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LiteraTech風見鶏

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流行は循環するか?今年はミリタリーがブームだとか…。

いやぁ、街なんか歩いていて、やたらとミリタリー系の服を着た女の子が多いなと思っていたのですが、どうやら年末あたりから流行っているみたいですね。

いわゆる軍服風のファッションです。
トム・クルーズ主演の某映画を連想させることから、「トップガン女子」なんて呼び方もあるとか。

モスグリーンのモッズコートは毎年流行るような気がしますが…。
あれも元は軍用パーカーらしいですね。
言われてみれば確かに、という感じがします。


今年の特徴としては、MA-1というフライトジャケットが注目されているそうです。
(一時期はコレ、時代遅れなんて言われてたんですが)


参考までに画像を調べてみましたが・・・
ご、ごつい。
思いっきり男物っぽいですよね。

これがボーイッシュで良い!と人気らしいですが、ボーイッシュ通り越して別のゾーンに入っているような気もします。

また、迷彩服やなんとハーネスまで流行っているらしいですね。

ハーネスって、あれですよ、電気工事のおじさんや大型犬などがつけてる…

しかし、新しいものをファッションに取り入れようとする精神はすごいなと思いますね。
これからもどんなものが出てくるのかチェックしたいです。

ところで、少し前までは千鳥格子がトレンドだと聞いていたのですが、はてアレはまだ健在なのでしょうか。
流行は変化が速くてついていけそうにないです、ハイ…。





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耳の痛い話かも…『「普通がいい」という病』

泉谷閑示さんが書かれた『「普通がいい」という病』、1年ほど前に読んだのですが改めて読み返してみました。

周りと一緒がいい、はみ出さないほうがいい…という考えの人(現代日本人には多いと言われていますが)は、題名だけでドキリとするのではないでしょうか。


この本では「普通」であろうとすることがいかに非生物的であり、人間的成長の妨害になってしまうか、とても丁寧に説明されています。


私が特にギクッ、としたのは、『「癒し」という誘惑」という一節。
「癒し系」だとか「リラックス」さらには「ゆるキャラ」なんてものも、最近ではよく聞くようになりましたよね。
その言葉に対する違和感を、泉谷氏は「甘ったるい不快感」と表現しています。

そもそも救いとは自己が変化する、いわゆる動的なものであるということ。
癒しという言葉にはその変化が見られないということ。

などなど、著者は「癒し」という言葉のイメージに対し独自の見解を述べています。

確かに、言われてみれば「癒し」とは疲れた状態を元に戻すだけであり、そこに変化や成長はうかがえませんよね。
言わば傷を治す薬のようなもの。

もちろん、傷が治らなければ満足に活動することが出来ないわけですが、アロマセラピーやヒーリング・スピリチュアルの爆発的な流行を見ていると、そこにはむしろ薬物依存のような「病的な」嗜好が見え隠れしているように感じます。


このように、現代社会の問題点を浮き彫りにしている本著ですが、クリエイティブであるにはいかに振る舞うべきか、という前向きなアドバイスも多々述べてあります。

これから創作的な活動をしたい、と思う人には必読の書ではないでしょうか。


伊坂幸太郎と森絵都

まず最初に断っておかなければならないのは、本稿が伊坂・森両氏の比較をするものではないということだ。
単純に、私の浅い読書歴史上で双璧を成すのが、この二人だというだけだ。

つまり、私はこの二人が大好きだということ。同年代の方の中には、私と同じように両氏が大好きだと言う人もいるのではないだろうか。

さて、私は現時点で刊行されている両氏の作品を全て読んだわけではないのだが、気の赴くままに、つらつらと、そして好き勝手に両氏への思いの丈をここにぶちまけてみたいと思う。

まずは伊坂。ちなみに、私が最も好きなのは連作短編集の『チルドレン』だ。後にも先にも、私はこれ以上に胸が高鳴る短編集を読んだことがない。

特に好きなのが、家裁コンビ陣内・武藤の話。キャラの個性は完璧。私は陣内が大好きで、陣内のように生きたいと思うことがある。最近になって再読してのだが、初読のときと相も変わらず「かっこいい!」の一言に尽きる。理屈抜きに、どうも私は陣内が好きらしい。それはつまり、きっと陣内は私に持っていないものを持っているのだろうと思い、悔しくもなるのだけれど。

氏の長編『砂漠』の一節を引く。

「これはトリックですよ。手品です」麻生氏が微笑みながら、肩をすくめる。目尻に皺が寄り、人の良さそうな顔になる。これは女性にもてそうな人だな、と僕も納得した。ユーモアがあり、軽やかで、知的そうだ。以前、西嶋が教えてくれた、「売れる、小説の条件」と奇しくも一致する。ユーモアと軽快さと、知的さだ。洒落ているだけで、中身はない。(pp.283-284)

