と自主的に発言できる方が望ましいです。ライターだけではなく、一緒に運営してくれる人を探しています。
③毎日コミュニケーションが取れる方。理想は、「LINEでグループを作ってコミュニケーションをとる」です。

ただ、②については書くのだけやりたい方もいると思うので、ライターだけやりたいか、ライター・編集をやりたいかは最初に言っていただけると助かります。


まだ僕もどうするかほとんど考えていないので、今なら企画立案からばっちり参加できます。
一人ひとりが何か企画というかテーマを持って書ければ良いなあと思っていますが、まあその辺も応相談で。

僕も自分で言ってて頭おかしいんじゃないかと思うんですけど、「無報酬にもかかわらずしっかり書いてくれる人」を探しています。ただ、それもサークル活動や同人活動と同じなんだと捉えて頂ければ幸いです。


何か質問などありましたら、Twitterかメールにお願いします。140字に収まるようであれば、Twitterの方が反応良いです。あと、LINEは訊いてくれたら教えます。

Mail:atohslit1113@gmail.com


よろしくお願いいたします。

「小説投稿サイトに関するアンケート」を取ってみた

こんにちは、あとーすです!

先日、「小説投稿サイトに関するアンケート」を取らせていただきました。
主にTwitterでの呼びかけだったのですが、お蔭さまで114件の解答をいただきました。
ご回答くださった皆様、本当にありがとうございます!

さて、この記事ではそんなアンケート結果を一緒に眺めて行こうと思います。
今回は自由記述欄が多かったので、そこのコメントもいくつかピックアップし、僕もコメントを返していきます!

問1.あなたの性別は?

この辺りは属性に関する質問なので特に言うことはないのですが、まあ参考までに…。

ちなみに、アンケートを取ると毎回女性が多いです。協力的な人が多いのかな?

・女性→84票(73.0%)

・男性→28票(24.3%)

・それ以外→3票(2.6%)


という結果になりました。

問2.あなたの年齢は?

・10~14歳→1票(0.9%)

・15~19歳→41票(35.7%)

・20~24歳→41票(35.7%)

・25~29歳→14票(12.2%)

・30~34歳→7票(6.1%)

・35~39歳→5票( 4.3%)

・40~44歳→2票(1.7%)

・45~49歳→2票(1.7%)

・50~54歳→1票( 0.9%)

・70歳以上→1票(0.9%)


このアンケートを見る限りでは15~19、20~24が多いのですが、Twitterのユーザーも恐らくこの辺りが多いでしょうし、僕のフォロワーもこの辺の年齢の方が多いような気がします。


しかし、小説投稿サイトを使うのは若年層が多い、ということはよく耳にします。


意外と25歳以上の方が多かったので少しびっくりしました。

問3.あなたの職業は?

・学生・生徒→68票(59.1%)

・会社員→15票(13.0%)

・パート・アルバイト→7票( 6.1%)

・主婦→5票(4.3%)

・派遣社員→4票(3.5%)

・無職→3票( 2.6%)

・自営業→2票(1.7%)

・自由業→2票 (1.7%)

・公務員→1票 (0.9%)

・その他→8票 (7.0%)


回答者の70%以上が25歳以下なので、そりゃあ学生・生徒が多くなりますよね…。


主婦の方が5人もいるんですね。自由業の方は、フリーライターとかしてるのかなあ、と想像してます。

問4.あなたは小説投稿サイトを利用(書くor読む)しますか?

・はい→103票 (89.6%)

・いいえ→12票(10.4%)


ご回答いただいた方々のうち、約9割が小説投稿サイトを利用している方でした。


僕としては利用していない方々の意見も気になるところなので、この後、利用していない方のコメントもピックアップしていきたいと思います!

問5.お使いの小説投稿サイトを教えてください。(利用していない方は、「なし」とご回答ください。)

この質問は、複数利用している方のことを考え、自由記述欄としていました。


票の多寡にばらつきはあるものの、合計で36種類の小説投稿サイト(ブログサービスなども含め)が出てきました。


トップ3を発表すると、


・小説家になろう→53票


・Pixiv→42票


・Eエブリスタ→7票


ということになりました。


1位と2位も10票以上の差がありますが、2位と3位の差は歴然。


実は僕、小説家になろうとエブリスタは使ったことがあります。エブリスタは、モバゲーをやっていた頃に使っていましたね……懐かしい。


ちなみに、Pixivは僕の所属する文芸サークルセピアが過去の作品を載せていて、僕の作品も一つだけ載っています。


ちなみに。小説家になろうが多いのは、僕のフォロワーになろう作家の方が多いからかもしれません。というか、個人のアンケートなので、数字はあまりあてにしないでください……。

問6.小説投稿サイトをどのように利用していますか?

・書くだけで、全く読まない→2票(1.7%)

・書くこと中心で、たまに読む→37票(32.2%)

・書くことと読むこと、半分ずつくらい→27票(23.5%)

・読むこと中心で、たまに書く→32票(27.8%)

・読むだけで、全く書かない→10票(8.7%)

・利用していない→7票(6.1%)


大体予想していた通りの結果になりました。


読むこと中心の人よりも、書くこと中心の人が若干多いのは面白いかなと思いました。


一方で、書くだけという人は読むだけという人よりも少ない。

問7.小説のジャンルをライトノベル、エンタメ小説、純文学に大別したとき、小説投稿サイトで4みたい(あるいは書きたい)ジャンルはどれですか?(複数回答可)

・ライトノベル→79票(68.7%)

・エンタメ小説→71票(61.7%)

・純文学→44票(38.3%)

・無回答→3票(2.6%)


小説のジャンルについては定義問題がとても難しいのですが、とりあえずこの3つにしてみました。絶対にこの枠では捉えきれないことがあるだろうと思い、問8を設定しております。


例えば小説家になろうはいわゆる「異世界転生モノ」が多いという評価をネットで見て、ラノベ寄りのが多いのかなあという印象でした。結果を見てみても、ライトノベルを求める人が多いようですね。


この3つ、本当にざっくり言うと、重厚さが増していく(と思われる)順番で並べています。だから、小説投稿サイトで求められているのは軽さなのかもしれません。


けれど、「純文学」と回答している方も結構いて、馬鹿に出来ない数だなあと思います。

問8.小説のジャンルについて、他に何かありましたら自由にお書きください(特に、上のジャンル区分を超えたご意見をお待ちしております)。

これは、気になったものをピックアップし、それに僕がコメントをする形で紹介していきたいと思います!




・二次創作物

→漫画もそうですが、アマチュア・同人は二次創作が好きな方って結構多いですよね。著作権の問題などもありますが、最近では公式がOKを出しているものもあるとか。




・キャラモノ、ストーリーモノ、その他
 ネット小説に限っていうと、SS、短編小説、連載小説、脚本、ポエム、設定集

→キャラモノとストーリーモノという区別を僕は初めて聞いたのですが、一体どういう区分なのでしょうか? キャラが主体のものとストーリーが主体のもの、という理解で良いのでしょうか。SS(ショートストーリー)という形式は、ネット独特な気がします。




・多数決で良いものを決めるのは結構だが、
 今の二つのサイトはポピュリズムに堕し、
 内容の変わらぬアニメ脚本が歓待される。
 内輪話に終始しているように見えるのは、
 その所為だと思う。

→多数決で良いものを決めるつもりはないのですが、ポピュリズムに堕していない純文学もなかなか頑張っているようです。ラノベは、やはりアニメの影響を強く受けているような気はしますね。それと「内容が変わらない」ことに因果関係があるかどうかは置いといて。内輪話は、やはり読み手からするとつらいものがありますかねー。




・ライトノベルをライトノベルと一括りにするのはよくないと思う

→僕もよくないと思っているので、ここにそのアツい思いを書いていただきたかったです。エンタメ小説も純文学も、一括りはよくないですね。



・ネット小説は恋愛や二次創作が多いがホラーやグロテスクな作品は少ない

→どちらかといえば年齢が低い人達の方が多いからかも知れないが私はそういう描写のある作品が読むのも書くのも好きだが少ないせいで「ネット小説ではホラーやグロテスクな作品はウケない」と思ってしまい書いているが投稿できないでいる


・現代社会を中傷した作品なども好きなのに見たらよく荒らしや中傷を受けている
そういう作品は荒らしが増えるというものをなくして欲しい

→ホラー・グロテスク、少ないんですね。確かに、少し年齢を重ねないと理解できない世界なのかもしれません。ネットでそういうものを読みたいと思っている人がどれくらいいるのか、今後もし調査することがあれば、訊いてみたいと思います。中傷の仕方にもよるのかもしれませんね。中傷したのに中傷されたと傷つくのも変な話ですが。程々にすると良いのかもしれません。



・最近商業で出てきていますが、エンタメ(一般文芸)とライトノベルの中間くらいのライト文芸(=キャラクター小説寄りの一般文芸・ライトノベルではないがライトノベル寄りのエンタメ)というジャンルがあればいいのになと思います。先に挙げた小説家になろうなどのSNSだと、文芸と呼ぶにはキャラクター寄り過ぎ、かといってライトノベルに分類するのも違うといった感じで、登録に困ることが多いようなので。

→ライト文芸、初耳でした。エンタメの別名って一般文芸になるんですかね。この書き方だと、ラノベはどちらかといえばキャラ寄りということでしょうかね。



・「純文学」「エンタメ小説」もそうだが、「ライトノベル」もまた区分がひどく曖昧な単語で、未定義きわまりないので個人的にはあまり信用していない。
内容の分類と形態の分類をせめて分けて考えなければならないと思う。

→境界線は曖昧なところがありますが、「ザ・純文学」「ザ・ライトノベル」みたいな作品はあるのかなあと思っています。イメージの話になってしまいますが。内容と分類と形態の分類というのがよく分からなかったので、詳しく書いていただけていると嬉しかったです…。


・主人公を「記号」として扱うジャンル。主人公を群像劇を眺める窓のような立ち位置に置き、限りなく無個性で作中の人物とあまり(ほとんど)関わらず、俯瞰から覗くような存在として書いているもの。

→な、なんか僕がTwitterで書いたのと同じようなことが書いてある……分身なのか。と思ったら、「主人公が」記号なのですね。これってジャンルなのかなあ。



・同性愛小説。
 特にGLは区分分けされていないことがあるので困っています。

→BLだけ区別されているとかあるんですかね。苦手な人は、苦手なんですかねえ。




・教科書に載っているような、かたい文章のお話が読みたい。

→「小説投稿サイトでずっと書いてました!」みたいな人が商業誌デビューした挙句に教科書に載るような時代が来ないですかねえ。そのうちハルヒとか教科書に載りそうな気もしてるんですけどね。



・異世界ラノベじゃないものを読みたい

→(某サイトのことだ……さっきも書いたけど)


問9.「ネット小説」というとどのようなイメージがありますか?

この質問、僕は「なんとなく悪いイメージがあるんじゃないかなあ」と思って作りました。ネットに上がっている小説全てがというわけじゃなくて、「ネット小説」という言葉がね。



・気楽に読める半分、面白い作品は少ない。好き嫌いが分かれる。生物を扱った物や二次創作、三次創作などグレーゾーンの作品も多く著作権を意識している人が少ない?

→まあ、誰でも書けるので全てに高いクオリティを求めるのは酷な話でしょうね。ところで、生物は「なまもの」と読むべきなのでしょうか……無知ですみません。


・ケータイ小説のような薄っぺらさを感じる

→ケータイ小説とネット小説の区別も難しい気がしますね。ケータイ小説って散々たたかれてたイメージが僕にはあるんですが、そんな感じで捉えられているのでしょうか。



・似たり寄ったりのライトノベルやハーレクインもどきが多数を占めている。

→もどきって言われちゃってる……。


・上手い下手関係なく、誰でも創作できる、いわば「入り口」見たいなイメージを持っています。

→小説を書くハードルが低くなったということは良いことですよね!


・文章作法を知らずに書いている人が多い。

→これに憤っている人をよくTwitterで見ます。(僕も同じようなこと言ってたんですけどね)


・横書きで改行が多め。
・従来のしきたりにとらわれない(段落の付け方や句読点の付け方といった文章のルールなども含めて)

→ネット小説独自の進化を遂げているような気がしますね。これが良いことなのか、悪いことなのか。


・基本的には金銭の絡まない個人が自主的に行っているものなので、出来の高低が激しい。また定期的な連載を望みにくい。というか、「連載」文化はあると思う。ところでこのアンケート、「ネット小説」サイトに関するアンケートだと思うんですが、実情や実感ではなくイメージを問う意義が見えない。
「ネット小説」というのもあんまりな大分類で、だいたい大きな(そして主観まみれの)主語に使われるので、イメージは色々と先行しているとは思う。

→このように「連載文化」があると答える方がいる一方、短編が多いと答える方もいました。書籍化を目指すようなものは、連載するんですかね。アンケートについては、僕が気になったことを並べているだけなので、まあイメージも聞いとこうかなと。サイトに投稿している人としていない人のイメージ比較ができればなあと思ったのですが、後者があまりいなかったので断念しました。「ネット小説」が大きくて主観まみれの主語に使われているというのはもっともだと思います。そして、このアンケートでやっぱり悪いイメージが先行しているのかなあと感じました。が、意外と悪いイメージを持っていない方もいましたね。


・読みやすくとっつきやすいので、これから色々な人が触れていく文学になるだろうと思っている。けれど、純粋な文学と認められるには未だ足りないものは多いように思う。もちろん、純文学をネット小説としてお書きになっている方もいらっしゃることは知っているが、それ以上にラノベ的な雰囲気の作品が圧倒的に多すぎる。メディアや商品としての価値は実証されている通りとても高いのだが、年配層からの支持を受けるのは難しいだろう。正に、現代的な文学と言えるのではないだろうか。

→現代的な文学! これからはラノベ的なものが主流になるのでしょうか? 何度も繰り返すようですが、僕はネット小説の文脈から純文学的なものが出てきて欲しいですね。

問10.小説投稿サイトのTwitterアカウントをフォローしていますか?

・はい→22票(19.3%)
・いいえ→92票(80.7%)

予想よりかなり少なかったです。小説家になろうアカウントのフォロワー数がやっと1万ちょっとなので、そんなもんですかね。

問11.上の質問に「はい」と答えた方は、そのサイト名を教えてください。

当然のようですが、「小説家になろう」が多かったです。
他のサイトについては、下に載せるアンケート結果URLから。

問12.小説投稿サイトのTwitterアカウントにはどのような情報を投稿してほしいですか(RTも含めて)?

