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無題

同意見です。言語の一側面というか大きな役割として「意思伝達ツール」というのがあるわけですし、「文脈から察しないとその文(喋り言葉でも)での助動詞の意味が一意に定まり辛い」というのは短所であって、補えるなら補った方が良いと思います。方言とかではどうなんでしょうね
Re:無題
  • あとーす
  • (2013/12/18 09:06)
ご意見、ありがとうございます。
そうなんですよね、やっぱり意味が一つに定まるという点で優れていると私は思うんですよ!

方言ですか……。例えば「行けない」を「行けん」と言ったり「出来ない」を「でけん」と言ったりするのは方言の類だと思います、これも「省エネ化」という側面を持っていると私は考えています。(意味が伝わりやすくなるという側面もあると思います。方言でしか伝わらない感覚もあると言いますし)。

ただ、方言における「ら抜き言葉」については考えたことがありませんでした。新しい知見を得ることができました。これから調べてみようと思います、ありがとうございます!

無題

はじめまして。Twitterのフォロワーさんと昨晩この記事について話をしていまして…。
ら抜き言葉と所謂、読字障害における脳機能の働きとの関連性があるのではと考えてます。
しかし、日本においては長らく日本語に読字障害についての研究は積極的に行われてないのでなかなか実際証明が難しいと思います。
ただ、私個人は子供の頃から読字障害に似た悩みがありまして…その中でら抜き言葉でないものもら抜き言葉読むことがあります。
また、最近では単語の前後の文字が正確であれば中の文字列については誤表記しても正確に認識できる(錯覚とも)という研究もされてますので…便宜上の省略または認識上の省略によってら抜き言葉が派生した理由は多岐に渡るような印象を持ってます

無題

修正)単語〜の研究はコピペで流行ったものに対しての検証の方です。
Re:無題
  • あとーす
  • (2013/12/18 14:36)
匿名希望さん、ご意見ありがとうございます!
読字障害ですか……私は初めて聞く目にする単語でした。少し調べてみましたが(と言ってもWikipediaを見ただけですが)、このような障害があるんですね。なるほど、確かに関連がありそうです。

また、単語の前後が~については私も知っておりますが、確かにそれも関連がありそう……盲点でした。
文字を「読む」のではなくて「見る」という視点から見れば、確かにそういう解釈が可能なようにも思います。その辺りは、アンケートや実験を通じて明らかにできそうですね。

貴重な意見ありがとうございました。今後、「ら抜き言葉」の考察をする際の参考にさせていただきます!

無題

ら抜き言葉は動詞の類によって異なっている可能表現の形式を統一しようという変化であるように見えます。
実際に見てみると、
走る(hasir-u)→走れる(hasir-eru)、走らない(hasir-a-nai)
歩く(aruk-u)→歩ける(aruk-eru)、歩かない(aruk-a-nai)
読む(yom-u)→読める(yom-eru)、読まない(yom-a-nai)
書く(kak-u)→書ける(kak-eru)、書かない(kak-a-nai)
食べる(taber-u)→食べられる(taber-areru)、食べない(tabe-nai)
着る(kir-u)→着られる(kir-areru)、着ない(ki-nai)
寝る(ner-u)→寝られる(ner-areru)、寝ない(ne-nai)
起きる(okir-u)→起きられる(okir-areru)、起きない(oki-nai)
と、否定形に-a-が現れる動詞では-eruが、現れない動詞では-areruが可能の形態素になっていることが分かります。
これを統一しようと思った時、そこには2つの方法があります。
一つは-eruとなっているところでも-areruを用いる方法、つまり読めるを読まれると言う方法です。
ところがこれだと受け身や尊敬と形式上同形になってしまい、厄介です。
そこでもう一つ、-areruを-eruに取り替えてしまう方法を考えてみましょう。
すると、食べれる、着れる、寝れる、起きれる、形式のカブりもありません。問題なく形態素の統一が出来ました。
これがいわゆるら抜き言葉、実際にはar抜き言葉です。
他人の受け売りですが、言語学的な分析を紹介してみました。

少し気になったのですが、入力のミスが目立ちます。そこは修正をしておいたほうがいいと思います。
それから「意味を成さない形式」と「規範的とみなされない形式」とは区別するべきです。前者は言語体系の問題ですが、、後者は話者の意識の問題なので。
言語の分析は音を表す方法で書いて見るといろいろ見えてくるので、日本語であってもローマナイズしてみることをおすすめします。
Re:無題
  • あとーす
  • (2013/12/18 23:53)
コメントありがとうございます!

