- 2024/11/23
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無題
- NONAMEさん
- (2013/12/17 22:24)
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Re:無題
- あとーす
- (2013/12/18 09:06)
そうなんですよね、やっぱり意味が一つに定まるという点で優れていると私は思うんですよ!
方言ですか……。例えば「行けない」を「行けん」と言ったり「出来ない」を「でけん」と言ったりするのは方言の類だと思います、これも「省エネ化」という側面を持っていると私は考えています。(意味が伝わりやすくなるという側面もあると思います。方言でしか伝わらない感覚もあると言いますし)。
ただ、方言における「ら抜き言葉」については考えたことがありませんでした。新しい知見を得ることができました。これから調べてみようと思います、ありがとうございます!
無題
- 匿名希望さん
- (2013/12/18 11:37)
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ら抜き言葉と所謂、読字障害における脳機能の働きとの関連性があるのではと考えてます。
しかし、日本においては長らく日本語に読字障害についての研究は積極的に行われてないのでなかなか実際証明が難しいと思います。
ただ、私個人は子供の頃から読字障害に似た悩みがありまして…その中でら抜き言葉でないものもら抜き言葉読むことがあります。
また、最近では単語の前後の文字が正確であれば中の文字列については誤表記しても正確に認識できる(錯覚とも)という研究もされてますので…便宜上の省略または認識上の省略によってら抜き言葉が派生した理由は多岐に渡るような印象を持ってます
無題
- 匿名希望さん
- (2013/12/18 11:55)
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Re:無題
- あとーす
- (2013/12/18 14:36)
読字障害ですか……私は初めて聞く目にする単語でした。少し調べてみましたが(と言ってもWikipediaを見ただけですが)、このような障害があるんですね。なるほど、確かに関連がありそうです。
また、単語の前後が~については私も知っておりますが、確かにそれも関連がありそう……盲点でした。
文字を「読む」のではなくて「見る」という視点から見れば、確かにそういう解釈が可能なようにも思います。その辺りは、アンケートや実験を通じて明らかにできそうですね。
貴重な意見ありがとうございました。今後、「ら抜き言葉」の考察をする際の参考にさせていただきます!
無題
- NONAMEさん
- (2013/12/18 22:53)
- [コメントを編集する]
実際に見てみると、
走る(hasir-u)→走れる(hasir-eru)、走らない(hasir-a-nai)
歩く(aruk-u)→歩ける(aruk-eru)、歩かない(aruk-a-nai)
読む(yom-u)→読める(yom-eru)、読まない(yom-a-nai)
書く(kak-u)→書ける(kak-eru)、書かない(kak-a-nai)
食べる(taber-u)→食べられる(taber-areru)、食べない(tabe-nai)
着る(kir-u)→着られる(kir-areru)、着ない(ki-nai)
寝る(ner-u)→寝られる(ner-areru)、寝ない(ne-nai)
起きる(okir-u)→起きられる(okir-areru)、起きない(oki-nai)
と、否定形に-a-が現れる動詞では-eruが、現れない動詞では-areruが可能の形態素になっていることが分かります。
これを統一しようと思った時、そこには2つの方法があります。
一つは-eruとなっているところでも-areruを用いる方法、つまり読めるを読まれると言う方法です。
ところがこれだと受け身や尊敬と形式上同形になってしまい、厄介です。
そこでもう一つ、-areruを-eruに取り替えてしまう方法を考えてみましょう。
すると、食べれる、着れる、寝れる、起きれる、形式のカブりもありません。問題なく形態素の統一が出来ました。
これがいわゆるら抜き言葉、実際にはar抜き言葉です。
他人の受け売りですが、言語学的な分析を紹介してみました。
少し気になったのですが、入力のミスが目立ちます。そこは修正をしておいたほうがいいと思います。
それから「意味を成さない形式」と「規範的とみなされない形式」とは区別するべきです。前者は言語体系の問題ですが、、後者は話者の意識の問題なので。
言語の分析は音を表す方法で書いて見るといろいろ見えてくるので、日本語であってもローマナイズしてみることをおすすめします。
Re:無題
- あとーす
- (2013/12/18 23:53)
「ar抜き言葉」という考え方は私の全く知らない考え方でした。教えてくださり、ありがとうございます。
「ら抜き言葉」については様々な考え方がありそうですね。唯一の要因によってではなく、様々な要因が絡んで変わっていくというのが日本語変化の特徴なのかなと思いました。
しかし、この「ar抜き言葉」が最も論理的な説明であると思いました。私ももう少し掘り下げて調べたり考えたりしたいと思います。
ローマ字にしてみる、大切なことを忘れていました。これからも日本語学を勉強するにあたり、精進していきたいと思います。
後半が誤字ラッシュでしたね……。
訂正させていただきました。ご指摘ありがとうございます。
この話は論をつめてもダメ
- 方言話者さん
- (2013/12/20 21:52)
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「ら抜き」は便利な田舎物判別機能を有することになったわけです。
というわけで、「ら抜き」がいくら合理的だと論じたところで意味はありません。
Re:この話は論をつめてもダメ
- あとーす
- (2013/12/21 22:05)
僕自身が九州から出たことがないので、関東方言圏と九州方言圏での「ら抜き言葉」の使われ方の違いがよくわかっていません。しかし、調べてみたいなあと思います。
ただ、合理的かどうかを論じることが意味のないことだと私は思っていません。合理的であるとするならば、受け入れられるものだと思うんですよね。老若男女問わず「ら抜き言葉」を徹底的に排除しようとする人がいますが、それってちょっとおかしくないですか、というのが僕の言いたかったことの中身です。
ご参考に
- 方言話者さん
- (2013/12/23 15:21)
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「着ることができる」の方言地図を見ると過去の分布がよく分かりますよ。
http://www2.ninjal.ac.jp/hogen/dp/gaj-pdf/gaj-pdf_index.html
http://www2.ninjal.ac.jp/hogen/dp/gaj-pdf/gaj-map-legend/vol4/GAJ4-176.pdf
Re:ご参考に
- あとーす
- (2013/12/23 21:49)
資料へのリンク助かります! 方言という観点から、またら抜き言葉について考えていこうと思います。いつかその方向で記事を書いてみたいと思いますので、そのときはまたご意見よろしくお願いいたします。