超能力対決の前に出会った麻生氏の描写であるが、重要なのは彼ではなく、西嶋が言った言葉だ。「売れる、小説の条件」とは、「ユーモア」「軽快さ」「知的さ」この三本柱で成り立っているという。ただし、「洒落ているだけで、中身はない」

伊坂好きの皆様には、この言葉が自虐を含んでいることがすぐにおわかりいただけるかと思う。彼の文章の特徴はまさに、とびきりの「ユーモア」と、言葉の硬軟を使い分ける「軽快さ」、そして古今東西の芸術文化的知識や雑学を随所に織り込む「知的さ」にある。

伊坂は的確に自分の力文体を分析することができている。そして、謙遜を忘れない。「洒落ているだけで、中身はない」
いやいやそんなことはないと、彼の一ファンとして私は声高に言いたい。作者が自分の事を褒めないのであれば、ファンが褒めなければならない。

繰り返すが、彼の作品に登場する人物はとても魅力的である。例えば私は、陣内のようになりたい。
しかし、『砂漠』の西嶋のようにはなりたくない。彼の生き方は決してかっこよくないし、生きにくい。しかし、彼の価値観も分からなくはないし、かっこいいところもある。私は彼の生き様を見て、考え方を改めた部分がある。

このように、伊坂作品にえいきょうを受けて生き方や考え方が変わった読者もいるのではないだろうか。純文学だろうが、大衆小説だろうが、人の心を動かせば、それでいいのだ。「高尚」と「低俗」の違いなんていうのは高校の静物で習った「優性遺伝子」と考え方が「劣性遺伝子」の違いとおなじだ。便宜上そういう名前がついているだけで、どちらが劣っているということはないのだ。伊坂さんは、文句なしにかっこいい。

さて、森絵都の話に移ろう。
この作家を語る上で一番重要な作品はなんと言っても『カラフル』だろう。ハードカバー、文庫本ともに目の覚めるような真っ黄色の本で、この色にひかれてページを開いてみたという方も少なくはないだろう。

何が素晴らしいって、ラストがすばらしい。後輩が娼婦、という設定にも驚き。男友達の設定がやけにリアルなのも良い。森は女性であるはずなのに、どうしてか等身大の気の弱い男の子を描くことができる。
私自身、昔から気の強い方ではないので、主人公真に強く同調しながら読んだ記憶がある。初読は中学生の時であった。思えば、私の読書人生はあそこから始まったのだ。この本をきっかけにして、様々な本を読むようなった。

最近になって『ラン』を読んだが、文章が進化していた。もともと彼女は女性らしい軽やかな文章を得意としていた。しかし、そこは早稲田文学部卒、牛一は豊富だ。初期の作品では、その語彙力が十分に発揮されていなかったようにおもうが、『ラン』柔らかい口語の中にポンと硬質な言葉を織り込むことによって、彼女独自の文体を確立させている。

どちらかと言えば、私は森を「文体の作家」という風に評している。もちろん、ストーリーが周囲綱作品はいくつもあるのだが、それ以上に、彼女の文体には魅力がある。

対して、伊坂の魅力はやはりストーリーだ。あの軽快な語り口は好きなのだが、特異な登場人物たちがひしめく話の面白みと言ったらない。

また、森は孤独の作家であり、伊坂はそうではない。まあこれは、おおまかな傾向にすぎないけれど。森の作品の登場人物は、だいたいがはじめに孤独を抱えている。友達は少ない。
一方、伊坂作品の主人公は「友達なんていらない」という雰囲気を醸し出しているにも関わらず、仲間が多いよなという印象(『死神の精度』みたいな作品もあるけれど、つまり、それが例外ということ。森絵都作品だって、友達のいない主人公ばかりではない)。


予定していたより随分と長くなってしまった。
まあつまり、私は両氏の作品が大好きなので、色んな人に読んで欲しいということ。書店の新刊コーナーにだいたい並んでいるくらいのペースで出しているし、古本屋にいけば廉価でてにはいるものもあるので、まだ読まれたことのない方は、是非。





IPS細胞と医療技術の発達

IPS細胞の研究の成果が認められ、京都大学の山本教授がのベール賞を受賞した。
・・・という書き出しをするには少し時勢を逃した感があるが、ふと思い出したので、関連して医療に関することについて書かせていただく。

そもそもIPS細胞ってそもそもどんな働きがあるんだ、って疑問を持っている方はとりあえずwikipediaでも見てきていただきたい。私もさっき読んできたばかりなので、説明しろと言われても無理なので・・・。

まあ、ざっくり言えば万能細胞といったところか。研究が進めば、どんな組織でも臓器でも復活させることができるらしい。心臓移植を待ってもドナーが現れずに死んでいく人々が命を落とさなくてもすむ日が近いのかもしれない。