・メンテナンスの開始、終了のアナウンス。
・おすすめ作品の提供ポスト。
・コンテスト情報
・サイトを利用しない第三者にも読まれるような動き
・我々(外輪)から見た意見を書く識者
・創作に関係する公募の情報(小説や絵本のコンクール等)
・企画やらなんやらで普段日の目を浴びない書き手を掘り出す手伝いをしてほしいと思う。
・文章構成の技術などの解説。

みたいなことが書かれていました。公募情報は、専門のサイトがあるのでそちらを見れば良いと思うのですが、小説投稿サイト側でも流すと喜ばれる?

ところで、こんな意見もありました。

・メンテナンス情報と企画の開催概要だけでも投稿してくれればそれで十分です。
 RTで投稿作品を宣伝されてしまうと、その多大な数に流され他の情報を見落としてしまう可能性があるので。

他にもいくつか、同じような意見が見られました。サイトURL付きのツイートをRTすることは歓迎されないのかもしれません。

問13.お使いの小説サイトで、何か不満な点がありましたら、お書きください。その際、後ろにカッコ書きでサイト名を付けてください。 例:○○なところをなおしてほしい(サイト名)

●全サイト
・自演対策して欲しい。ランキング上位がつまらないと面白いの探すのが難しい
・サイトによって好まれるジャンルが偏っていること。オールラウンダーなサイトを利用したい
・同じような内容の小説ばかりがランキング上位を占めているのは納得いかないので内容別ランキング欲しい
・連載中でない作品は、完結している良作であっても埋もれてしまい読まれなくなってしまう(読みたくてもなかなかたどり着けないなど)ことはなんとかならないかと思う。

●小説家になろう
・18禁などの小説を投稿すると、男女別にされてしまう。書いているこちらとしては、心情や性描写などどちら向けでもなく書いているので、分けないでほしい
・評価ポイントは1~5ポイントの間で入力出来るが、その平均を取ってソートする機能がないため、実装して欲しい
・書籍化する事で内容が大幅に変わるのに削除をする事。
・似たような傾向の小説ばかりとりあげている
・ランキングなど、特定の傾向のもので埋まってしまいそこから外れた傾向の面白い作品が上位に上がってこないこと
・検索が使いづらく読みたい傾向のものになかなかたどり着けないこと
・最近は商業出版社の草刈り場となってしまっていること
・読者との距離が近すぎるためか荒らしや中傷コメントが発生しやすく、作者が潰れてしまいやすいこと
・完結作品にまで更新されていない作品という表示が出てしまうことは何とかしてほしい
・話ごとではなく作品全体の.txtを一括でダウンロードする機能がほしい
・internet explorer以外のブラウザでも縦書き執筆が出来るようにしてほしい
・感想欄への書き込みで、極少数ですが非常に不愉快な読者がいること
・えげつない広告はなんとかならないのか
・高機能執筆フォームというのを使ったことがあるのですが、それほど使いやすくない
・小説を投稿しようとするととてもややこしい

●pixiv
・R-18と一般のように、BL、百合、ノーマルカップリングなど住み分けして検索をしたいです
・縦書き表示に対応してもらいたい
・作品を.txtでダウンロードできる機能がほしい
・好きではない類いの広告がよく流れてくるので撤廃してほしい
・表紙の修正が有料会員限定のところ
・シリーズ物の管理(名前変更や並べ替えなど)ができないところ
・タグ付けの有無・各タグの優先度の曖昧さ、ランキングの特定ジャンル占領
・レイアウトが統一化されがちで、作品ごとの視覚的な新しさというものが薄い

他の小説投稿サイトについても、いくつかありました。気になる方は、下の方にアンケート結果へのURLを貼るので、ご確認ください。

問14.小説投稿サイトにあったら良いなと思う機能・企画があれば教えてください。

●機能
・ケータイ版はその人の書いたその作品のタグに絞り込める機能がほしい
・同じ一つの文章の中でフォントを使い分けたり、文字の大きさや色が変えられたらいい
・設定別に細かいタグ検索(マイナス検索含)
・分野別に投稿時期の古いものでもおすすめが出てきたりすると便利
・投稿、更新時期での検索
・目次を飛ばして1ページ目までジャンプする機能
・スマホでもPCと同じ様にできる事
・自分のつけたい場所に振り仮名をつけられるのが便利
・イラストレーターさんが気に入った作品の挿絵を描いてあげられるような、それを読者が見ることが出来るような機能。
・公正で誰もが納得できるような評価機能
・作者同士が交流できるような機能
・サーチエンジン並の細かなカテゴライズ。ランキングから拾うのではなく、検索し易さを求めています。
・個人のホームページやTwitterをリンクにできる機能。


「マイナス検索機能」は複数の方から意見があり、僕もあったら便利だなあと思いました。

スマホで書きやすい、ということも重要ですよね。僕は本腰入れてキーボード叩くスタイルの方が好きなのですが、思いついたときにすぐ書けるのは確かに便利。


●企画
・詩に関する企画
・作品数の少ないジャンルにスポットを当てた企画
・運営がいくつかお題を出し、それに沿った小説を書いて投稿するような企画
・自分たちで相談して企画を立ち上げたりとか(運営側から提案されたものではなく)。

詩に関する企画! 確かにあまり見ないような気がします。「小説」投稿サイトではありますが、ジャンルに「詩」を設けているサイトもありますし、もう少し注目されても良いような気がしますね。

ユーザー主体の企画とかも面白そうですね。ちなみに僕は今、Twitterの呼びかけで集まった人たちとリレー小説して、それを小説投稿サイトに載せようかという話をしています。
大きくなってきた自主企画を運営が公式企画にする、なんてのも面白いかもしれませんね。

問15.その他、何かありましたらお書きください。

・自身のサイトも萌えや理想の形を晒すものだが投稿型の方が気楽な上、SNSのような側面を持つために長続きしやすいと思う。ある程度書き溜めたらサイトを持つのがベストか。

→ある程度書き溜めてからサイトに移行する人は多いのでしょうか? 投稿サイトをSNS感覚で利用し、宣伝の為に利用しても良いかもしれませんね。イラストや絵の世界では、ピクシブがそういう役割を果たしているのではないでしょうか?


・ネット小説投稿サイトの現状においては、規模の小さなサイトでは作品が多くの人に読まれず、規模の大きなサイトではあまりにも多くの作品が投稿されている為、優れた作品が埋没し、陳腐で大衆迎合的な作品が注目される傾向にあると思われる。
優れた作品が多くに人に読まれる為には、ジャンルや傾向等を細かく分類したり、優れた作品をピックアップするといった工夫が必要ではないかと思う。
ただ、分類を細かくしすぎると煩雑になったり、ピックアップされる作品をどう選ぶかといった問題が生じ、難しい問題ではないかと思われる。
個人的に思っているところを勝手気ままに書き殴りました。自分勝手なことを述べまして失礼いたしました。

→大衆迎合亭な作品が注目されることは当然といえば当然ですし悪いことではないのですが、仰る通り何かしら違うタイプの良作を発掘する仕組みが欲しいですよね。サイト側が企画を打つなり、個人で探してリンク集を作るなり。


・サイトを立ち上げる知識が無くとも、小説が自由に投稿・発表できるようになって、喜ばしいと思う。

→小説投稿サイトの良いところは、やはりこれに尽きるんだと思います。僕は自分で同人誌発行したりしていますが、色々と面倒臭いことも多いです。しかし、そんな面倒なことをしなくても小説を発表する場は十分に確保されている。良い時代になりました。

まとめ

今回のアンケートによって、小説投稿サイトに対して抱く思いは人それぞれだなあと改めて感じました。

このアンケートの結果を受けて、僕がどうするということは特にありません。個人レベルでできることならば何かするかもしれませんが、当然大きなことは無理ですからね。

しかし、ここに集まった意見を読んだ皆様の意識が少しでも変わるようなことがあれば、アンケートを取って記事を書いた意味があるのかなと思います。


今回の記事では取り上げなかった意見がまだまだたくさんあります。
誰でも自由に結果を見ることができるようにしていますので、気になる方は是非ご覧になってください。
「小説投稿サイトに関するアンケート」結果



ところで宣伝になるのですが、最近「taskey」という小説投稿サイトが運営する「taskey U」というメディアで記事の執筆・編集をさせてもらってます。まだプレオープンの状態ですが、人気のある作品は順次翻訳されるそうです。今後が楽しみなサイトですよ!

リレー小説企画参加者募集。責任感のある人求ム。

リレー小説をやりたいなあと思い、募集をかけてみました。

予想以上に反響がきたので、早速やってみることに……。
以下、参加方法とその後の流れです。

なお、勝手ながら第一回の参加者募集は2014/12/31で締め切らせていただきます。
新年明けてから開始です。盛り上がれば、第二回も企画します!



①Googleアカウントを用意する。

Googleが提供するクラウドサービスGoogleDriveを使う為、Googleアカウントを取得してください。後にも説明しますが、チャットサービスのハングアウトも使用します。

ファイル共有やチャットなどでは、Googleアカウントに登録した名前が表示されます。本名を出したく無い方は、ハンドルネームでアカウントを取得するなど適宜対応をよろしくお願いいたします。

②あとーすにメールを送る。

僕のメールアドレスに、Gmailのアドレスでメッセージを送信してください。リレー小説用のファイルとハングアウトに招待します。

その際、Twitterアカウントをお持ちの方は、IDを記載してください。連絡などに使用する場合があります。
できれば僕のアカウント(@ATOHSaaa)もフォローしていただきたいです。企画参加者でフォローしていただいた方は、全員フォロバします。

アドレスはこちら。
atohslit1113@gmail.com

③リレー小説ファイルとハングアウトに招待。

メールを頂いた方には順次、リレー小説用のファイルとハングアウトへ招待いたします。

GoogleDriveでのファイル共有が久しぶりなのと、ハングアウトを使うのが初めてなので、多少まごつくところがあるかもしれません。ご了承ください。

GoogleDriveはブラウザ上で動きますし、スマホアプリがあります。ハングアウトもChromeアプリとスマホアプリがあります。どちらもスマホアプリのインストールをおすすめします。分からないことがあれば、メール(atohslit1113@gmail.com)かTwitter(@ATOHSaaa)まで。

④細かいことを決める。

一回500字以上で回す、ということしか決めていないので、細かいことを参加者全員で決めたいと思います。

ここで、チャットサービスのハングアウトを使います。重ねて申し上げますが、僕はこのサービスを初めて使うので、色々とトラブルが起こるかもしれません。知っている事がある方がいらっしゃいましたら、積極的に協力していただけると嬉しいです。

決めることは、どのくらいのペースで回すか(24時間以内と書いていましたが、その辺も調整していいと思います)、設定はどの程度決めておくのか(全く決めないの、アリだと思います)、順番はどうするのか、発表するか否か、発表するとしたらどこに発表するのか、などなど。

ここだけは主催者としてどうしても譲れないところなのですが、一次創作(オリジナル)でやりたいと考えています。

それから、いわゆる「最低限の小説作法」というやつだけは知っていて欲しいと思います。何だそれはという方は、そっと「小説 作法」でググッてみてください。

僕の方から、最低限決めなければならないと考えていることをリストにまとめておきます。

サクサクと決めてしまいたいので、会話の状況を見ながら、僕が決定していきたいと思っています。スムーズな進行にご協力ください。

⑤執筆の方法。

どういう風に執筆を進めるのか書いておきます。あくまで提案ですので、何かご意見がありましたらお願いします。


・自分の番が来たら、文章を書く前に誰がいつ書いたか分かるようにマーキングする。たとえば「あとーす」が「1月1日」に書いた場合は<あとーす0101>という風に書いてから自分の文章を書き始めます。以下のような感じになるかな?

<あとーす0101>
 その時、彼は眠っていた。…



<山田太郎0102>
 電車が通り過ぎると、そこにはさっきと変わらない夜が広がっていた。…




・書き終わったら、ハングアウトで「書きました!」と宣言をする。この宣言から24時間以内に書く、というルールにしようかと思っていたのですが、午前3時頃とかに宣言されると困るなあと思い、色々悩んでいます。

おしまい。決めることリスト。

上記のような流れでやります。僕の方で提案する、決めることリストを書いておきますね。

・文字数は本当に500字以上で良いか?

・時間制限は24時間で良いか? また、どこから起算するか。

・時間制限を守れなかった人に対してはどういう対処を取るか?(その回は飛ばして次の人、以降執筆禁止、など)

・執筆者の途中参加を認めるか否か

・執筆順はどうやって決めるか(くじ引きにしたいです)

・いかにしてリレー小説を終わらせるか(○○周したら、○○字を超えたら、など)

・この企画についてTwitterでつぶやくときに、ハッシュタグが必要ではないか(提案、#500RelayNovel)

・設定はどの程度決めておくか。

・完成した後、どこかに発表するか? その際、どこへ発表するか?(どこかのサイトに掲載が良いと思います)



以上。このくらいかな。
なお、作品の著作権は、著作者全員で保有することになりますので、無断で他のサイトなどへ転載することはお控えください。

分からないことや意見があれば、ガシガシTwitterやメールへ!
よろしくお願いいたします。

熊本大学演劇部「赤信号でもススメ」 観劇してきました

12月13日の14:00~と19:00~、14日の14:00~の3回、熊本大学演劇部(以下、クマエン)の公演が行われた。僕は最初と最後の2回観た。力のある良い芝居を見観ることができた。


以下、あらすじ。
売れない劇団熱帯低気圧は大きな公演を間近に控えていた。そんな中、劇団員のマイコがお金を持ち逃げしてしまう。焦った座長のハジメは、結婚資金の頭金として母親からお金をせびることを決意する。しかし、結婚相手などいないし、協力してくれる女性もいない。そこで、劇団員のケイジに女装をさせて何とか誤魔化すことにする。


あとはまあ、有名俳優の兄と演技に対する考え方が違ったり、妹はその二人の兄の考え方の違いの間で悩んだり、といった内容だった。最後には母親がハジメのことを認めて終了。大団円。最後にどんでん返しがあれば「なーんだ予想通りの結末だった」なんて言われずに済んだかもしれないけれど、終わり方に関して文句はない。ケイジの女装を見破れなかったハジメの兄の滑稽さが際立つ終わり方で、面白いなあと思った。

コメディベースの展開にシリアスな場面や警句を混ぜ込む、ある種の型通りのお話だったから、まず女装を見破られるか否かという一本のストーリーラインを笑いながら楽しむことができる。あとは、劇中に出てきた「リアル演劇」ということについて考えさせようというのがこの脚本の意図では無かったろうか(違ったらごめんなさい)。

劇中で明言はされなかったものの、舞台は近未来であったはずだ。日本でも同性婚が認められるようになった未来。そして、二十面相事件以来「リアル演劇」がよろしくないとされる未来。これはある種のディストピア(と書けば、少しかっこよくなるかな)を描いている。現代でもテレビドラマでは下手くそなアイドルたちが演技をしていて、ストーリーもくだらない(ということになっている)。そんな状況がこのまま続いた後に想像される世界が、つまりこの芝居の世界だったのだろう。