「ar抜き言葉」という考え方は私の全く知らない考え方でした。教えてくださり、ありがとうございます。
「ら抜き言葉」については様々な考え方がありそうですね。唯一の要因によってではなく、様々な要因が絡んで変わっていくというのが日本語変化の特徴なのかなと思いました。
しかし、この「ar抜き言葉」が最も論理的な説明であると思いました。私ももう少し掘り下げて調べたり考えたりしたいと思います。

ローマ字にしてみる、大切なことを忘れていました。これからも日本語学を勉強するにあたり、精進していきたいと思います。

後半が誤字ラッシュでしたね……。
訂正させていただきました。ご指摘ありがとうございます。

この話は論をつめてもダメ

ら抜きがクローズアップされるのは、関東方言で使われないことから、標準語成立の過程で排除された点にあります。
「ら抜き」は便利な田舎物判別機能を有することになったわけです。
というわけで、「ら抜き」がいくら合理的だと論じたところで意味はありません。
Re:この話は論をつめてもダメ
  • あとーす
  • (2013/12/21 22:05)
方言話者さん、コメントありがとうございます。
僕自身が九州から出たことがないので、関東方言圏と九州方言圏での「ら抜き言葉」の使われ方の違いがよくわかっていません。しかし、調べてみたいなあと思います。

ただ、合理的かどうかを論じることが意味のないことだと私は思っていません。合理的であるとするならば、受け入れられるものだと思うんですよね。老若男女問わず「ら抜き言葉」を徹底的に排除しようとする人がいますが、それってちょっとおかしくないですか、というのが僕の言いたかったことの中身です。

ご参考に

お返事ありがとうございます
「着ることができる」の方言地図を見ると過去の分布がよく分かりますよ。
http://www2.ninjal.ac.jp/hogen/dp/gaj-pdf/gaj-pdf_index.html
http://www2.ninjal.ac.jp/hogen/dp/gaj-pdf/gaj-map-legend/vol4/GAJ4-176.pdf


Re:ご参考に
  • あとーす
  • (2013/12/23 21:49)
方言話者さん、ありがとうございます。
資料へのリンク助かります! 方言という観点から、またら抜き言葉について考えていこうと思います。いつかその方向で記事を書いてみたいと思いますので、そのときはまたご意見よろしくお願いいたします。

「ら抜き言葉」は機能的な言葉なのではないかという僕の考え



みなさん、こんにちは。
今回は、少し日本語についての考察をしてみようと思います。

まずはみなさん「ら抜き言葉」というものをご存知でしょうか。まあ、知っている方が多いと思います。
可能表現である「~られる」から「ら」が抜けて「~れる」とする言葉遣いのことです。
具体的に言うと、「見られる」を「見れる」としてしまったり、「食べられる」を「食べれる」としてしまうということです。

まず確認しておきたいのは、「ら抜き言葉」が文法的に破格である、ということです。
つまり、正しくない日本語として認識されているのです。
でも、「ら抜き言葉」って市民権を得ているような気がしますよね。僕も、普通に使いますしね。ただ、レポートや報告書などの正式な文書に使うことはあまり好ましくないでしょう。


どうして「ら抜き言葉」って生まれたのかなあと考えたんですが、もしかしてそこには略語の思想があるんじゃないかなと僕は思っています。
例えば「ファミリーレストラン」は「ファミレス」になるし、「コンビニエンスストア」は「コンビニ」になります。「携帯電話」を「携帯」とわけのわからない形に略してしまう民族ですからね、僕たちは。言葉の省エネ化というのがどんどん進む国民性があるのかもしれません。

でも、省エネ化だけじゃないんですよね。例えば僕たちが「ファミレス」という言葉を使うときその背景には「ファミリーレストラン」という元の言葉があるのですが、「ら抜き言葉」を使うときというのは、その背景に「らが入った正確な言葉」というのは意識されていないことがあるんですよね。

これって、日本語がややこしいことが問題なんですよ。
英語で可能を表す表現といえば、”can”や”~be able to”を使いますよね。可能を表しているということは一目瞭然なわけです。

