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耳の痛い話かも…『「普通がいい」という病』

泉谷閑示さんが書かれた『「普通がいい」という病』、1年ほど前に読んだのですが改めて読み返してみました。

周りと一緒がいい、はみ出さないほうがいい…という考えの人(現代日本人には多いと言われていますが)は、題名だけでドキリとするのではないでしょうか。


この本では「普通」であろうとすることがいかに非生物的であり、人間的成長の妨害になってしまうか、とても丁寧に説明されています。


私が特にギクッ、としたのは、『「癒し」という誘惑」という一節。
「癒し系」だとか「リラックス」さらには「ゆるキャラ」なんてものも、最近ではよく聞くようになりましたよね。
その言葉に対する違和感を、泉谷氏は「甘ったるい不快感」と表現しています。

そもそも救いとは自己が変化する、いわゆる動的なものであるということ。
癒しという言葉にはその変化が見られないということ。

などなど、著者は「癒し」という言葉のイメージに対し独自の見解を述べています。

確かに、言われてみれば「癒し」とは疲れた状態を元に戻すだけであり、そこに変化や成長はうかがえませんよね。
言わば傷を治す薬のようなもの。

もちろん、傷が治らなければ満足に活動することが出来ないわけですが、アロマセラピーやヒーリング・スピリチュアルの爆発的な流行を見ていると、そこにはむしろ薬物依存のような「病的な」嗜好が見え隠れしているように感じます。


このように、現代社会の問題点を浮き彫りにしている本著ですが、クリエイティブであるにはいかに振る舞うべきか、という前向きなアドバイスも多々述べてあります。

これから創作的な活動をしたい、と思う人には必読の書ではないでしょうか。


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