兄が漫画原作でも何でもないドラマで突如として「出でよ、ブルードラゴン!」と叫ぶシーンがあって笑いを誘っていたけれど、あれが現実になったらと思うと恐いし、そういう現実が来ても別におかしくない。そういう風に価値観が更新されることはあり得る。僕だって、歌舞伎を手放しに面白いと絶賛することはできない。時間が経っていけば、「リアル演劇」などと中傷されることも考えられないことではない。何か事件がきっかけとなっているのなら、なおさら。

ただ、今回の芝居がいわゆる「リアル演劇」であったかというと、それも分からない。ギャグマンガ的・アニメ的なストーリー展開だったから、これを「リアル」として捉える人はいないだろう。なんと言えば良いのだろう、僕にはその矛盾が何ともいじらしく見えたのだ。

とまあ、自分でそんな風に勝手に考えたことも含めて、僕はこの芝居を「おもしろかった!」と評することができた。あとは、思いつくままに指摘してゆく。


・もしも舞台が本当に近未来であったとするならば、それをもう少し全面に押し出しても良かったかもしれない。「二十面相事件」などと聞いたことのないワードが出てくることからも推測することはできるだろうが、もう何個か散りばめても良かったのではないか。あるいは、僕が気づかなかっただけかもしれない。

・ハジメの兄と妹が踊るシーン。二回とも観て二回とも兄が父親の遺影を帽子で隠していたので、これはリアル演劇に固執して死んだ父親の否定を表しているのかなと思った。その遺影は、彼らが登る「トップへの階段」の上にある。兄にとっては、父親は上にいる存在であり、かつ否定すべき存在だったのだ。違ってたらめっちゃ恥ずかしい。

・ケイコと電話番号を交換するシーン。あの時に妹と母親はケイコが男であることを見抜いていたはずだ。母親の「別に偏見はないけれども」という発言から間違いない。妹は何故ケイコの電話番号を訊いたのかと考えるときに、僕は真っ先に「ケイコの性別を知るため」という風に考えた。赤外線通信で送信したら、きっとケイコの本名で登録されるからだ。しかし劇中では、妹との電話番号交換は後に稽古場を訪れるための布石として、兄との交換は有名人であるにもかかわらず交換する=ケイコに好意を抱いていることの表れ、を示すために用いられる。僕は密かに、妹がラストシーンで「お兄ちゃん、電話帳開いてみて。ケイコさんの名前ある?」と訊くのを期待していた。ここ、長くなってしまった。

・ハジメがうどん屋で財布を無くす件はいらなかったと思う。とても滑稽でシーン単体は面白く観ることができたけど、物語上の役割がいまいち分からなかった。財布を探すために更なる展開があるのならば、物語に深みが増して良いと思うのだけど、すぐに見つかってしまっては意味がない。

・最後が大団円なのは良いんだけど、母親がハジメを許す理由に乏しい。もっとガッツリと劇中劇の内容を見せて、母親から理解を取り付けた原因を示すべきだと思う。言うのは簡単だけど、きっと実現は難しい。でも、そうすればもっと意味のある脚本になると思う。

・一日目は卓と同じ側にいたから全然気づかなかったけど、二日目に反対側から見たら卓が丸見えなのはめちゃくちゃ気になった。舞台で遊ぶのは良いけれど、卓が見えるリスクを冒してまであの形状にする必要はあったのかな、という疑問も残る。特に親父の遺影役がジャージ姿で卓についているのは大変気になった。せめて卓につく人に何か統一感を持たせるべきだったと思う。衣装揃えるとか。黒子なんかは出てきても「見えない約束」として処理することができるから、何かそういう工夫が欲しかった。

・舞台構造に関してもう一つ言うと、途中でお客さんを入れるときにも、後ろから入れることができないので、入ってくるときにめっちゃ気になった。

・ただ、二つの場所の距離を表すことができているのは良かったし、面白かった。真ん中の台もうまく使えていたし、演劇でしかできない手法ではあると思う。メリット・デメリットあると思うけど、手法と面白かったので◎である。

・ていうか、全体的に舞台凝ってた。面白かった。照明もたくさんあったなあ。

・衣装めっちゃ良かった! かーみんのセーラー服がちょっとわざとらしいように感じたけど、あれはリアル演劇が衰退した未来においては制服はキャラダチしなくちゃいけないのか、するとさかほーの普通のスーツが「地味」と言われていたのも頷ける…なんて一人で考えて盛り上がってたけど、冷静に考えたら違いますね。

・衣装続き。バルタンの和服、せのの有名俳優風の衣装が特に良かった。わざとらしくない程度に演劇チックだった。衣装担当の演出に拍手。

・音響も効果的に使われていて楽しかった。ややミスが目立った感はあるけれど。

・照明も色を結構使っていたけれど、印象に残るような演出は無かった。まあ照明ってそんなものかも。





役者について。僕が言えることじゃないけど、ということも含めて。ご了承願います。


・全体
稽古の時間が足りていなかったという話を聞いていたけれど、それが何だか分かるかなあという感じだった。台詞を噛む・間違える回数が多い。自分もよく間違えるのでまあそんなもんかという気持ちで観ていたけれど、例えばもしもこれがお金をとる公演の場合、「完成度」というところで一つ問題があったのかもしれない。その辺、僕の主観では無くてちらほら耳にします。

・松尾壮将(松尾くん)
こんにちは、はじめまして。下の名前は何て読むんだろう? とりあえず、松尾くんと呼ばせていただくことにします。何かあだ名ついてたら教えてください。
彼の演技は初めて見たのだけど、やや固さがあるものの声はしっかりと出ていてメリハリも効いていて、なかなかしっかりできているなあと思った。堂々としてる。経験者なのかな? 全身も去ることながら、脚が細いので女装させる役としては良いチョイス。

・坂本峰(さかほー)
ハジメの周りからの評価って「一途でまっすぐ」とか「適当」とか一見矛盾するものなんだけど、さかほーがやるとうまい具合に止揚されているような気がする。ああ、いるいるっていう感覚。全体的にいい意味で「気の抜けた」演技、僕は好きでした。
ただ、これは本当に僕が言うなよって話なのですが、滑舌にやや難アリかな? 役者としての味はもう十分にあると思うので、長ゼリフや演技的に演技するところをもっとはっきり言うことができれば良いんじゃないかなと思った。僕は、長ゼリフと劇中劇のところ以外はだいたい聞き取れました。クマエンで今後に期待したい人ナンバーワンです。あの演技、好きだよ!

・山崎葉月(葉月ちゃん)
成長著しい。場数を踏んだ成果でしょうか。DENGEKIのときに繰り返し、ゆっくり話すようにと指導されたのが効いたのか、めちゃめちゃ伝わりやすい演技だった。ただ、他の役者と比べると少し表情に乏しいかなという印象もアリ。そういう演出だったのかもだけれど。
ただ、通常の葉月ちゃん(最近あんまり会ってないけど)からの変身ぶりは凄くて、それゆえ感じるものは僕の中で多々ある。今回の芝居では恐らく演者中もっとも普通の人であることが求められる役だったのではないでしょうか。そうか、そう考えると、あまり表情豊かすぎても困るのか…。世渡り上手で物事を冷徹に見ている感じは出てた。今度は、何か面白い役に抜擢されることを期待しています。

・清田奈々美(かーみん)
牛山ホテルも観たけど、もうかーみんは一つ完成されているなと思う。それは入部当初から思っていて、抜群にうまい。僕がとやかく言うのも恥ずかしいので、何も言うまいと思います。
ただ、これからは「かわいい」役以外にも出て欲しいなという希望が。毎回きゃぴきゃぴした感じが全面に押し出されてると思っていて(牛山は少し違うかもだけど)、そういう感じじゃない役が観たい。これは次の脚本・演出さんへの要望です。

・瀬上大輝(せの)
牛山ホテルの時にも書いたけど、成長しすぎていてマジで引くレベル。入部当初は経験者だったらこんなもんかなくらいだったんだけど、今では僕の中でケチのつけようがない。合宿辺りからヤバい。何本もの作品に出たのが功を奏したのだろうと思う。頑張った人には、やっぱり良いことがあるものです。努力の賜物。褒めすぎも良くないから、これくらいにしておく。
ただ、何だか「いやらしい」役が多い気もするので、次は違う感じのが観たい。あと、声の出しどころ(?)がどの役でも一緒のような気がしてて、声の出しどころまで変わるような役が良いなあ。声の出しどころって何だという文句は受け付けます。

・宮崎恵里(バルタン)
正直、台本の読み合わせをしているところに初めて遭遇したとき、凄く独特の読み方をする子だなあと思ってた(ごめん)。でも、めちゃくちゃ味のある演技になってて、老婆役ならクマエンで右に出るものはいないんじゃないだろうか。そういえば前の公演も老婆だった。演出ナイスチョイス。かーみんとかせのにも同じこと書いたけど、バルタンの違う姿に期待。
あと、今回の髪型めっちゃ良かった。役に合ってた。

・白武司(しらたけくん)
最後のちょい役だったけど、印象に残るおいしい役だった。ずるい。
DNGEKIのときより落ち着いて演技ができていたように思うのは、あまり気負っていないせいか、それとも努力の成果か。いずれにせよ、今回堂々としてたし良かった。次回は、もっと大きな役に期待。


僕の中では、やっぱりせのとかーみんがずば抜けてうまいなあという印象。他の演者も味があって良いと思うけれど、「上手い人」と訊かれたらこの二人かな。自分のことを棚に上げて、贔屓目無しに、一観客として見るとそんな感じ。

『待兼山文学 第二号』を読んで 雑感

大阪文学フリマ戦利品の一つである『待兼山文学 第二号』をやっと読了した。手をつけるのに時間がかかったけれども、読み始めると夢中でページをめくっている自分がいて、何だか少しおかしかった。以下、書く作品を読んで感じたことを書き残しておきたいと思う。


●河上真冬「ホチキスの針」
以前、無間書房ブログに1000字程度の批評を書いたので、そこへのリンクを貼っておきます。
『待兼山文学 第二号』より「ホチキスの針」を読んでー加虐と自虐の一体性ー



●伊藤広晃「客星」
クトゥルフ神話の世界観を借りているのだと、読んでいる途中で気付いた。僕はその方面に造詣が深くないからよく分からないのだけれど、このようなある種二次創作的な試みは盛んに行われているものなのだろうか? 

文章は良くも悪くも「厨二的」と評することができる。かなり洗練されているなと感心して読んだのだが、このような文章作法にもクトゥルフの影響があるのだろうか? 他人の文法を真似するというのは並大抵の努力でできることではないので、その辺りも気になるところである。



●吉村雄太「黒い鳥と自動販売機」
小説に初挑戦と編集後記に書いてあったが、それにしては見事。僕なんかより数段うまい。
夢と現実を重ね合わせているところに作品の妙があると言えるが、いささかその手法だけに満足してしまっている感がある。ただ、その繋ぎとして「カラス」を挿入したのは見事であった。

この手の小説は、基本的には社会的・風刺的に読むことを強要される。作者がどのような話を書こうとしたかに拘らずに。

人間一人では狩りもできずに何も食べることができないくせに、自動販売機なんかに頼って生きている。もしも資本主義経済という大きな黒い鳥が死んでしまった場合、僕らはどうするのだろうという風刺だ。手垢がついているテーマという感は否めないが、それを夢に出てくる黒い鳥とダブらせ、鮮明に読者の記憶に留めたことは素晴らしいとしか評しようがない。



●「「あの花」に見る深夜アニメ批評」
あの花から導き出されたものを深夜アニメ一般に敷衍させるのかと思っていたが、作品論のみに終始していたのが残念。また、やや主観的で感想文めいているという感想を抱いたことも事実である。

ただ、試みとしては非常に面白い。僕はほとんど未読だが、サブカル批評の本はたくさん出版されているので、そこで用いられている手法などで分析を試みれば「深夜アニメ」を「文化」に昇華されるという筆者の意図に適った論評ができるのではないだろうか。

瑣末なことだが、アナルはアナルと書かなければならないように思う。気持ちは分かる。痛いほど分かる。しかし、そこはアナルと書くべきである。アナルと書くべきである。大事なことなので、二度書いておく。

じんたんやその他のキャラクターがいわゆる「アニメ的」では無いという批評があったが、「まどマギ」に関して同じような感想をどこかで聞いたことがある。曰く、「さやかだけは人間的造詣が施されている」と。何故そのように描かれているのかも分析されていたように思うけれど、忘れてしまったのでここには書けない。

さて、そこにアクセントとして、メンマのアニメキャラ的造詣が加わるという論旨だったように思う。つまり、メンマは萌え豚ホイホイだったわけだ。なるほど。



●「蝶の紋」羽佐田晃佑
よくできたゴシック小説という感じ。「精神病」という共通項もあって、『ドグラ・マグラ』を思い出した。遺書という形式も面白かった。

ただ、明治浪曼か大正浪漫か昭和浪曼か分からないけれど、やや古風な時代背景と言葉遣いが読者(つまり僕)との間に懸隔を生んでいて、個人的にはあまり好きではない(あくまで、個人的に)。しかし、その設定と文体が更なる怪奇性を付与していることは紛うことなき事実である。

怪奇小説好きの方にはオススメの作品。僕は泉鏡花も夢野久作も安部公房も何だか肌に合わないので、ダメである。


●「私的用語集」日谷良平
出色。あまりにも好きなので、何も書きたくない。

例えば純文学の定義なんぞはアカデミックな立場から言えば全然違っているのだろうけど、そういう見解は受け付けていないようだし、ある種真実だと僕も認めるところなので、特に何も書かない。

一緒にお酒を飲みながら、日谷氏の文学講義を拝聴したい。本誌未読の諸氏は、「私的用語集」を最初に読むことをオススメする。


●「クリスマスの夜に」福原崇太
このニッキーはとんでもなく長生きなのか、はたまだ四代目くらいのニッキーなのかと読了後に考えたが、まあどうでも良いことである。勝手にクリスマス氏は老人だと想像していただんけど、もしかして壮年男性なのかな……?

