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吉田修一『横道世之介』を読んで

横道世之介 (文春文庫)



横道世之介の青春はキラキラ輝いて見えた、というのが僕の率直な感想である。友達もそれなりにいて、恋して、彼女もできて。結構充実している部類なのではないかと思う。

だいたい、なんで小説において大学の登場人物は入学してすぐに友達ができるのだろうか。僕にコミュニケーション能力が欠けているのか、世之介みたいなのが普通なのか。まあ、どっちかはわからないけれど、少なくとも輝いて見えたことは事実である。

大学一年生の頃、僕はこのような生活を送ることができていただろうか? 世之介はバイトを頑張っているけれど、そういえば僕はろくにバイトなんてしていなかった。友好関係についてはどうか、恋愛についてはどうか、等々いろんなことを世之介と比べてみる。

しかし、よくよく考えてみれば、僕も世之介と対して変わらないような大学生活を送ってきたのかもしれない。そりゃあ、友人が妊娠して大学を中退するなんて大事件はなかったけれど、それでも、それなりに楽しい生活を送ってきた。他人の生活というものは、羨ましく感じてしまうものなのだろうか。


さて、少し構成面に言及しておきたいと思う。
個人的に思うのが、世之介意外の登場人物にほとんど必然性が感じられないということだ。というか、忘れ去られているような気がする。お隣さんは最初に出てくるとあとはほとんど出てこないし、阿久津結もあまり出てこなくなってしまっている。その割に、祥子は最後の方でうんざりするくらい出てくる。祥子は、ヒロインという位置づけになっているのだろうか? だとすると、描き方がちっともヒロインらしくはないなあと思う。

ただ、それはこの物語が世之介の物語であるのだということを強調しているような気がする。世之介にとって、やっぱり他の人の人生などというのは関係のないことなのだ。どんなんに親しく喋っていても、お隣さんであること以外に接点はないし、冷房を借りる以外に用事がない友達がいたっていい。

もう一つ構成面でいいなと思ったのが、登場人物たちの未来が描かれていることだ。これが物語に心悲しさをプラスしている。大人になってしまった登場人物たちはどこか疲れてしまっている。それは、文章に漂う雰囲気からもわかるし、彼らの言動からもわかる。達観して、疲弊している。これと対比することで、青春の輝きが強調される。


吉田修一は『パーク・ライフ』で芥川賞を取っておきながら、こういうライトな作品も書ける凄い作家だと思います。『パーク・ライフ』は以前読んだことがあるのですが、あまり覚えていないので、今度また読んでみようかと思います。


横道世之介 (文春文庫)
吉田 修一
文藝春秋 (2012-11-09)
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