また、美容面でも使用が期待できるだろう。老いてしまった肌をどれだけでも若返らせることができるかもしれない。

体の全ての細胞を取り替えることができるのならば、もしかして不老不死も可能なのではなかろうか。神しか成し得なかった所業に、人間の手が届く可能性がわずかながら見える。


IPS細胞に限らず、医療の発達はめざましい。江戸時代、労咳(肺結核)にかかった人はまず助からなかったというが、現代はそんなことは全くない。

平均寿命の伸びは、高齢者がなかなか死ななくなった(語弊を招きそうだが、他に言い回しが見つからないのでこれでいく)だけではなく、新生児が例えば未熟児で生まれたり危険な状態で生まれてきたりしても、医療のおかげで死ななくなったことも関係している。

このようにして、医療は私たちの未来を明るく照らしてくれている。


・・・というの面もまあ、あるだろう。というか、そういう風に期待を持ってしかるべきだ。
しかし、物事には良い面もあれば悪い面もある。

高齢化社会、高齢化社会ときて、すでに日本は65歳以上の人々が人口の21%を越え、超高齢社会の到来だという人もいる。

合計特殊出生率の低下にも原因があることはもちろんだが、老人がなかなか死なないということにも問題がある。

もちろん、老人に早く死ねと言うわけではない。私だって長生きしたい。ただし、それが高齢社会を助長している面もあるよね、という話。

無論、長生きしてくれて構わない。その分、産めばいいだけの話なのだろうから。
話はそう単純ではないけれど、まあ、バランスさえ取れればそれで良いという気もする。

でも、不老不死が実現するのだけはいただけない。こればかりは実現するなと思う。有限の命だからこそ意味があるとか、新世代が生まれなくなるとか、そういう何かちゃんとした綺麗な理由があるわけではなく、単純に、私が「永遠」というものを生理的なレベルで受けつけないだけなのだけど(本当に、永遠について考えるとお腹が痛くなることがある)。

倫理的にも、もし不老不死になったらどうなのという問題や議論はわんさかあるだろう。気になったら、調べてみるのも良いし、自分で論を組み立ててみるのもまた面白いと思う。


医療はこれからも発達するべきである。ガンやエイズに対する有効な治療法が発明されれば良いと、心から願ってやまない。本当に。

ただ、医療技術が発達する負の面についても考えを巡らせておかないと、私たち人間は医療をつまらないことに使ってしまうかもしれない。

勉強とは

こんにちは。今日は割と温かく、過ごしやすい一日でした。

さてさて、今日は勉強のお話。みなさん、勉強してますか?

大学受験のために勉強したことを昨日のことのように覚えています。何の役に立つのかわからず、たくさん知識を詰め込みましたね。

私は昔からどうも暗記というのが苦手でして(苦手な方が多いと思いますが)。
日本史が大嫌いでした。空海と最澄の区別がつかず、金閣を建てたのがが誰とか、銀閣を建てたのが誰とか知るわけもなし。鎌倉と室町どちらの幕府が先にできたのかも、考えなければ思い出せない始末。

こんなのでよく大学に受かったなと思うのですが。まあ、終わりよければ全てよしということで・・・。
あ、大学はゴールではなく通過点という言葉もありますね。うーむ、ということはどの時点をゴールとするのか。まあ、その議論は他日に譲りましょう。



勉強することはすなわち、知識を蓄えることだと私は考えています。

社会勉強という言葉がありますね。あれも文字通り勉強で、社会に出たらこんなことがあるんだなあという知識を蓄えることを指すのではないでしょうか。(社会での対応力を身につける、という意味もあると思いますが、まあ今回は知識の話なので)。

知識は道具です。ただの道具にすぎません。

私がジブリアニメーションが所持しているような、素晴らしいCGをつくりだすことのできるコンピュータを手にいれたとしましょう。さて、それだけで私がジブリと同じようなアニメーションをつくることができるでしょうか。

もちろんできません。私にそんなことはできません。このコンピュータの操作方法をマスターしても無理でしょう。私にそういう才能がないのはよくわかっています(絵がとても苦手なのです。機会があれば、今度アップしてみましょう)


知識を得ても、それを使いこなせなければなりません。あることを知っているとして、それを自分の人生にどう活かすのか。

例えば、経営におけるマネジメントの知識を本で得たとしましょう。そしてあなたは会社の部長とします。

いくら本を読んで勉強したとしても、その内容を実行しなければ全く意味がありません。
あなたと同じくらいの部長が隣の部にいるとします。あなたは、本を読んだけれど実行に移していないために部下をうまくまとめきれません。隣の部長はマネジメントの方法すら知らないために、部下をうまくまとめることができません。