「ピカイチ」がこの物語の世界観の全てである。勿論他にも構成要素はたくさんあるのだが、ウォーリーとデイヴィッドが「ピカイチ」と言い続ける作品であることに、この作品の良さが詰まっているのだと僕は思う。


●「沈黙の時間」船津拓実
突然の女性との出会いと、衒学と、カフェと、音楽と、本とに村上春樹を。退廃に太宰治を感じた。足して2で割ったような感じだなあと思っていたんだけど、よく考えてみたら春樹成分の方が多いかもしれない。

しかし、ただのかぶれものでは無い(春樹も太宰も影響を受けていなかったらすみません)。筆力がめちゃめちゃあって、簡単にこの世界観に引き込まれてしまう。筆力もさることながら、本を読むことも好きなんだろうなという風に感じた。読んでいてどういう書き方をされていたら気持ちいいかということがわかっている(というのは、読んでいて僕が気持ちよかったというだけのことなんだけど)。

話の構成も全体的に凄くよくできていて、批評したくないんだけど、最後に語り手が批評家めいた顔をしない方が良かったんじゃないかと僕は思う。変に寓話的になってしまう。同じ過ちを芥川が「酒虫」でやってのけている。答えは全部削るべきだったんだ。しかし、その語り手からの答えを踏み台にして、読者が別の答えを見つけられなければならないのかもしれない。

芥川龍之介「酒虫」先行研究目録

先日、演習の講義で芥川龍之介「酒虫」を取り扱ったのですが、先行研究を探すのに大変苦労しました。そこで、「酒虫」を研究材料にしようと考えている人のために少ないながらも文献目録を残しておきたいと思います。他にも芥川の「酒虫」に言及されている文献を知っている方がいらっしゃいましたら、お知らせいただければと思います。


●単行本
稲垣達郎 「歴史小説家としての芥川龍之介」『芥川龍之介研究』1942年 河出書房
吉田精一『吉田精一著作集第一巻 芥川龍之介Ⅰ』1979年 桜楓社
菊池弘 「芥川龍之介の歴史小説」 『芥川馳之介 表規と存在』1994年 明治書院
菊池弘・他編『芥川龍之介事典(増訂版)』関口安義「酒虫」 2001年 明治書院
志村有弘編『芥川龍之介大辞典』矢作武「酒虫」2002年 勉誠出版
関口安義・他編『芥川龍之介全作品事典』菅聡子「酒虫」 2000年 勉誠出版

●雑誌掲載論文
孔月「芥川龍之介「酒虫」における治療と病の寓意――『聊斎志異』の「酒蟲」との比較をとおして」(『文学研究論集』27 2009年 筑波大学比較・理論文学会) PDFへのリンク
広瀬朝光「芥川『酒虫』の文芸性」(『愛知大学国文学』16 1967年 愛知大学国文学会)
単援明「芥川龍之介<変者>の系譜――「鼻」「酒虫」「芋粥」」(『熊本工業大学研究報告』24 1999年 熊本工業大学)
小谷瑛輔「芥川龍之介の初期作品における反語的完結性――「羅生門」「鼻」「酒虫」を中心に」(『国語と国文学』87 2010年 ぎょうせい)
林[ハイ]君「芥川龍之介「酒虫」論」(『国文白百合』37 2006年 白百合女子大学国語国文学会)

●同時代評
「芥川君の作品(上)」江口渙「東京日日新聞」 大正6年6月28日
「芥川君の作品(下)」江口渙「東京日日新聞」 大正6年7月1日

※「東京日日新聞」に掲載された江口渙の評論は、『新聞集成芥川龍之介像一』(1984年 岩波書店)によって閲覧。未確認だが、『芥川龍之介研究資料集成 第一巻』 (1994年 日本図書センター)でも閲覧可能という。

天野喜孝展に行ってきた@熊本市現代美術館



熊本市現代美術館では、2014年9月27日から11月23日にかけて天野喜孝展が開催されている。15歳からキャリアをスタートさせた彼の集大成というべき展示と言えよう。

天野は15歳でタツノコプロダクション入社。みなしごハッチやヤッターマン、ガッチャマンなど大ヒットアニメのキャラクターデザインを手掛けている。その後も『吸血鬼ハンターD』や『グイン・サーガ』などの挿絵を担当し、四半世紀に亘って世界中で愛されるファイナルファンタジーシリーズのキャラクターデザインを担当している。

僕はファイナルファンタジーをほとんどプレイしたことがない。DSの復刻版を一度だけやったことがあるのだけれど、シリーズ中どの作品だったかは全く覚えていない。一応、ラスボスまではたどり着いた気がするのだけど……。

しかし、ファイナルファンタジーが現在でも根強い人気を誇っていることくらいは僕だって知っている。日本のRPGといえばドラクエとFFみたいなのはほぼ一般常識になっているし、友人にもファイナルファンタジー愛好家は多い。

そんな風にファイナルファンタジーは僕にとって「今」なのだけど、対してヤッターマンやガッチャマンは「過去」のものだ。父親が子どもの頃に見ていたようで、テーマソングなどをお風呂の中で聴かされて育った僕は、「昔、そういう作品があったんだなあ」という風に感じながら育った。

そんな僕の中の「今」と「過去」がつながる、というのはちょっとした衝撃だった。しかも、よくよく見てみれば『吸血鬼ハンターD』も見覚えがある。叔父が昔使っていた部屋に入った時に、今回見た作品を用いたジグソーパズルが置いてあったのだ。当時、その絵をとても不気味に思ったのを覚えている。

僕の中で、天野義孝の絵は基本的には不気味なものである。ヤッターマンなんかはかっこいいという形容の方が似合うのだけれど、さっきから言っている『吸血鬼ハンターD』の挿絵なんかはどこまでも不気味だ。

僕は天野が描く髪の毛が苦手だ。一本ずつ丁寧に描きこまれたそれはリアルに迫ろうとしている。デフォルメされた絵ばかりを見慣れている僕は、それだけで何か異様なモノに触れてしまったようか気がしてしまう。

また、肌の白さも彼の描く男性の特徴ということができるだろう。血の気の失せたような顔は「かっこいい」よりもまず「不気味」さが先行する。一見しただけでは、正義のヒーローなのか悪のヒーローなのか判別することができない。黒装束も、その不気味さを助長させている。


そんな風に僕の中では「不気味」さというのが天野喜孝理解の重要なキーワードなのだが、近年はポップな作品も増えてきているようだ。展覧会の最後の方は、そういうポップアート的な作品を中心にして展示されていた。僕は、こういう世界観が好きなのだなあと改めて実感した。

作品数も多く、一番目を引いたのはCandy Girlシリーズだった。天野喜孝の描く女性にはどうしてもエロスがつきまとうのだが、ここに描かれている女性たちはそういったエロスを感じることができない。露出度の高い服を着ているにもかかわらず、だ。先行するポップさがエロさを排除しているのだと考える。

画材も特殊で、とてもピカピカしている。正直、他の作品は作品集とかで家で寝ながらパラパラ見てもあんまり変わらないんじゃないかと思ったが、このゾーンにある作品は作品集と比べてみての印象が全然違う。大きさ、色、光り方、どれをとっても足を運んで見た方が断然良い。天野ファンではない僕も、これを見ることが出来ただけで来た甲斐があったと思った。

芸術的絵画とイラスト、その境界線は徐々になくなりつつあるのかもしれない。いわゆる現代美術家と呼ばれる人々の作品を見ていると、そういう感覚を強く抱く。天野喜孝だって、アニメの現場から世界的アーティストに羽ばたいていったという点では、この境界線を不明確にすることに一役買っているに違いない。

「芸術的なもの」と「商品的に価値があるもの」はずっと対立し続ける概念であるように思う。文学の場面でも、純文学と大衆文学は対立するものとして捉えられている。しかし、その中でもちゃんと二つの間に交流があって、お互いがお互いに良い影響を与えている。それは美術の世界でも同じなのだろうと感じることができた。それを再確認することができたという点で、天野喜孝展は僕にとって重大な意味があったように思う。

DENGEKI vol.3 本選出場5団体の観劇レポート

今年も熱狂のうちにDENGEKIが終焉を迎えた。今年で三回目を数える若手演劇団体ナンバーワンを決めるこのイベントには、熊本外からも人が集まり、合計10団体で優勝盾を争う。

予選A、Bを勝ち上がった5団体が決勝を戦う。僕はこの決勝を見ることができたので、それぞれの団体への感想を書き残しておきたいと思う。演劇と出会って二年目のひよっこが書くものなので、ご笑覧を。

gojunko

唯一九州外の団体で、なんと東京からの参戦。来年度以降も、九州外からの参加者が居てほしいものだと個人的には願っている。

gojunkoの芝居はリアリズム的、あるいは現実主義的側面が強いものだと感じた。しかし、手法は斬新で、ある恵まれない一人の女性の心情を二人が交互に会話することによって物語が進んでいく。一人語りでは実現できないのは、「会話」である。人々の心の中には必ず複数の人物が住んでいる。それは現在と対比してまだ過去をひきずっている自分かもしれない。

最初に出てくる白紙の手紙は、終幕に近いところで過去の自分からの手紙だということが明らかになる。手紙を持ってきた人物は過去の自分かもしれないと観劇者は推定することができるだろう。そういう視点を持って頭の中に残っている物語を遡って行けば、また新しい発見があるかもしれない。

それから、二人で語ることの重大な効果がもう一つ。作中では主人公以外の人物たちが回想形式で幾度も出演する。その人物たちとの関係性を描くためには(身体演技的にも、言語演技的にも)二人の登場人物が必要であっただろう。

この物語にあるのは不幸な一人の女性の感傷である。しかし、それを二人の人物が交互に語ることによって、そこに新たな感情が生まれる。それをどのように解釈するかは、観客に委ねられることになるだろう。

劇団鳴かず飛ばず

コメディとして出色。最初から最後まで、観客席からの笑いが絶えることがなかった。思い切って熊本のことを馬鹿にしたことが、今回の成功に繋がったと言えるだろう。

小道具の使い方もとてもうまくて、特に「フラフープ」を様々な方法で使っているのが印象的だった。その他にも、くまもんのお面やくまもんのソフトハンマーを持ってくるなど、”熊本で行われるDENGEKI”というものを強く意識しているということが感じられた。この辺りも、決勝に進むことができた秘訣かもしれない。

演劇はややもすると抽象的な方向に走ってしまいがちだ。それで面白くなるのならば良いのだが、逃走の方法として抽象化を目指すことも少なからずみられる。その中で、鳴かず飛ばずは徹底して分かりやすい芝居を展開していた。すべったらどうしよう、などということは全く考えられていない。次々と繰り出されるギャグの数々が心地よかった。鹿児島での更なる期待を活躍し、また来年もDENGEKIでに出場されることを願いたい。次は、どのようなテーマで挑戦するのか。

with a clink

熊本唯一のミュージカル劇団ということで、劇中にもたくさんの歌やダンスが取り入れられているのが印象的だった。gojunkoがリアリズム的・現実主義的ならば、with a clinkはロマンチシズム的・理想主義的ということができるだろう。世界中の本を読んだ司書さん、子どもの頃に読んだ本を探して図書館に通い詰める青年、「ペーパーフィッシュとサイダーの海」というタイトルもロマンチックだ。図書館という場所はロマンチックな場所として機能するものかもしれないなあと、ジブリの名作「耳をすませば」を思い出しながら考えていた。

舞台装置が飛び抜けて良かったように思う。特に光る本棚には感動した。また、ガムテープを使うシーンで、その効果音として本当に後ろの方でガムテープをはがすなど、細かな演出を感じることができてそこも良かった。

中核的な役割を果たす人物は二人で、もちろんその二人が前景として昨日しているのだが、光景に四人の人物がいて、この四人の動きも楽しむことができた。人の使い方がうまい劇だったと言える。

劇団ヒロシ軍

昨年に続き、二度目の出場となる劇団ヒロシ軍。今回も順当に決勝に駒を進めた。
前回の作品も見ているので、ヒロシ軍らしい青臭さが出ているなあと今回は安心して見ることができた。逆を基本としつつも、実はその奥底にとてつもないリアリズムが潜んでいる。

まずは導入が見事。前説をしているのかと思えば、実はもうそこから芝居が始まっているということに驚き(僕がにぶかっただけかもだけど)。そこで観客を巻き込むことによって、終止拍手を貰ったりするなど、彼岸と此岸をつなぐ仕掛けがうまく機能していると感じた。演劇はどうしでも生ものだから、こうして観客を巻き込むことができる芝居というのは、一つの理想形ではないだろうか。

主人公をずっとヒーロー的に描いていくのだが、そのヒーロー像を終幕に近いところで徐々に解体していくのがまた面白い。主人公に感情移入していた人々は、すぐさまそこから距離を取ろうとすることだろう。脚本からも、あらゆるものを相対化しようという意識が感じて取れる。

それから、触れておかなければいけないのは持ちネタといっても良いペットボトル一気飲みである。今回は一回の芝居のうちに二回行い、いずれも観客の拍手を誘っていた。来年は更に進化した一気飲みに期待したいところだ。

DO GANG

参加三年目にして遂に優勝盾を獲得したDO GANG。今回が初優勝とはいえ、過去大会でも好成績を収めている彼らには他の劇団には見られないような風格が備わっていたように思う。

ネコという名前の犬や、吉田偽男(ブラフマン)という一匹と一人で物語が展開される……と書くとわかっていただけると思うが、序盤からシュールさ全開の芝居であった。そのままシュールで押し切るのかと思いきや、ちゃんと骨のある物語も備えている。

ニートの吉田は人間の世界に絶望していて、死にたいと願う。しかし、死へと逃避したところで現状が変わるという保証はない。もしもあの世があれば、そこで働かなければならないかもしれないからだ。これは現代社会を生きる僕らへの痛切な風刺になっている。逃げてもその先に快楽があるとは限らないのだ。

個人的には小道具にSurface Pro3が使われていて「良いなあ」と思った次第である。僕は初代SurfaceRTの非力さを身に染みて感じているから、ちょっと触らせてもらいたいなあと思いながら見ていた。

総括

今回のDENGEKIには僕も熊本大学演劇部(クマエン)の「冷たい味噌汁」に出演させていただいた。結果はぶっちぎりの予選敗退という結果になってしまい、去年のクマエンの二の舞という形になってしまったんだけど、毎年重要なことを学べているような気がする。シビアな勝負の世界で戦って「悔しい」と感じることはとても大事なことだ。

前回・前々回優勝の不思議少年が不在の今大会ではどの団体が優勝してもおかしくなかった。いや、不思議少年が居たとしてもどこが優勝していたか全く分からなかっただろう。結果としてはDO GANGの優勝ということになったが、他の団体も票が拮抗していたし、個人的には劇団鳴かず飛ばずが一番良かったと思っている。もちろん他の劇団も良かったのだが、上でそれぞれの魅力については書いたので割愛する。

来年も開催されたら、僕は絶対に観劇に行きたいと思っている。どんな劇団が登場するのか、そしてどこが優勝するのか、今から楽しみでならない。

心って「盗め」るの? 類義語「盗む」と「奪う」について考えてみた。

数日前に演習の授業で「ぬすむ」と「うばう」の違いについて考える機会を得まして。そこで色々考えたから、ここに書き留めておこうかなと今回はパソコンを立ち上げた次第。色々とメモしたプリントを眺めているんだけど、何を書いているのかよくわからない状態に……。まあ、頑張ってまとめてみることにする。