でも、日本語ってややこしいんですよね。
可能の助動詞には「る」と「らる」がありますよね。

例えば、「私は電話をかける」という一文の可能の文にするには、助動詞を使って「私は電話をかけられる」とします。

「私は電話を描く」の可能形となると、「私は電話を描ける」になる。

この「私は電話をかける」と「私は電話を描ける」は発音は一緒なのに意味は違うのです。それだけではなくて、一方は可能の文なのに、もう片方は可能の文になっていませんね。

日本語の仕組みを考えればこの違いというのはすぐにわかるのですが、瞬時に理解できるかと聞かれると、少し考えざるを得ません。

なんで「描く」は「描ける」と言えるのに、「見る」は「見れる」ではダメなのか。あなたは、その理由を即答することができるでしょうか。

「ら抜き言葉」は、このようなめんどくささから私たちをフリーにしてくれるのではないでしょうか。


また、同じ音の助動詞に複数の意味があることにも問題がありますね。

例えば、「私は電話をかけることができる」を助動詞を用いた可能表現で表そうとすれば、「私は電話をかけられる
となります。

この「かけられる」の部分だけを見た場合、①可能②受身③尊敬の三つになる。"can"のように意味を一つに決めることができません。

「私は電話をかけられる」全体で見れば、主語が「私なので③の意味であるというのはありえませんが、②の意味はまあ意味が通るでしょう。

しかし、これが「私が電話をかけれる」とら抜き言葉を使えば、②の可能性は消えてしまい、意味は①に確定するのです。

このような利便性から、私たちは「ら抜き言葉」を使っているのではないでしょうか。

冒頭でも述べたように、確かに「ら抜き言葉」は日本語として破格です。でも、規制のルールからはみ出してこそ、新しい日本語は生まれると思うのです。

「ら抜き言葉」がさらなる市民権を得る時代が、もしかしたらやってくるのかもしれません。それまでは、正しい言葉遣いをした方は得策ですけれどもね。


あなたは「ら抜き言葉」に対してどのような考えをお持ちですか?
皆さんの意見をコメント欄やTwitterなどでお待ちしています!
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Comment6 Comment

無題

同意見です。言語の一側面というか大きな役割として「意思伝達ツール」というのがあるわけですし、「文脈から察しないとその文(喋り言葉でも)での助動詞の意味が一意に定まり辛い」というのは短所であって、補えるなら補った方が良いと思います。方言とかではどうなんでしょうね
Re:無題
  • あとーす
  • (2013/12/18 09:06)
ご意見、ありがとうございます。
そうなんですよね、やっぱり意味が一つに定まるという点で優れていると私は思うんですよ!

方言ですか……。例えば「行けない」を「行けん」と言ったり「出来ない」を「でけん」と言ったりするのは方言の類だと思います、これも「省エネ化」という側面を持っていると私は考えています。(意味が伝わりやすくなるという側面もあると思います。方言でしか伝わらない感覚もあると言いますし)。

ただ、方言における「ら抜き言葉」については考えたことがありませんでした。新しい知見を得ることができました。これから調べてみようと思います、ありがとうございます!

無題

はじめまして。Twitterのフォロワーさんと昨晩この記事について話をしていまして…。
ら抜き言葉と所謂、読字障害における脳機能の働きとの関連性があるのではと考えてます。
しかし、日本においては長らく日本語に読字障害についての研究は積極的に行われてないのでなかなか実際証明が難しいと思います。
ただ、私個人は子供の頃から読字障害に似た悩みがありまして…その中でら抜き言葉でないものもら抜き言葉読むことがあります。
また、最近では単語の前後の文字が正確であれば中の文字列については誤表記しても正確に認識できる(錯覚とも)という研究もされてますので…便宜上の省略または認識上の省略によってら抜き言葉が派生した理由は多岐に渡るような印象を持ってます

無題

修正)単語〜の研究はコピペで流行ったものに対しての検証の方です。
Re:無題
  • あとーす
  • (2013/12/18 14:36)
匿名希望さん、ご意見ありがとうございます!
読字障害ですか……私は初めて聞く目にする単語でした。少し調べてみましたが(と言ってもWikipediaを見ただけですが)、このような障害があるんですね。なるほど、確かに関連がありそうです。

また、単語の前後が~については私も知っておりますが、確かにそれも関連がありそう……盲点でした。
文字を「読む」のではなくて「見る」という視点から見れば、確かにそういう解釈が可能なようにも思います。その辺りは、アンケートや実験を通じて明らかにできそうですね。

貴重な意見ありがとうございました。今後、「ら抜き言葉」の考察をする際の参考にさせていただきます!

