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『待兼山文学 第二号』を読んで 雑感

大阪文学フリマ戦利品の一つである『待兼山文学 第二号』をやっと読了した。手をつけるのに時間がかかったけれども、読み始めると夢中でページをめくっている自分がいて、何だか少しおかしかった。以下、書く作品を読んで感じたことを書き残しておきたいと思う。


●河上真冬「ホチキスの針」
以前、無間書房ブログに1000字程度の批評を書いたので、そこへのリンクを貼っておきます。
『待兼山文学 第二号』より「ホチキスの針」を読んでー加虐と自虐の一体性ー



●伊藤広晃「客星」
クトゥルフ神話の世界観を借りているのだと、読んでいる途中で気付いた。僕はその方面に造詣が深くないからよく分からないのだけれど、このようなある種二次創作的な試みは盛んに行われているものなのだろうか? 

文章は良くも悪くも「厨二的」と評することができる。かなり洗練されているなと感心して読んだのだが、このような文章作法にもクトゥルフの影響があるのだろうか? 他人の文法を真似するというのは並大抵の努力でできることではないので、その辺りも気になるところである。



●吉村雄太「黒い鳥と自動販売機」
小説に初挑戦と編集後記に書いてあったが、それにしては見事。僕なんかより数段うまい。
夢と現実を重ね合わせているところに作品の妙があると言えるが、いささかその手法だけに満足してしまっている感がある。ただ、その繋ぎとして「カラス」を挿入したのは見事であった。

この手の小説は、基本的には社会的・風刺的に読むことを強要される。作者がどのような話を書こうとしたかに拘らずに。

人間一人では狩りもできずに何も食べることができないくせに、自動販売機なんかに頼って生きている。もしも資本主義経済という大きな黒い鳥が死んでしまった場合、僕らはどうするのだろうという風刺だ。手垢がついているテーマという感は否めないが、それを夢に出てくる黒い鳥とダブらせ、鮮明に読者の記憶に留めたことは素晴らしいとしか評しようがない。



●「「あの花」に見る深夜アニメ批評」
あの花から導き出されたものを深夜アニメ一般に敷衍させるのかと思っていたが、作品論のみに終始していたのが残念。また、やや主観的で感想文めいているという感想を抱いたことも事実である。

ただ、試みとしては非常に面白い。僕はほとんど未読だが、サブカル批評の本はたくさん出版されているので、そこで用いられている手法などで分析を試みれば「深夜アニメ」を「文化」に昇華されるという筆者の意図に適った論評ができるのではないだろうか。

瑣末なことだが、アナルはアナルと書かなければならないように思う。気持ちは分かる。痛いほど分かる。しかし、そこはアナルと書くべきである。アナルと書くべきである。大事なことなので、二度書いておく。

じんたんやその他のキャラクターがいわゆる「アニメ的」では無いという批評があったが、「まどマギ」に関して同じような感想をどこかで聞いたことがある。曰く、「さやかだけは人間的造詣が施されている」と。何故そのように描かれているのかも分析されていたように思うけれど、忘れてしまったのでここには書けない。

さて、そこにアクセントとして、メンマのアニメキャラ的造詣が加わるという論旨だったように思う。つまり、メンマは萌え豚ホイホイだったわけだ。なるほど。



●「蝶の紋」羽佐田晃佑
よくできたゴシック小説という感じ。「精神病」という共通項もあって、『ドグラ・マグラ』を思い出した。遺書という形式も面白かった。

ただ、明治浪曼か大正浪漫か昭和浪曼か分からないけれど、やや古風な時代背景と言葉遣いが読者(つまり僕)との間に懸隔を生んでいて、個人的にはあまり好きではない(あくまで、個人的に)。しかし、その設定と文体が更なる怪奇性を付与していることは紛うことなき事実である。

怪奇小説好きの方にはオススメの作品。僕は泉鏡花も夢野久作も安部公房も何だか肌に合わないので、ダメである。


●「私的用語集」日谷良平
出色。あまりにも好きなので、何も書きたくない。

例えば純文学の定義なんぞはアカデミックな立場から言えば全然違っているのだろうけど、そういう見解は受け付けていないようだし、ある種真実だと僕も認めるところなので、特に何も書かない。

一緒にお酒を飲みながら、日谷氏の文学講義を拝聴したい。本誌未読の諸氏は、「私的用語集」を最初に読むことをオススメする。


●「クリスマスの夜に」福原崇太
このニッキーはとんでもなく長生きなのか、はたまだ四代目くらいのニッキーなのかと読了後に考えたが、まあどうでも良いことである。勝手にクリスマス氏は老人だと想像していただんけど、もしかして壮年男性なのかな……?

「ピカイチ」がこの物語の世界観の全てである。勿論他にも構成要素はたくさんあるのだが、ウォーリーとデイヴィッドが「ピカイチ」と言い続ける作品であることに、この作品の良さが詰まっているのだと僕は思う。


●「沈黙の時間」船津拓実
突然の女性との出会いと、衒学と、カフェと、音楽と、本とに村上春樹を。退廃に太宰治を感じた。足して2で割ったような感じだなあと思っていたんだけど、よく考えてみたら春樹成分の方が多いかもしれない。

しかし、ただのかぶれものでは無い(春樹も太宰も影響を受けていなかったらすみません)。筆力がめちゃめちゃあって、簡単にこの世界観に引き込まれてしまう。筆力もさることながら、本を読むことも好きなんだろうなという風に感じた。読んでいてどういう書き方をされていたら気持ちいいかということがわかっている(というのは、読んでいて僕が気持ちよかったというだけのことなんだけど)。

話の構成も全体的に凄くよくできていて、批評したくないんだけど、最後に語り手が批評家めいた顔をしない方が良かったんじゃないかと僕は思う。変に寓話的になってしまう。同じ過ちを芥川が「酒虫」でやってのけている。答えは全部削るべきだったんだ。しかし、その語り手からの答えを踏み台にして、読者が別の答えを見つけられなければならないのかもしれない。
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