この記事を書くにあたって、ネット上で簡単なアンケートを取らせていただきました。ご回答くださった皆様、ありがとうございます! その結果については、途中の方で書きたいと思いますので、まあ他のところも読みながら待っててください。

ぬすめるもの、うばえるもの

さて、授業では「ぬすめるもの」「うばえるもの」「ぬすめるし、うばえるもの」の三種類に対象を分類した。両方できるものは、宝石、お金、自転車、美術品、車、などなど。ここで、ちょっと怪しいなという風になったのが「下着」。下着泥棒は下着を「ぬすむ」わけだけども、下着を「うばう」って何かちょっと変な気がする。

どうして変だと感じるのだろうか。下着を「ぬすむ」というと前述したように下着泥棒が想起されるわけだが、「うばう」だとどんな状況が思い浮かぶだろか? 穿いているパンツを無理やり脱がしているような感じがしないだろうか。そうなる状況というのはごく稀だろう(下着泥棒なんてよくあることだ、と言いたいわけではないけれど)。

ここで、「ぬすむ」と「うばう」の意味の違いが見えてくるだろう。「ぬすむ」はこっそりとやっているイメージがあるのに対して、「うばう」には強引にやっているイメージがある。これはまず基本的な違いとして認定しても良いだろう。

ただ、個人的には「こっそり奪う」とか「強引に盗む」ってそれほど不自然な表現なのかな? と思うところがあって。自分の言語直観が信用できないときは他の人に聞いてみるのが一番かなと思い、皆様にアンケートをとらせていただいた次第です。

アンケート結果

そのアンケート内容は以下の通り(属性を問うものと自由記述欄があったけど、省略します)。それぞれの質問に対して、「自然」「まあ自然」「やや不自然」「不自然」の4つの中から一つを選んで回答してもらった。


次の文章を読んで、あなたはどう感じますか? 4つの選択肢の中から最も適切なものを選んでください。
・彼はダイヤの指輪をこっそり盗んだ。

次の文章を読んで、あなたはどう感じますか? 4つの選択肢の中から最も適切なものを選んでください。
・彼はダイヤの指輪をこっそり奪った。

次の文章を読んで、あなたはどう感じますか? 4つの選択肢の中から最も適切なものを選んでください。
・彼はダイヤの指輪を強引に盗んだ。

次の文章を読んで、あなたはどう感じますか? 4つの選択肢の中から最も適切なものを選んでください。
・彼はダイヤの指輪を強引に奪った。


今回の質問は、意図がバレバレだったかなあと思います。あと、設問をもう少し増やせばよかった(後ほど書くけれど、抽象物だとまた違った感じになってくるので)。

で、結果は次のようになった。ちなみに、167人の方々にご回答いただきました。


こっそり盗む
自然81.4%
まあ自然12.6%
やや不自然4.2%
不自然1.8%

こっそり奪う
自然7.8%
まあ自然14.4%
やや不自然40.7%
不自然37.1%

強引に盗む
自然11.4%
まあ自然28.1%
やや不自然34.7%
不自然25.7%

強引に奪う
自然92.8%
まあ自然6.0%
やや不自然0.6%
不自然0.6%


結果はかなり予想に近いものになったかなあ、と。「こっそり盗む」と「強引に奪う」は自然に感じる人が多い。「こっそり奪う」と「強引に盗む」で比べると、後者の方がやや許容度が高い。

今回のアンケートの主眼は主に「こっそり奪う」と「強引に盗む」の許容度を調べてみることにあったんだけど、「まあそこそこ許容される」という感じに落ち着きそうだ。

自由記述欄を眺めてみると、それぞれの行動に対して想起した状況が違うようだ。「こっそり盗む」は「空き巣」みたいなイメージだろうけど、「強引に奪う」は強盗の現場を想像した人が多いはずだ。「こっそり奪う」とか「強引に盗む」が「自然」だと回答した人は、どういう状況を想像したのかとっても気になる。

こっそり奪う、強引に盗む

「こっそり奪う」が「自然」だと答えている方の感想を一つ引用させていただくと
盗んだは気づかれないようにというイメージで
奪ったはあまり関係ないイメージ

ということだった。勿論、「こっそり奪う」が「自然」だと答えた人が全員同じ考えを持っているわけではないだろうけど、これは面白い答えだと思う。この質問においては、「奪う」の方が上位概念だということになる。そこに「気づかれない」というファクターが加わったときに、「盗む」という言葉が使われるようになる。アンケート結果を見た限り多数派の意見とは言えないようだけれど、言われてみれば何となく分かる人も居るんじゃなかろうか。

対して、「強引に盗む」が「自然」だと答えた人は
奪うという言葉には静かさを感じない

と書いてくださっていて、ここから推察するに「盗む」の方が上位概念だと考えているようだ。「こっそり奪う」よりも「強引に盗む」の方が許容度が高かったことを考えるならば、「盗む」の方が上位概念であり、「奪う」を包括すると考えている人がやや多いのかもしれない。

「抽象物」について考える

さて、ここまで具体物について考えてきたけれど、少し抽象物についても考えてみよう。
というのも、「奪う」としか言えないものの中には抽象物が多いのだ。例を挙げると、権力、やる気、命、体力、自由など。

ダイヤの指輪は「盗め」るし「奪え」る。しかし、権力を「奪う」ことはできても「盗む」ことはできない。相手の知らないうちに自由を制限することに成功したならば、「相手の自由をこっそり奪った」なんて言い方もできるのではないだろうか。

このように、抽象物になると事情が変わってくるようである。具体物においては主に相手に「気づかれているか(こっそり)」「気づかれていないか(強引に)」に主眼が置かれていたけれど、それでは解決できない。

また、「盗む」ことしかできないものとして挙がったものに関しても抽象物が多い。曰く、データ、情報、アイディアなどなど。「データ」を奪うって何だかおかしい。

ここで、「盗む」と「奪う」が持つ共通の性質について確認しておきたい。おそらく、「他人のものを許可なくとること」という風にでもなるだろう。で、抽象物において違っていることは、「とった」ものが残るか否かということである。

データや情報、アイディアは「盗ん」だところで相手の元に残ったままだ。英語で言うならば「copy」に相当すると思う。対して、奪ったものは相手の元からは失われてしまう。

このことは、対象が「技術」である場合を想定すると分かりやすいように思う。「陶芸の技術を盗んだ」というと、弟子が師匠の手法を真似て自分のものにするような場合が想起される。対して、「陶芸の技術を奪った」というと、陶芸を生業としている人の腕を再起不能にしてしまったような場合が想定される。

「自分のもの」になるか否か

それから、抽象物を対象にした場合にはもう一つ違いが生まれる。それは、「奪」ったものは必ずしも自分のものにはならないということだ。「権力」なんかは奪っても自分のものになるけど、「自由」や「体力」「やる気」なんかは奪ったところで自分のものになるわけでは無い。先ほど例に出した「技術」の場合は、「奪う」と「盗む」でこの違いも顕著に出る。

この考察を通ると、「盗む」は「自分のものにすること」に主眼が置かれていて、「奪う」は「相手から取り去ること」に主眼が置かれていると言えるかもしれない。

「恋人」は盗めない

ここで一つ面白い例を紹介したい。「恋人」である。恋人は具体物だと思って差し支えないだろう。そう仮定するならば、友人から恋人をこっそりとった場合は「友人の恋人を盗んだ」と言わなければならない。しかし、「友人の恋人をこっそり奪った」と言った方がしっくりこないだろか(これをアンケートで回答してもらえば良かったと後悔している)。

これはどうしてだろと思ったんだけれど、どうやら人間に対しては「盗む」という言葉が使えないようなのだ。例えばペットショップから犬を「盗」んだと言うことはできるけれど、他人の家から赤ちゃんを「盗」んだということは言えないだろう。「誘拐」という言葉が一番しっくり来るかもしれない。

また、自分が可愛がっている犬ならば「盗ま」れたというのはいい難いのではないだろうか。となると、自分が愛情を注いでいる「動物」もこの範疇に入るかもしれない。ここで動物の大きさが問題になりそうな気がするが、食肉が前提の牛が「盗ま」れたというのはあまり不自然な言い回しではないように思う。

「盗む」と「奪う」の話からは少し逸れてしまったが、「盗む」の意味の確定に一歩近づいたように思う。

「目を盗む」「目を奪う」

慣用句的な使い方にも目を向けてみよう。対象を「目」としてみる。「目を盗む」と「目を奪う」では全く意味が違ってくる。

「目を盗む」というのは、「盗む」に含まれる「こっそりと」という意味を以て使われる表現ではないだろうか。「目を奪う」は相手の目を「支配下に置く」くらいの意味が含まれているように思う。類似した表現に「心を奪う」がある。相手の心を「支配下に置く」こと=心を「奪う」ことだと言うことができるだろう。

ところが、ここで困った例が出てくる。「心を盗む」である。銭形のとっつぁんが言っているのだから、これは不自然な表現だと一蹴することはできまい。CHEMISTRYにも「I steal your heart」という楽曲があるし、ちょっと立ち止まって考えてみる必要がありそうだ。

映画「ルパン三世 カリオストロの城」の終末部分で言う「奴(ルパン)はとんでもないものを盗んで行きました。……あなたの心です」という台詞はあまりにも有名だ。これはルパンが怪盗であり、「盗む」ことを生業としていることに掛けられている言葉だ。

「心」というのは抽象物である。心は「copy」して自分のものにすることはできないので、「盗む」というのはおかしな表現である気がする。「心を奪われた」というのもよく聞く表現だろうし、こちらの方が適当なんじゃないだろうか。ここで言いたいのは「心を相手の支配下に置かれた」ということを比喩して言ったものだろうから、それを考えればやっぱり所有権が移る「奪う」の方が良い。

あえて「盗む」を理由を考えるならば。ここでは「心」が具体物として捉えられているのかもしれない。ここで考えなければいけないのは、ここでは受身の形で「盗む」が使われいてる点だろう。「自分の心」というのはある程度輪郭がはっきりしているものだと考えられるので、具体物のように銭形警部は表現したのかもしれない。

よくよく考えてみれば、心を「盗ま」れたとか「奪わ」れたというのはかなり自意識過剰な表現だ。別にルパンはクラリスの「心」を「盗」んだとかば「奪」ったという自覚があるわけではないだろう。もしかしたらあるかもしれないが、少なくとも無かったかもしれないという可能性を考えることはできる。

もしも「盗んだ/奪った」方に自覚がないとするならば、「盗まれた/奪われた」方は勝手に「盗まれ/奪われ」ているのである。勝手に「支配下に置かれた」と思っているのである。「私はあなたのものよ」と思っているのである。末恐ろしい話だ。まあ、クラリスさんは勝手に「盗まれた」って言われているだけなので、末恐ろしくはないわけだけども。

なんか色々考えてみたけれども、「心」は「盗め」るということで良いと思う。ここまで読んで反論がある人は、コメント欄に書いていただけるとありがたいです。

コメントへのコメント

ここからは、自由記述欄に寄せられたコメントに僕のコメントを付けていこうと思う。勝手ながら、重複しているかなという質問に関しては割愛させていただきます。


”問5の文に関しては、盗まれた人物に対して強引に、ではなく、例えば強固なセキュリティなど困難な状況にも関わらず強行に盗みを実効した、という解釈で自然だという回答を選択しました。”

「強引に盗む」についてのコメントですね。「盗む」には「人に気づかれずに」という意味があることに気づかされました。


”こっそりと、ではないでしょうか?”

同じ箇所に疑念を持たれた方はあまりいらっしゃらなかったように思いますが、この「と」がどういう役割を持つのか気になってきました……。


”<こっそり>の場合、
盗むは密かに取る事なので、取られた相手がいない場所で指輪を取っていった。奪うは無理に取り上げると言う意味が含まれるので、相手がその場にいるイメージです。
<強引に>の場合、
盗むは相手がいない場合で強引にとなると、盗む場所に鍵などがかかっており強引に抉じ開ける。奪うは相手の認識下で物を取ったイメージになります。”

相手がそこに居る/居ない、相手に認識されている/されていない、ということが意味を区別する中心になっているようですね。


”設問の例文の意図通り、盗むは他者の目のないところで、他者に干渉されることなく行われる行為、奪うは他者の目の前、他者が干渉し得る状況で行われる行為のような印象があります。こっそり奪った、ですと第三者に見つからないように、という印象を受けますし、強引に盗んだ、ですと金庫などを無理やり開けて、というような印象を受けます。”

おお、バッチリ意図を見抜かれておりました……。


”奪うを使うと所有権が奪った側に移ったような印象になりました。”

この例文のように具体物に限って言うならば、所有権は動作の主体に移るような気がします。抽象物になると、「奪う」の方では所有権がどちらにもなくなるわけですが。


”ダイヤの指輪が指にはめてあるか、飾ってあるかの差で自然であるかの印象が変わりますよね。”

そういう風に状況を補完して読んで頂ければ、こちらの意図するところにかなっております。


”個人的見解ですが、「奪う」は見せつける、「盗む」は裏をかくイメージがあります。”

これも相手に気づかれている否か、認知されているか否かという話に関わってくるかと思います。


”「奪う」の場合は、その時奪う相手がこちらに気づいている、というイメージがあります。
一方、「盗む」はその時相手が気づいてないというイメージがあります。
それなのにも関わらず「強引に奪う」という言葉にあまり違和感がないのは「盗む手段」が強引であるととれるからだと思います。(見つかるリスクが高い中、強引に盗みに入る、等)
また「こっそり奪う」については、相手が奪われることに気づいている以上、「こっそり奪う」ことは不可能のため、違和感を感じたのではないかと推測します。”

僕はこの説明が結構しっくり来ます。この辺りが、「こっそり奪う」よりも「強引に盗む」の許容度が高いことにつながっているのではないかと推測します。


”どちらの言葉も「相手のものを取る」という意味合いですが、「盗む」は相手に気付かれないよう、「奪う」は相手が分かるところで無理矢理にという意味に私は捉えています。ここまで答えたあとで広辞苑を参照したところ、盗むには「秘かに」という意味が含まれていました。”

今回は、講義で全く辞書の類を参照しなかったため、あえて辞書は引かずに考えてみました。これを書いた後に色々な辞書に当たってみようかと思っているので、ドキドキです……。