さて、あなたと隣の部長にはどのような違いがあるでしょう。知識の有無という点では、あなたの方が優っています。しかし、他人から見れば二人は何も変わらないダメな部長です。


繰り返しますが、知識は道具です。使わなければ、持っていても意味がありません。

知識は道具ですが、かさばりません。つまり、いくら持っていてもいいわけです。いつそれを使うことがあるとも限りません。

だから、私たちは勉強をするのではないでしょうか。いつかその道具を使う日のために。
これが私の考えです。


まとまらなくなってきたので、この辺で失礼します。乱文失礼しました。
何かありましたら、コメントよろしくお願いします。

血液型の話

血液型の話を聞きました。
日本人は血液型診断が大層好きですね。私は信じていませんが。そもそも、血液型診断を信じるのが日本くらいなのだそう。

ヨーロッパでは、自分の血液型を把握していない人も多いんですって。確かによく考えてみれば、私たちはなんのために自分の血液型なんて覚えてるんでしょう。
しかもABO式血液型は分かっても、RHがプラスかマイナスかを知らない人は多いはず。私はB型ですが、RHに関してはこれまでに聞かされた覚えもなければ、知ろうと思ったこともありません。

Twitterなんかやってると、よく血液型あるあるなんてツイートが流れてきますね。たまたまA型のを読んでみたのですが。
「・・・あれ、これ当てはまりすぎるんだけど」
という感じでして。(繰り返しますが、私はB型です)

そこで、Twitterで流れてくる血液型別あるあるを全種類集めてみました。
括弧内の@以下が呟いたアカウントのIDです。そのままコピペしたので、みにくいのはご勘弁

(@3000retweet)
【A型あるある】 ・一人の時間が好き ・でも皆といるのも好き ・マジで怒ると沈黙&無視 ・熱中してる事は誰よりも詳しい ・口が悪い相手はだいたい信頼してる ・面倒くさがりだけど几帳面 ・たまに豪速球の天然 ・人の話を聞かない #A型の人はRT #共感したらRT

(@omoboibotbot)
◯B型あるある◯*話してる途中で話が変わる *好きなものに一直線 *興味のない事には見向きもしない*割と常識人*1人が好き、独りは寂しい*猫みたいな性格 *親しい相手に対しドS *冷たいのは親愛の証*大人数は嫌い、一部に神経質 *涙脆い *興味のない人には見向きもしないorzpq

(1000favs_BOT)
【O型あるある】・好きなことにはとことん詳しくなる・「お腹すいた」「ねむい」が口癖・「まぁいいや」も・一人の時間がないとだめ・寂しくてもだめ・変なところで几帳面・変なことを覚えている・ON/OFFが激しい・キレると怖い・めんどくさい・自由奔放 #O型の人RT omoboibotb

(@kwpjjd)
【AB型あるある】マジでキレると黙る/ひとりの時間がないと死ぬ/寂しくても死ぬ/冷たいのは親しい証拠/説明する時擬音が多い/変なところ几帳面/スルーは得意/感情のスイッチがフル稼働/話飛ぶけど自分の内では繋がってる #AB型あるある

本当は、同じアカウントで呟かれたものから拾おうと思ったのですが、時間の関係で断念。しかし、改めて並べてみると面白いですね。

まず、「皆といるのは好きだけど、一人でいるのも好き」という趣旨のことが、全てのつぶやきに共通しています。
「一人は好きだけど独りは嫌」みたいなことですよね、つまり。だいたい全員にあてはまるに決まってるんですよ。
それを「あ、このbot当たってる! やっぱり血液型診断って正しいんだ!!」と思うからいかんのです。

他にも共通点があったりして、いちいち比較してると楽しいんですけど、今回はこのくらいにしておきましょう。お暇であれば、是非みなさんご自分で見比べてみてください。

参考までに、クズあるある載せときますね。
これもかなり血液型と共通点を見つけることができて、笑うしかありません。

(@10second_bot)【クズあるある】 ・好きなことにはとことん詳しくなる・「お腹すいた」「ねむい」が口癖・「まぁいいや」も・一人の時間がないとだめ・寂しくてもだめ・変なところで几帳面・変なことを覚えている・ON/OFFが激しい・キレると怖い・めんどくさい・自由奔放 #クズの人RT


こういうのを、バーナム効果というらしいです。誰にでも当てはまりそうなことをもっともらしく言ってるだけなんですね。血液型に限らず、占いはこういうものの応用なんじゃないかと聞いたことがあります。
信じる信じないは個人の自由なのですが、少なくとも私は信じないよなあ、と。しかし、こうやってネタとして取り上げるには面白いですね。


ではでは、第一回雑記はこれにて終了といたします。
みなさま、いかがでしたでしょうか。何かありましたら、コメントよろしくお願いします。