無題

ら抜き言葉は動詞の類によって異なっている可能表現の形式を統一しようという変化であるように見えます。
実際に見てみると、
走る(hasir-u)→走れる(hasir-eru)、走らない(hasir-a-nai)
歩く(aruk-u)→歩ける(aruk-eru)、歩かない(aruk-a-nai)
読む(yom-u)→読める(yom-eru)、読まない(yom-a-nai)
書く(kak-u)→書ける(kak-eru)、書かない(kak-a-nai)
食べる(taber-u)→食べられる(taber-areru)、食べない(tabe-nai)
着る(kir-u)→着られる(kir-areru)、着ない(ki-nai)
寝る(ner-u)→寝られる(ner-areru)、寝ない(ne-nai)
起きる(okir-u)→起きられる(okir-areru)、起きない(oki-nai)
と、否定形に-a-が現れる動詞では-eruが、現れない動詞では-areruが可能の形態素になっていることが分かります。
これを統一しようと思った時、そこには2つの方法があります。
一つは-eruとなっているところでも-areruを用いる方法、つまり読めるを読まれると言う方法です。
ところがこれだと受け身や尊敬と形式上同形になってしまい、厄介です。
そこでもう一つ、-areruを-eruに取り替えてしまう方法を考えてみましょう。
すると、食べれる、着れる、寝れる、起きれる、形式のカブりもありません。問題なく形態素の統一が出来ました。
これがいわゆるら抜き言葉、実際にはar抜き言葉です。
他人の受け売りですが、言語学的な分析を紹介してみました。

少し気になったのですが、入力のミスが目立ちます。そこは修正をしておいたほうがいいと思います。
それから「意味を成さない形式」と「規範的とみなされない形式」とは区別するべきです。前者は言語体系の問題ですが、、後者は話者の意識の問題なので。
言語の分析は音を表す方法で書いて見るといろいろ見えてくるので、日本語であってもローマナイズしてみることをおすすめします。
Re:無題
  • あとーす
  • (2013/12/18 23:53)
コメントありがとうございます!

「ar抜き言葉」という考え方は私の全く知らない考え方でした。教えてくださり、ありがとうございます。
「ら抜き言葉」については様々な考え方がありそうですね。唯一の要因によってではなく、様々な要因が絡んで変わっていくというのが日本語変化の特徴なのかなと思いました。
しかし、この「ar抜き言葉」が最も論理的な説明であると思いました。私ももう少し掘り下げて調べたり考えたりしたいと思います。

ローマ字にしてみる、大切なことを忘れていました。これからも日本語学を勉強するにあたり、精進していきたいと思います。

後半が誤字ラッシュでしたね……。
訂正させていただきました。ご指摘ありがとうございます。

この話は論をつめてもダメ

ら抜きがクローズアップされるのは、関東方言で使われないことから、標準語成立の過程で排除された点にあります。
「ら抜き」は便利な田舎物判別機能を有することになったわけです。
というわけで、「ら抜き」がいくら合理的だと論じたところで意味はありません。
Re:この話は論をつめてもダメ
  • あとーす
  • (2013/12/21 22:05)
方言話者さん、コメントありがとうございます。
僕自身が九州から出たことがないので、関東方言圏と九州方言圏での「ら抜き言葉」の使われ方の違いがよくわかっていません。しかし、調べてみたいなあと思います。

ただ、合理的かどうかを論じることが意味のないことだと私は思っていません。合理的であるとするならば、受け入れられるものだと思うんですよね。老若男女問わず「ら抜き言葉」を徹底的に排除しようとする人がいますが、それってちょっとおかしくないですか、というのが僕の言いたかったことの中身です。

ご参考に

お返事ありがとうございます
「着ることができる」の方言地図を見ると過去の分布がよく分かりますよ。
http://www2.ninjal.ac.jp/hogen/dp/gaj-pdf/gaj-pdf_index.html
http://www2.ninjal.ac.jp/hogen/dp/gaj-pdf/gaj-map-legend/vol4/GAJ4-176.pdf


Re:ご参考に
  • あとーす
  • (2013/12/23 21:49)
方言話者さん、ありがとうございます。
資料へのリンク助かります! 方言という観点から、またら抜き言葉について考えていこうと思います。いつかその方向で記事を書いてみたいと思いますので、そのときはまたご意見よろしくお願いいたします。

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