”こっそり奪った、強引に盗んだ、はイメージと違うと思いましたが、読んでみると大した違和感もなかったので「まあ自然」としました。「盗んだ」と言った場合は単なる物盗り、盗むこと自体が目的。「奪った」と言った場合は、盗ることによって持ち主に何らかの害を加えてやろう、例えば「ぶん殴られた仕返しに盗ってやろう」みたいな感情が含まれる気がしました。特に「強引に盗んだ」「こっそり奪った」と言うと、文章としては変なのかも知れませんが、これで精々苦しめやーいやーい、みたいな意地の悪さを感じます。”

しかし、銀行強盗は銀行からお金を「奪う」けれど、別に相手に危害を加えるという目的があるようには思えません。「強引に盗んだ」は一生懸命さが感じられるので、「やーいやーい」が成立するかもしれません。「こっそり奪う」も同じことが言えますかね。


”「盗む」はスリや万引きなど人目に付かないところでの行為を指すように思います。ですので、「強引に」とはあまり共起しないように感じます。
一方「奪う」は、行為というより「人からモノが離れていく」という事象に焦点を当てた動詞だと思います。
「こっそり盗んだ」は「ものが盗られている状況を誰も観察しておらず、後から盗まれたことに気がついた」という状況を指すことも可能だと思います。
一方「こっそり奪う」の場合そのような解釈はできず、「モノが盗られている状況を誰かが観察しており、その様子がこっそりだった。」という解釈になると思います。”

日本語学に少なからず関心のある方からのコメントなのかなと感じました(これを読むまで、「共起」という言葉を忘れていました)。「奪う」が「人からモノが離れていく」事にフォーカスしているというのは的確だと思います。対象が中小物である場合の「奪う」と関連してくるところですね。「こっそり奪う」の説明における「誰か」というのは行為主体も含む、という考え方をするならば「友人の恋人をこっそり盗んだ」も説明がつきますね。

終わりに

不完全なところもあると思うけれど、今回はこの辺りでやめにしておきたいと思います。
何か思うところなどあれば、コメントによろしくお願いします。


また、他にもアンケートを取って言葉について考えたものがいくつか。お時間があれば、是非どうぞ。

「盗む」と「奪う」についてのアンケートのお願い

本日、講義で類義語「盗む」と「奪う」について扱う機会がありました。
そこで、自分の言語直観では解決できない部分があったので、皆様にアンケートを実施して、怪傑しようかと考えた次第です。

今回はブログに書くようの簡単なアンケートなので、身構えずにお答えいただければと思います(属性、自由記述欄を除いた質問は4つです)。

アンケートはこちらのリンクからよろしくお願いします。
「盗む」と「奪う」についてのアンケート



過去にもアンケートを行って色々と考えてみたものがあります。お時間があれば、こちらもどうぞ。

太宰小説における理不尽な<敵>について

太宰について、何かやろうと思っている。
僕はどちらかといえば太宰が好きだけれど、決して太宰の熱心な読者であるわけではない。『人間失格』だけは三回読んだ。それだと、いわゆる「青春のはしか」にかかっただけみたいで悔しいので(というか、何かやるためにはどうせ読まなければならないので)、太宰作品を色々と読んでみることにした。

ただ読むだけでは全く頭に残らないので、何か指標になるものは無いかと図書館をぶらぶらしていたら、斉藤理生先生の『太宰治小説の<笑い>』という本を見つけた。パラパラとめくっていくと、主に短編の作品論を展開しているようだ。それらを全て<笑い>というキーワードで捉えていて、中々おもしろそうだ。というわけで、読んでみることにしたのだった。

しかし、恥ずかしながらそこで扱われている作品のほとんどを私は読んだことがなかった。そこで、新たな論考に入る前に青空文庫とにらめっこをして、ほほお、これは凄いななんて関心をしながら、新たな太宰作品を読んでいった。僕はやはり後期の太宰イメージが強かったので、新鮮な印象を受ける作品も多かった。斉藤先生の論考の中身も去ることながら、僕にとっては、多数の太宰作品に触れるきっかけを作ってくれたことがこの本の一番の効果かもしれない。


さて、大変失礼なことだとは思うけれど、斉藤先生がこの本の中で頻繁に指摘する点をここでいくつか取りまとめておきたい。

まず一つ目は、「自分を相対化(対象化)しないことに対する笑い」である。この本の中では「対象化」とか「相対化」という言葉が出てきて、僕は大体おなじような意味で捉えているんだけれど、それで大丈夫だろうか。ヤバいんじゃないかという指摘があったら、教えてください。

この指摘はかなり根本的だと思う。というのも、『人間失格』なんかは太宰の心情がそのまま表れているように読まれることが多く、太宰はナルシストなんじゃないかという誤解を多くの読者に与えかねないからだ(僕もそういう印象を持っていたんじゃないかなあ、と当ブログに掲載した過去の記事(太宰治のナルシズムは文学だからこそ許されたのではないかを思い出しながら考える)。

斉藤先生が強調しているのは、多分そういうのと全く違った太宰像だ。太宰は徹底的に猪突猛進型の思い込みの激しい人物を描くことによって、その滑稽さを際立たせている。だから、僕らは太宰を読むときに、その登場人物たちに感情移入しきってはいけないと言えるのかもしれない。まあ、そういう読みを排除するわけではないと思うけれど、斉藤先生の論では「距離を置く」とかいう言葉も頻発していた。基本的に、物語上の盲信は笑いを誘うものとして考えられている。


二つ目は……この辺でブログのタイトルと中身が全然一致してないじゃないかという人がいるかもしれない。だから説明しておくけれど、最後の方までそのことについては書かない。それに、あんまり書かないんじゃないかとも思う。まあ、『太宰治小説の<笑い>の感想としてこの記事は読んでもらえれば良いんじゃないかな。

さて、気を取り直して。二つ目は「繰り返し肯定する=言い聞かせることがむしろ否定の効果を生み出している」ということだ。

何度か指摘されることだけれど、太宰の小説には繰り返しが多い。確か、「男女同権」なんかがそうだ。あの男は、嫌味っぽく言うことである言説を嘘っぽくさせている。何かのCMで、人間は大事なことは一回しか言わないというのがあった気がするけれど、大体そんなところだろう。「飲まないから、今日はお酒なんてぜーーーーーったい飲まないから!」なんて言うやつは、大抵飲んでしまう。フラグが立っているのだ。繰り返し語られることは、もしかしたら嘘かもしれないと思ってよい。

この手法が多く使われているんだと、斉藤先生は指摘しているわけですね。僕はそういう視点を持っていなかったけれど、なるほど、確かにそう思って読んでみると登場人物の滑稽さの理由が分かるような気がしてくる。


三つ目は、「個別の事象を安易に一般化すること」だ。これも「男女同権」の話になるんだけど(このお話は面白い)、主人公の男は、自分が個別的に受けてきた女からのひどい仕打ちを、全て女一般の話に広げてしまう。まあ、それだけ女に虐げられてきたならば女一般がひどいものだと思うのも当然だよなあと思うけど。そうは思うけれど、斉藤先生のこのような指摘は別の作品でもなされていて、かなり面白い指摘だなあと思う。



かいつまんで書くと、大体こんな感じだろか。興味を持った方は読んでみると良いかもしれない。面白さは保障する。割と新しめの本なので、大学図書館などには入っているのだろうか?
調べてみると、まあそこそこ入っているみたい→http://ci.nii.ac.jp/ncid/BB12638290#anc-library



で、まあブログのタイトルにもしてしまったので、太宰作品における<敵>について思ったことを、書きながらまとめていきたいと思う。

『太宰治小説の<笑い>』で扱われている作品の中で僕が<敵>を認めたのは、「畜犬談」「浦島さん」「グッド・バイ」「親友交歓」「眉山」である。

「畜犬談」→犬
「浦島さん」→亀
「グッド・バイ」→キヌ子
「親友交歓」→親友(と自称する男)
「眉山」→眉山

というような感じで、それぞれの作品に<敵>が設定されていると考えることができないだろうか。他の話でも主人公が敵とみなしている人物はいると思うんだけれど、ここで言うのは「読者の敵」でも言ったらいいんじゃなかろうか。読者が、言い負かせないような敵なのである。

まず、「畜犬談」における犬。なんだか嫌なやつだけれど、どうしても可愛くて飼ってしまう。最終的に、可愛くなくなってしまっているのに飼いたくなる。このどうしようもなさというのは、読者にも理解できる部分があるのではないだろうか。

「浦島さん」の亀に浦島は口で絶対に勝つことはできない。それは読者も同様ではなかろうか? キヌ子にもまんまとしてやられるし、親友にもいつの間にか酒瓶を空けられている。眉山だって、どんなことを言ってもあっけからんとしている。これらのキャラクターは全て主人公あるいは読者にとっての<敵>として見ることができないだろうか?

<敵>というのは恐らく「不条理」と読み替えても差し支えないように思う。僕が最もムカつく不条理は、小学生のときにいた「何でも真似してくるやつ」だ。こちらの言うことを全て真似してきて、こちらが「真似すんな!」と怒っても、相手は同じように「真似すんな!」と返してきてヘラヘラする始末。こちらも向こうも同じ労力をかけて行動しているはずなのだが、こっちは苛々しているのに向こうは嬉々としている。不条理である。そして、その真似っ子マンは僕にとっての敵である。

これとおんなじような不条理さが、これらの作品には見え隠れしているような気がするのである。このことが作品にどのような効果を与えたかなんてことについては、僕はさっぱり答えを持っていない。もしかしたらいつか思い出して、答えを導きたくなるかもしれない。でも、今はここまで気付いたところでまあ良いかと満足したので、こんな感じで今回は終わりにさせていただこうと思う。

小松左京『物体O』を読んだ。とりあえず日本SF御三家に触れて思う事

物体O (新潮文庫 こ 8-7)


星新一、筒井康隆、小松左京。この三人をまとめて日本SF御三家と呼ぶことを知ったのは、結構最近のことだった。それだけ、僕はSFに興味がなかったということになる。

星新一のSSは小学生の頃に大好きで読みまくった記憶がある。個々の物語を正確に思い出すことはできないけれど、いくつか印象深い話を思い出すことができる。例えば、大きな穴に次々とゴミを捨てる話とか。これは僕が使っていた英語の教科書に載っていたので、結構鮮明に話の筋を覚えている。

筒井康隆については、半年位前に何気なく手に取った『将軍が目覚めた時』が最初に読んだものだった。これが結構よくて、次も何か読みたいと思っている。『時を駆ける少女』をの原作を書いたということでそっちも読んでみたのだけれど、これは全然本気じゃないんだろうなという気がしたから、僕の中であれは筒井作品にカウントされていない。『旅のラゴス』が面白いと聞いているので、書店で見つけたら購入しておきたいと思っている。


さて、そうして僕は日本SF御三家の最後の一人、小松左京に手を伸ばしたわけである。本当は最も有名だと思われる『日本沈没』あたりから手をつけるべきだったんだろうけど、古本屋にたまたまこれがあったのだから仕方がない。積ん読本はまだたくさんあるんだけれど、気になってしょうがなかったので先に読んでみることにした。

これが予想以上の大当たり。僕は純文学的なものよりもSFの方が好きなのかもしれない。そりゃあ、娯楽性が強いから面白いのは当たり前だろうと言われるかもしれないが、小松左京作品にはそれ以上の魅力が感じられるような気がする。

SF御三家に通底しているのは、「批判の精神」だと思う。そういえば、星新一のSS集を読んだときにも少し似たようなことを書いた(→風刺という実用的かつ娯楽的なもの 星新一『午後の恐竜』を読んで


この人たちはメチャクチャ頭が良い。ここでいう頭が良いというのは、社会を俯瞰することができるということだ。また、”if”の物語にリアリティを持たせることができる。表題作「物体O」で言うならば、ある物体によって日本のある部分が分離してしまったときに起こるだろうことをちゃんと予測することができている。これは文句なしに凄い。

日本の純文学作家というのは、この辺の感覚にはあまり優れていないように思われる(というか、あまり優れている必要がないのかもしれない)。個人的な感傷を描くことは馬鹿みたいにうまいけれど、それって僕の感覚でいうと”頭の良い馬鹿”みたいなことになる。僕はこの馬鹿が好きなので、純文学のことが結構好きなんだけれど。

もちろん、純文学の中でも社会というものをちゃんと捉えているものがあるんだろうけど、それって芸術性をかなぐり捨ててない? 純文学と他の小説との境界を突破しようとしていない? という風に思ってしまうのだ。

でも、『蹴りたい背中』とか『桐島、部活やめるってよ』がスクールカーストとかを鮮やかに描き出していて、それが社会的だと言われれば確かにそうかもしれない。でも、それって結果的にそうなっちゃっただけで……ということを言い始めると、別にSF小説も社会的に書こうとしたわけではなくて、面白く書こうとしただけなのかもしれない。むむう。


話が逸れてしまった。まあ、動機がどんなものであるにせよ、SF小説の研究というのはこの先文学の領域でなされなければならないと思うのです。江戸戯作文学なら、少しくらい真面目に研究している人がいると思うんだけど、ちょっと時代が下ってしまうとまだまだ。まあ、他の領域では随分と研究されているような気もするんだけど、ここに文学の手法を持ち込んでみるともっと面白くなると思う。

この記事を書きながら、「純文学」の定義をもう一度見つめ直さなければならないなあと思った。それから、いわゆる「中間小説」がどのようにして台頭してきたのか。多分、日本SF御三家の方々は、この中間小説というものをかなり意識しててんじゃなかろうかと思う。

で、SFの流れってラノベに引き継がれていると思うんだけど、そういえば最近のラノベってかなり前衛的な流れに行っているみたいだね。Twitterでネタになっているのを見ているだけだけど……。あれってなんか純文学に近くなってきてるんじゃないかなあと思う。村上春樹の『風の歌を聴け』みたいな。まあ、これは本論から外れてしまうんで、また別の機会にでも書こうかな。


金魚すくいの金魚も、ちゃんと育てたら長生きする?

