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カテゴライズする日本人

日本人はカテゴライズするのがとても好きである。それが日本人だけなのかどうかはしらないが、少なくとも日本人はカテゴライズするのが好きだと言っても差し支えないだろう。これは僕の経験則から言えることである。

ネット上で「マイルドヤンキー」という言葉を聞くようになって久しい。もっとも、あまり流行しないうちにこのまま消えてしまいそうな言葉だが……。
草食・肉食系というカテゴライズは割と流行ったように思う。歴女とか、森ガールとかもそうかな? 一瞬で消えたマシュマロ系女子なんて言葉もある。

まあ、こういう象徴的な名詞だけではなくて、僕らはいつでも人をカテゴライズしようとする。「あの人、結婚できなさそう」「あの人はそういう性格だから」などという風に個人を特定の枠にはめ込もうとする。

これは演劇や映画をしているとすごく重要なことで、ある人というものに役者をはめこまないといけないのだから、ある程度テンプレート化された人物像にはめこまなければならない。役者はその人物になりきろうとするため、その人物像を把握できていなければならない。もちろん、役者毎のスタンスの違いはあると思うが、僕が持つ少ない経験で見る限りは、そのキャラをカテゴライズしようとする傾向にある。

しかし、実際の人間はそうまとまった性格があるわけではないのだ。ということを漱石も『坑夫』の中で言っている。カテゴライズすることに果たしてどれだけの意味があるのか。人は日々の中で変わっていくものだから。

カテゴライズしようとする人は、少なからず人を見下す傾向にあるように思う。カテゴライズするということは理解するということである。ある一言で、その人のことを把握してしまう。本当はそんな一言で把握できるはずのものではないのに。その理解は、相手に対して失礼であるということを自覚せねばならない。自分がある一言で把握されたら、悔しくはないだろうか?

と言って、私もこんな風にカテゴライズすることはあるので気を付けなければならないとは思っている。対象として捉えるときはまだしも、普通の人間関係の中ではこういう感情から解き放たれたいものである。
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