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親が我慢をするということを学びました 平井信義『けんかを忘れた子どもたち』を読んだ。

平井信義氏の書いた『けんかを忘れた子どもたち』を読みました。

1992年に書かれた本ということで若干古い考え方も見られましたが、その多くは現代でも生きる内容だという風に思いました。

その中で、いくつか心に残ったものを紹介します。
 われわれは、大人になると童心を忘れます。そして、さもまじめな人生を送ってきたように装います。とくに教師という職業につくと、それが著しくなり、嘘つきの権化みたいになってしまいます。そして、道徳的なことばかりを話したり、子どもを訓戒したりするような人間になってしまいます。両親にしてもそうです。親になると、つい、子どもの前では”ありのまま”の自分を表現できなくなり、えらそうな顔をしていたくなるものです。そのような状態で子どもと接しているのでは、本当の「思いやり」は育たないものです。
平井氏はこの箇所だけではなく、本書全体で親を含めた大人たちが正直であることを重要視しています。

親であろうと教師であろうと、何もやましいことがない人はいないでしょう。
キリスト教の逸話にも同じようなものがありましたね。「この売春婦に石を投げつけていいのは、これまでに全く罪を犯したことがないものだけだ」と。

大人も自分が何か愚行をしてきた、あるいは今後も愚行をし得るということを意識して子どもと接していかなければなりません。

もちろん、その課程で子どもに反道徳的なことを容認すればいいというわけではありません。教育をする上で自分の行動を見直して、いい方向に持っていくということが大切なのではないでしょうか。

子どもと一緒に成長していこうとする、こういう姿勢が今後の教育には必要なのだと思います。両親といえども、絶対ではありません。人間は神様のように絶対であることは有り得ないのです。


また、この本の中では子ともを放任することが繰り返し述べられています。

これは、『エミール』に共通するかんがえかただということができるてわしょうか。

愛情を注ぐということは、必ずしも過保護に育てるということではありません。

子供の事を思うのであれば、やはり千仞の谷に突き落とすくらいの覚悟が必要なようです。




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