先日、藤崎宮で毎年恒例の例大祭があった。僕の知る限り、熊本で一番大きなお祭りだ。大きい馬が何十頭と市街地を歩く様は、想像以上に凄いものだった。

でも、僕はあんまりそういうのに興味がなくて、基本的には「お祭り=金魚すくい」という発想をしてしまう。縁日に金魚すくいがなかったら、お祭りじゃないじゃないか! くらいに思っているくらいだ。

しかし、金魚すくいをするのは中々久しぶりだった。一匹はうまくすくうことができたんだけど、二匹目に挑戦している途中であっさりと破れる……。うーん、なかなか難しい。もっと金魚すくいのうまいやり方を勉強していくべきだったかと、ちょっと後悔。

でも、すくった金魚も含めて三匹の金魚をゲットすることができた。特に何も考えていなかったんだけど、金魚をそのまま持ち帰ることに。帰る途中で金魚鉢を買ったんだけど、これまでも金魚すくいの金魚が長生きした試しがなかったので、少し不安だった。

せっかくすくったからには長く付き合っていきたいところ。そして、うまく繁殖させられれば近所のガキ……子どもたちに売りつけ……配ることができるかも! と思って、色々と調べてみた。

とりあえず、金魚三匹には金魚鉢は狭すぎるということがわかった。なるほど、確かに金魚たちは水面近くで口をパクパクさせる「鼻上げ」という行動を繰り返している。これは明らかに酸素が足りていない。

さらに、ちゃんとバクテリアが繁殖していないと金魚にとってあまり良い環境が作れないことも判明した。飼育しているうちに自然発生するらしいけれど、金魚すくいの金魚って大体弱っているという話なので、そこまで生きながらえることができるだろうか…と不安に。

とりあえずもっと広い水槽とエアレーションは買わなければならないだろうと考え、近くのホームセンターに。すると、丁度いいものを発見した。GEXというところの水槽セット。Amazonで探してみたんだけど、多分これだと思う。
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水槽と蓋、餌少々、カルキ抜き少々、それに加えて濃縮バクテリアなるものが入っている! 立ち上げ一回用しかなかったけれど、同じようなやつが隣りの方に売っていた。
バクテリア サイクル120ml
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水換え毎に入れた方がいいらしい。他にもなんか色々とあったけれど、まあ始めたばかりで右も左もわからないから、とりあえずこれだけ買えばいいだろうということで、セットを購入。それから、底に敷く砂利も買った。水温計もいらないかと思ったけれど、200円くらいとお手頃だったので購入。


ちゃんと育てれば、金魚ちゃんたちは5~10年くらいは生きるらしい。そういえば、実家で弟が飼っている金魚は結構長生きな気がするなあ(僕が育てると、だいたいすぐにダメになってしまう)。

すくってきたばかりのときは餌を与えない方が良いということだったので、現在は少し様子を見ている。三日たったら少しずつ餌を与えてみると良いそうだ。

金魚は餌を与えれば与えるほど大きくなるらしくて(もちろん、与えすぎには注意)、大きくしたい場合は一日五回くらいあげれば良いのだそう。せっかくなら錦鯉の子どもと見紛うくらいに大きくなって欲しいので、気合入れて餌をあげていきたいと思う。

そういえば、繁殖しようと思っていたんだけれども、実は金魚すくいですくってきた金魚には繁殖能力がないみたい。金魚すくいの金魚はその春に生まれた金魚の売れ残りたちだそうで、二歳以降からしか産卵しないみたいだ。ううむ、よく考えたらこの三匹の金魚の性別も分からんので、そもそも二歳上でも産卵するかどうかわからないんだけど…。

でもまあ、せかっくなので根気強く育ててみようと思う。早く大きくならないかなあ。

あとーす、Ingressはじめました

こんにちは、あとーすです!
タイトルの通り、この度Ingressはじめました。

はじめましたと言っても、このゲームを見つけたのはもう既に三週間くらい前の話になる。週アスプラスかなんかの記事で、IngressのiOS版が出たという記事を読んだのがこのゲームに足を踏み入れるきっかけとなった。連日暇を持て余しているので、スムーズにレベル6までくることができた。一日中歩きまわってポータルをハックしまくった日もあったりなかったり……。


さて、このIngressがどういうものか知らない方のために、簡単な説明を。
作っているのはGoogleの開発チーム「Niantic Labs」 こんなクールなゲームを作るなんて、さすが天下のGoogle様である。

二つのチームに分かれての大規模陣取りゲームというのが的を射た表現だろうか。ポータルという拠点みたいなものがあって、それを取り合い、自分のチームの陣地を広げていく。ただそれだけなのだが、シンプルでありながら奥の深いゲームになっている。ここから先は僕がやってみた感想をつらつらと書いていくので、詳しいルールとか気になる方レッツGoogle!(でも、実際にインストールして遊んでみる方が楽しさとか操作方法がわかりやすいと思う)。


僕はAndroidユーザーなのでiOS版のリリースを待たなくてもプレイすることができたんだけど、前述の用にiOS版がリリースされてからこのゲームの存在を知ったのだった。本当に、こんな面白いゲームがあるのならば、もっと早く知りたかった。基本的な構造はオンラインゲームと共通のところがあるので、長くやっている人の方が断然レベルが高くなっていく。もっと早くはじめていれば、僕もさらに大暴れできていたのにかもしれないと思うと、なんだかちょっと悔しい!

でも現在でもそれほどポータルが多いとは言えない(市街地除く)なので、もしかしたらもう少し遅く始めた方が楽しく遊べたかも? ちなみにこのゲームは「ポータル」と呼ばれる陣取りの陣みたいなものを自分で申請することができる。神社やお寺、銅像、オブジェ、郵便局、駅などが申請通りやすい傾向にあるらしいので、そういうものを見つける度に積極的に申請するようにしている。ちなみに、まだ申請が通ったことは一回もない。審査期間が結構長いみたいなので、これからも根気強く待ってみようかと思う。

さて、このIngressをやって何が一番変わったかというと、よく外に出るようになった。僕は基本的におうち大好き人間なので、何か用事がない限りはほとんど家から出ることはない。しかし、振り返ってみるとそういえばIngressを始めてから外に出ることが多くなったような気がする。Ingressを起動しながら歩いた距離が分かるんだけど、始めてから100Km歩いていることになっている。昨日は一日暇だったのでずっと歩き回っていて、朝から晩まで歩き通しだった。少しはダイエットに役立ってくれると良いんだけど……。

かなり余計なお世話なんだけど、Ingressってどうやってマネタイズしていくんだろうか。今のところ、Ingressがお金を稼げる要素はなさそう。広告も無いし。果たして、これからどういう方向へと進んでいくんだろうか。リリースからまだ一年ということで、まずはユーザー数をもっと増やすところから? 今はどのくらいの人が遊んでるんだろう。


僕は熊本在住なんだけど、熊本は市街地以外はあんまりポータルが無いので、どこでも1オオメートル毎くらいに設置されるようになればいいなあ。なんて思う今日この頃。なんかIngressで面白いことがあったら、また記事書いてみようかと思います!

USJハリポタエリア 2時間並んで百味ビーンズ買ったぞ!

フォービドュン・ジャーニーに乗り、バタービールを飲んだ後は、ハニー・デュークスに並ぶことに。狙いはもちろん百味ビーンズ! しかし、列はなんと二時間待ち……。

しかし、ここで負けているわけにはいきません。テレビで散々百味ビーンズを見ていたので、これを買わずに変えるわけには行かない! というわけで、この列に並びましたよ。丁度日が高く昇る頃だったので、暑いあつい。日陰もあまり無いので、並ぶ前に飲み物を買った方が吉かも。

ただ待つだけというのもつまらないので、ハニー・デュークスのウィンドウを眺めておりました。色々と面白いものがあったんだけど、特に印象に残ったのは動くチェスの駒! クイーンがナイトの馬の首を落としていました。おそろしや…。

それから、延々と吐瀉物を吐きだし続ける装置がありました。ちょっと、何狙ってるのかわからなかったですね……。非売品みたいだったけど、もし売っているなら欲しい? いや、でも置き場所に困るからやっぱりいらないか。

で、二時間後になんとか入ることができたんだけど、ここで問題が一つ。百味ビーンズの価格が予想外だった。なんと、一箱1800円…! うーん、これはいくらなんでも高い。しかし、ここまで並んで買わないのは癪なので、意地で買うことに。レジに並ぶ間中、「これに2000円弱出すのかあ」という気持ちで並んでおりましたよ。

まだ食べてないんで、味の感想は後ほど。続報を待たれよ!
百味ビーンズにそんなにお金出せねえよって方は、最初から並ばないことをお勧めします。他にも蛙チョコレートや他のお菓子、いたずらグッズなんかも売っているけれど、百味ビーンズに比べるとやっぱりかすんでしまう感あり。それから、蛙チョコレートは他のお土産屋さんでも売っていた気が?

先に出口付近のお土産屋さんを覗いて、どんなお土産があるのかを見ておくと「そこでしか買えないもの」がわかって良いかも?

USJハリポタエリア バタービール飲んだ!

ハリーポッター・アンド・フォービドュン・ジャーニーに乘った後は、そのままバタービールを売っている列へ。

気になる価格は、普通のバタービールが600円で、シャーベットのバタービールが700円。量も結構あったので、まあまあ良心的な価格かな? ちなみに、持ち帰れるプラスチックコップに入っているものだとそれぞれ500円増し。

この持ち帰ることのできるコップ、ちゃんと確認はしていないんだけど、入り口付近のお土産屋さんでも売ってるかも? バタービールを飲んだ後のコップを持ち帰ろうと思えばトイレで洗うなりなんなりしなくちゃいけないので、やや面倒くさいかもしれない。お土産屋さんにあるならば、それを買うのも良いかも。


味はなんというか、とにかく激甘。バニラの味なのかな? 大量に飲める感じではないなあ。これでお腹いっぱいになってしまって、お昼ご飯を食べるのは諦めてしまいました……。
普通のバタービールは炭酸入り。正直、もう一回飲みたいかと訊かれると、首を縦に振りづらいところ。

シャーベットの方は、炭酸が入っていなくて普通のに比べるとあまりクセの無い感じ。ひんやりとしていて、夏にはぴったり! しかし、激甘なのには変わりないので、お昼ご飯は食べられなくなるかも…? まあ、USJ内は食べ物も高いので、丁度いいかもしれないけれど。

USJハリポタエリア ハリーポッター・アンド・フォービドュン・ジャーニー

前日の夜に熊本を出発し、早朝に梅田駅へ到着。構内で腹ごしらえをしてから、早速USJへと向かった。

チケットは、事前にローソンで購入。少し余裕を持って開園の30分ほど前に行ったんだけど、既にチケット売り場にもゲートにもたくさんの人が並んでいたので、先に買っといて良かったなあと思いった。僕が行ったのは金曜日だったから、もしかしたら人が少なかったのかも? 長期休暇中や土日に行く方なんかは、なおさら事前にチケットを購入しておくことをお勧め。旅行会社が提携して開園の15分前に入れるチケットなんかもあるみたいなので、気になる方はレッツGoogle!!

開園してから、話題のハリー・ポッターエリアへ。エクスプレスパスも買っていなかったので、整理券もらって後でのんびりと向かおうかなと思ってたんだけれど、運良くそのまま入ることができた。ただ、その後出るときには入場整理をやっていたので、エクスプレスパスなしでゆっくりとハリポタエリアを回りたいという人は、朝一で行くと良いのかも。

それで、とりあえずハリーポッター・アンド・フォービドュン・ジャーニーの列に並ぶ。すぐに行ったのに、既に140分待ち……。実際は二時間弱で入れたけど、それでもかなり並んだ。もっと早く来て、入場ゲートのもっと前の方に並ぶしかないのか。ううん、朝が弱い僕には少し厳しいなあ。

ただ、最後の20分くらいはホグワーツ城の中に入って並ぶことになるので、それまでよりは退屈しなくて済むかも。映画に出てくるように動く肖像画があることに特にびっくり! よく見たら分かるんだけど、最初見た時には普通の肖像画との区別が全くつかなかった。制作した人に脱帽。

で、長い間待たされてやっと乗ったわけだけど、やっぱり並んだ甲斐があった!
本当にハリーたちと一緒に空を飛んでいるような気分になれた。世界観は色んな時系列がないまぜになっているような感じがしたけれど、イメージを壊すようなものではなかったし、僕は大満足。

途中でアラゴグが出てくるんだけども、その演出がとってもリアル! どういう風にリアルかはまだ乗っていない方がいると思うのでここでは言わないけれども。でも、とりあえず何かが降ってくるんです。その何かは、乗ってからのお楽しみということで。

ハリポタエリアに行くためにUSJに行ったようなものだったから、とりあえず最初にこれに乘れて良かったなあ。




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レマルク『西部戦線異状なし』 青春を奪うものとしての戦争の悪質性


 レマルクは1898年に『西部戦線異状なし』を発表したという。名前だけなら聞いたことがあるという人も多いのではないだろうか。僕も、最近までは名前を知っているという程度だった。教養のある人ならば、読んだことがなくともこの小説が第一次世界大戦中のドイツ軍の一人の兵士の物語であることを知っているだろう(ちなみに、僕は内容については全く知らなかった)。

 第一次世界大戦において敗戦したドイツは、次の戦争では勝ちたいという気持ちがあったのだろう。レマルクは1931年に反戦作家として迫害を受ける。彼が反戦を唱えていたかどうかは別として、『西部戦線異状なし』を読んだ人は、戦争がいかに悲惨なものであるか理解できるはずだ。

 もちろん、今は時代も変わってきている。作中ではびっくりするほど簡単に人が死ぬ。それほどの怪我で死んでしまうのか? と読み進めていて疑問に思った。現代の医療ならば、命に別状がない程度の怪我もあったのではないだろうか。

 とはいえ、戦地ではまともな治療ができないことや兵器の進化を考えるならば、当時と対して状況は変わらないのかもしれない。それに、この物語のテーマは戦争への嫌悪というものではないと思う。戦争を悪として描いているが、それでは、『西部戦線異状なし』では戦争の何が悪なのかということを突き詰めていくと、この物語の真髄が分かるのではないかと考える。


 端的に言ってしまえば、戦争は人を変えてしまうからいけない。しかも、二十前後の青少年の心を大きく変えてしまう。壮年の人々は、戦争が終わればそれまでの生活に戻ることができるだろう。しかし、青少年期に戦争を体験し、人を殺し、殺されるところを見、過酷な状況で生き延びたという経験は、彼らの価値観の形成にいかなる影響を与えるだろうか。きっと、戦争というものをずっと引きずって生きていくことになる。戦争が青春を奪うということの罪はかなり大きい。そのことをレマルクは作中で繰り返し語っているんだと私は読み取った。

 例えば、人を殺さなければいけないということ。青春って、多くの「何故?」が渦巻く時期だと思う。何故勉強をしなければならないのか、何故生きなければならないのか、何故自殺をしてはいけないのか、何故人を殺してはいけないのか。小学生でも考えることができる考えを、この時期まで引きずってしまう。そして、道徳的な観念でしか答えを出せなかったことに自分なりの答えを出す。何故人を殺してはいけないのかという問いには、それぞれ答えが違うと思う。しかし、多くの人は何らかの理由で「人を殺してはいけない」という答えにたどり着くのではないだろうか。人文学的にも社会科学的にも様々な答えが想定しうる。

 しかし、戦争というのはその答えをひっくり返す。人を殺さなければ自分は生き残れないし、国家が生き残ることができない。そこでは、人殺しが正義となってしまう。大人は「これは戦争だから」と割り切ってしまうことができるだろう。しかし、青少年はこの価値観の衝突に大きく苦しみ、それを大人になっても引きずってしまう。

