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性と死

人間にとって大きな関心事は、性と死に集約されるものだと僕は思っている。これは決して誤字ではない。もちろん、生への興味はあるのだろうが、それは死の反対概念として興味を持っているということで、死に包括される概念ではないかと思う。

性については、僕らは色々なレベルで物を考える。小学生の頃から下ネタを言っては喜び、アニメや漫画の中にも恋を扱うシーンは多く存在する。ミュージックシーンにも恋愛の歌が並び、純文学だって男女の問題について書かれていることが多い。

さて、ここに「男女」と書いた。もちろんこれは語弊があり、セクシャルマイノリティの人々はこれ以外の関係を気にすることになるだろう。しかし、セクシャルマイノリティでない人も、男ー男、女ー女の関係を意識する。男性に対する接し方と女性に対する接し方が違うという人は、程度の差はあれ多く存在しているのではないだろうか。

死の持つエネルギーも凄い。どうしてだか、人が死ぬと人間は泣き出しそうになってしまう。それは、いつか死ぬ自分を想像してのことなのだろうか? それとも、もうその人と会話できないという寂しさの為なのか。

ニーチェは神が死んだと言い、ロランバルトは作者が死んだという。原文から「死」という単語が使われていたのかどうかは知らないが、訳する過程でこの言葉を使われたにしても、「死」というフレーズのパワーによってこの言葉を使っているのだろう。

だから何が言いたいかというと、物語創作をする場合には常にこの要素を意識しなければならないのではないか、ということだ。短絡的発想ではあるが、この性と死についての問題を取り扱っていれば、物語は大体において面白くなる。
また、そういう短絡的発想から逃れようと思えば、この性と死の匂いを一切消し去ってしまうことも重要かもしれない。


と、こんなことを書くのは僕がもともと性について興味があり、死ぬ怖さがうまく克服できないところに端を発している気がするんですけどね。
しかし、僕はこれが重要事だと考えているので、僕は、これをテーマにして創作を続けていきたいなと思っている所存です。
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