 青春の喪失、というと僕のイメージするものと少しずれてしまうのだが、それ以外に適当な言葉が思いつかない。青春って別にキラキラしているものではなくて、発達段階として非常に重要なものなのだ。それが破壊されてしまうということは、とってもマズイことだ。しかし、戦争には多くの若い人材が必要になる。必然的に彼らの青春は破壊されてしまう。反戦小説は数あれど、この青春の小説を描いた作品というのはあまり無いんじゃないだろうか(僕は戦争文学をあまり読んでいないので、同じような主題の作品があれば教えてください)。



 最後にちょろっとだけ書くけど、この小説では母親というものの存在が大きいなあと思った。主人公が家に帰ってきてから、他の家族もいるはずなのにほとんど母親とのことしか描かれない。父親は実はもう死んでしまっているのかと思ったが、読み進めればピンピンしていることがわかる。他にも姉妹がいるのだが、あまり姿を見せない。家族としては、母親が前面に押し出されている。

 どういう要素が組み合わさって、こうなっているのかなあというのが僕の気になるところ。作者のレマルクとしても何か意図があったんだろう。しかし、例えば戦争文学は母親を出すものだとか、青春時代には母親との距離感が問題になるとか、ドイツにおける母親と家族とか、多角的に見ても面白いんじゃないかなあ、と。

TVタックル「ロリコン&暴力 アニメに規制は必要か?」を見て

昨日、そろそろ寝ようかなあなんて思っていたら、TVタックルをやっているのが目についた。そういえば深夜の時間帯に移動したんだよなあと思いながらそれほど興味も無いのでチャンネルを変えようと思ったら、「ロリコン&暴力 アニメに規制は必要か?」について討論するという。

僕はアニメにも漫画にもあまり造詣が深くないのでいわゆるオタクかどうかは分からないが、少なくともオタク文化がそれほど悪いものだと思っていない。というか、その文化の中から面白い作品に出会った経験があるので、すげえ良いもんじゃんくらいに思っている。

で、一時間全部見たわけだけど、すごく面白かった。あの番組は見ていて笑えるので、テレビでの討論としてはレベルが高いと思う。あれを公式の場でやられたらおいおいと頭を抱えるところだけどね。来週のテーマは知らないけれど、また見ようかなあ。

ネットでも色々と波紋を呼んでいたようで。Twitterでウォッチしている限りでは、TVタックルを見て色々と意見を述べている人がいたし、RTも活発だった。Yahooリアルタイム検索もその後で確認したんだけど、上位はほとんどTVタックル関連のツイートで占められていた(結構ネタ投稿が多かったので安心した)。


さて、TVタックルを見て思うことを少し。
オタクは誰に怒るべきなのか? TVタックルという番組自体に怒っている人が多いけど、一応規制派と反対派に分かれて討論していたわけで、番組自体に怒るのはお門違いなのかなあって。まあ、視聴率が上がって悪いことはないんだろうけど。

ただ、TVタックルが悪いというのも分かるところがあって。討論以外のVTRの部分はオタクへの負のイメージが溢れだしている感じだった。冒頭のアニメ紹介で全部見たことのあるアニメは「まどマギ」だけだったけど、あれは暴力シーンが多いから人気だということになっていた。あれは美少女キャラものでありながら何か哲学的な要素が入っているから流行ったと思うんだけど、違うのかな。

確かにほむらが自分の頭を撃ち抜くシーンでどきりとしたので、あれが無くなったらつまらなくはなるんだろうけど、必須要素であったとは思わない。


そういえば、「ロリコン&暴力 アニメに規制は必要か?」というタイトルだったはずなんだけど、暴力についての発言がほとんどなかった。ロリコン(美少女)趣味に対することばっかりだったので、そこはがっかりだった。

まあ、それは置いておくとして。それじゃあロリコンに関することで話を進めてみよう。
見ていると、漫画における「エロ」を規制したいのか「ロリ要素」を規制したいのかよく分からなかった。

江川達也さんの発言を聞いていると、ロリコン的なものを質の良い漫画によって排除したいという感じだった。僕はロリコン的なものがなくなったら面白くなくなると思う。面白くなくなると思う人たちが、児ポ法に反対する人なのだろう。なんだかイケナイことをしているような気になるけれど、それが快楽装置として機能している以上、それは有用なものだから。

対して、それを規制しようとする人はロリコン的なものに嫌悪感を抱いている人々だろう。これは趣味嗜好の問題なので、説得することは難しいんじゃないだろうか。好きな人達は、感情論じゃなくて論理的に美少女漫画・アニメが犯罪の助長にならないということを語らなければならない。これは、とても難しいと思う。


規制派の出口保行さんが言っていたことはとてもシンプルで分かりやすい。美少女アニメをくり返し見ることによって、それが動機づけにつながるというのは筋の通った意見だろう。

それに対するネットの反論に「私はそういうものを見ても犯罪に走ろうと思ったことがない」というものが結構多いように思うのだが、これは違う。大多数は犯罪に走らないかもしれないが、やはりその中には犯罪をする人がいる、という論理なのだ。これだって妥当性があるかどうかは怪しいけれど、反証することは難しいし、少なくとも「私は~」の論理では反証したことにはならない。

それで、まあ美少女アニメが幼児に対する抑止材料になるということを数値的に証明することができたなら、もしかしたら児ポ法による規制を止めることができるかもしれない。感情論ではなくて、論理を組み立てることが大事なのだ。


このことについては、自分の中でもう少し意見を固めたいなあと思う。
ここまでの文章を読み返してみて、ううんと自分で首を捻る部分がある。

僕の基本的なスタンスとして、エログロは悪いものではないという認識がある。確かにそれを見て犯罪に走る人がいるかもしれないけれど、大多数はそれに刺激を受けて快楽を得て、また何かを創り出そうとするだろうから。

「土地勘」と「土地鑑」について

ニュースを見ていると、言葉について面白い発見をすることがある。数か月前、あれは通り魔事件についてのニュースだったろうか、テロップを見ていると、「犯人はこの地方に"土地鑑"のある人間で」という文字が躍っていた。

僕は「おや?」と思った。そりゃあ、僕だってトチカンという言葉くらいは知っている。しかし、それまで僕はこれに「土地勘」という感じを与えると思っていたから、変な感じがするなあと思ったわけで。

で、たまたま昨日もテレビを見ていたら、今度はテロップで「土地勘」と出てきた。おいおい、どっちが正しいんだよ、ということで少し調べてみた。

この手の問題はググったらだいたいすぐに答えが見つかるもので、今回も例外ではなかった。元々は警察用語として「土地勘」が使われていて、その誤用として生まれたのが「土地鑑」らしい。「土地鑑 土地勘」とググったらWikipediaのページが出てくるし、その他解説ページが出てくるので、読んでみると面白いかもしれない。

土地勘という言葉が誤用から来ているということはわかったので、この記事ではそれが正しいとか正しくないとか、そういうことは考えない。ここでは、その誤用がどのように使われているのかということを少し調べて、その結果を掲載しようと思う。

CiNiiで検索してみた

例えば同じ誤用でも、ら抜き言葉は目の敵にされることが多い。最近は容認論も広がってきているようだが、論文などで使うことは憚られるという人が多いようだ。でも、「土地鑑 土地勘」の誤用の話ってら抜き言葉よりも広まってないから論文にも使われてるんじゃないかなあと思って、「CiNii」で調べてみた。

それで、出てきた論文の数は23件。うーん、少ないといえば少ないのかな? 中には論文ではないものも含まれているので、実際に論文の中で「土地勘」が使われているケースは少ないのかもしれない。

一方、「土地鑑」はどうだろか。調べてみると、なんと83件!! ……と思ったら、83件全部が「土地鑑定」の一部として検索に引っかかっただけ。つまり、「土地鑑」という言葉が含まれる論文は、少なくとも「CiNii」には掲載されていないようだ。「土地勘」、なかなか根強く使われているみたいだなあ。

「土地勘 土地鑑」がどちらにしても論文には合うような硬い言葉ではない、ということかもしれないけれど。ちなみに、論文でよく使われそうな「跋扈」という言葉を打ち込んでみたら234件ヒットした。でも、ざっと見た感じだと学術雑誌はあまり多くないみたい。

Twitterで検索してみた

現代日本語の用例を探るのにTwitterで良いツールだよなあと常々考えているので、ここでもTwitterで検索してみることにした。

前段階としてGoogleを検索してみたところ、「土地勘」が約 824,000 件で、「土地鑑」が約 3,210,000 件。予想通り、前者の方が二倍くらい多い……と思ったら、後者の方がゼロ一つ多い! これにはかなり予想を裏切られた。ネット界隈では「土地鑑」の方が一般的な用語として認知されているのだろうか?

とりあえず、Twitter検索。2014/08/31 18:00~18:59までの「土地勘」を含むツイートは17件だった。それに対して、同じ時間帯での「土地鑑」を含むツイートは1件。これにはかなりの開きがある。

この文章を書いているのは8月31日の日付が変わりそうな頃なのだが、実はTwitterの検索窓に「土地鑑」と入れて取得できた最新ツイートが18:29のものだった。これを書いている間にも、「土地勘」の方のタイムラインはどんどんと流れて行くのに、「土地勘」の方はさっぱり動かなかった。

ちなみに、「土地鑑」で取得できたツイートは、2014/08/31のものは7件。これはかなり少ないと言っても良いんじゃないかなあ。

まあ、Twitterを遣っている人に若年層が多いからこういう誤用が多いのかなあという気もしてたんだけど、ツイートを見ている感じだけで判断すると、別に若年層だけが誤用しているわけではなさそう。反対に、若年層でも「土地鑑」を使っている人はいた。

僕が今回調べて面白いと思ったのは、Google検索とTwitter検索で顕著な差が出たということ。Google検索でヒットしたものを見ると、「土地鑑」と「土地勘」を比較した記事がどちらも多い印象だった。それから、「土地鑑」で検索すると辞書の類がわんさかヒットする。これがGoole検索のヒット件数が多い原因かなあと考えている。

用例jpで調べてみる


用例jpというサイトがあって、面白いので最近いろんな言葉を入れて遊んでいる。様々な媒体から入力した言葉の用例を拾ってくる検索エンジン。3000万の例文から集めているらしいんだけど、カバー範囲がよくわからないので用例の多寡を調べるのにはあんまり向いてないかもしれない。でも、一応検索した結果を載せとこうかと思う。

土地勘→169件
土地鑑→79件
だった。

下の方に行くと小説の用例が出てくるんだけど、やっぱり同じ作家は同じ表記で書く傾向があるみたい。例えば、森村誠一さんは「土地鑑」で通している。見知った名前でいくなら、乾くるみさんなんかは「土地鑑」でも「土地勘」でもひっかかった。「土地勘」サイドには筒井康孝とか安倍公房なんかの名前もあった。推理小説で「土地勘」という誤用が使われているという事がWikipediaかなんかに書いてあったような気がするけれど、東野圭吾とか宮部みゆきは「土地鑑」派みたい。この人たちは、警察小説を書くから取材が徹底してるのかもしれないなあ。

まあ、誰がどれを使ってるからと言って、何か言えることがあるわけでもないんだけどね。気になったら、検索してみると面白いかも。

どっち使っても良いと思う


以上、調べながら書き連ねてみた。別に調べて書いたから何か言いたいかっていうとそうではなくて、もう面倒くさいので好きな方使ったら良いんじゃないかなあということ。伝えたい意味は大して変わらないわけだし。「土地鑑」の方が正しいんだからそれを使うというのはそれでいいんだろうけど、「土地勘」の方が浸透していて分かりやすいというなら、それもそうかあという気がする。

ただ、「土地勘」と書いたときに「あー!それって本当は土地鑑って書くんだぜ!!知らなかっただろー!!!」と騒ぐ人は僕は嫌いです(高等な自己批判みたいになってしまった)。

Chrome拡張機能「Context Menu URL Shortener」がマジで便利。短縮URL生成が捗る。

僕は水色眼鏡というサイトに自作のbotを置いている。最近は主に物書きのための語彙bot(@monokakigo_bot)と近代文学書き出しbot(@mlkakidasi_bot)の二つの更新作業をたまにやっている。

前者はフォロワーが現時点で6000人くらいいて、中々のフォロワー数なんじゃないかなあと我ながら驚いているんだけど、後者はまだ130人足らず。そりゃあ、漱石と鴎外と、あと芥川の冒頭文をちょこっと呟くだけのbotなんて需要があるわけもなく。今後、ちょくちょくと増やしていく予定。

さて、そんな近代文学書き出しbotは「近代文学の書き出し+作者名「作品名」+青空文庫へのURL」てな構成で呟きを登録している。この作業が結構めんどくさくて、なかなか登録ツイートが増えない原因がここにある。

特にめんどくさのが青空文庫へのURLを貼る作業。そのままだと長すぎるから、短縮URLなんかにするわけだけど、これが本当にめんどくさい。まずは該当ページのURLをURLバーからコピーして、短縮URL生成のページに行って、貼り付けて、短縮URLを生成して、それをコピーして、さらに貼り付けて…ということを何回も何十回も繰り返すのだ。嫌にならないわけがない。

それまで収益も考えてtopiconという短縮URLサービスを使っていたのだけれど、収益がどうでもよくなってきたこともあって、グーグルの短縮URLサービス「Google URL Shortener」を使うことにした。これならブックマークレットくらいあるだろうと思っていたのだけれど……実は、無いのである。これは僕が見落としているだけかもしれないけれど、懸命に探しても、無い。

topiconと違ってログインする手間は省けるから良いのだが、これではあまり意味がない。なんとしてでもブックマークレットと同じようなことができないかと探してみた。きっとChromeの拡張機能にあるだろうと思ったら、やっぱりあった。それが、「Context Menu URL Shortener」というやつ。英語で書いてあるので色々と分かりにくいところがあるのだが、ライフハッカー日本版に使い方など書いてあるので、そちらを参照してもらいたい→http://goo.gl/vIsZ4

実は「goo.gl URL Shortener extension」というのもあったんだけど、なんだか多機能そうだったので使うのをやめた。過去に生成した短縮URLも参照できるようだったんだけど、多分使わないんだろうなあ、と思うし。どっちの拡張機能でも、右クリックで短縮URL生成できるのでお好みの方を。

Context Menu URL Shortenerの良いところは、短縮URLのサービスをGoogle URL Shortenerから選べるところ。いや、僕は使わないんだけども、色々と使い分けたい人にはかなり便利な機能なんじゃないかなあと思う。

そんな感じで、簡単ですがContext Menu URL Shorteneの紹介でした!

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