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三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』を読んで。合理的不合理とか。

まほろ駅前多田便利軒 (文春文庫)



『まほろ駅前多田便利軒』を読んでみて「ミステリ要素のない探偵物」という表現が脳裏をかすめたのだけれど、僕はあまりうまい探偵物を読んだことが無いので、この表現が妥当かどうか分からない。

さて、この作品は『船を編む』で一躍人気作家となった三浦しをん氏のシリーズ小説第一作である。東京にあるという架空の街「まほろ市」に便利屋を構える多田とそこに転がり込んできた行天が織り成す痛快コメディとでもいうことになるだろうか。

連作短編形式に近いものがあり、事件ごとに物語の分断が見られる。そして、物語を重ねていくにつれて愉快な仲間たちが増えていくのだ。もちろん、仲間が増えていくことで、話はさらに面白く、おかしく、ややこしくなっていくわけだ。

登場するのがユニークな人物ばかりで面白かったことには面白かったのだが、個人的な感想を綴るとやや否定的なものになってしまう。しかし、そういうことを気にしていては感想が描けそうにないので、今回は思ったことをそのまま書きつけてみようと思う。

とはいえ、僕がこの小説を否定的に見るのには、僕にも原因があると言える。それは、星という人物の存在に端を発しているところが少なくない。ヤクザとかチンピラとかと普通の人間が仲良くしている物語が、どうもしっくりこないのである。不良も含めて。同じような理由で、僕は石田衣良氏の『池袋ウエストゲートパーク』があまり好きではない。

しかも、本作では星と多田は最初反目し合っていたはずなのに、いつの間にか仲良くなってしまっている。ここは明らかに不合理なんじゃないかなあと僕は思う。

そう、この小説は不合理と意味不明で埋め尽くされている。行天が多田のところに来たのも意味不明だし、多田が行天を連れて帰ったのも意味不明。その後も、二人やその仲間たちは意味不明で不合理な行動ばかりをとるので、読者は常にハテナを抱えながら読み進めていくことになる。

僕は伊坂幸太郎氏が好きなので彼の話になるが、彼はとても不合理を合理的に描くことのできる人物だと思っている。『砂漠』に出てくる不思議な一見不合理な気がするが、その不合理をキチンと説明しようとする。それに賛成できるかどうかは別として、一応納得できるようにはしてあるのだ。

伊坂作品におけるこの合理化は、ある程度合理的な人物である主人公の人物の存在が大きいように思う。合理的という言葉がまずければ、「プレーン」という風に言っておこう。一方、『まほろ駅前多田便利軒』と方では、多田も行天も不合理で意味不明、つまりは「変人」であるから、話がややこしくなり、合理的な精神を持った読者は説明を得られないまま、置いてけぼりを喰らうことになる。

こう書くと、僕が合理的な人間であり、普通の人間はみな合理的であるかのような印象を受けるかもしれませんが、僕もそうは思いません。ただ、人間が不合理な行動を取る場合、その裏には理由は大きかれ小さかれ、ある合理的な理由が含まれていると思うのです。本人の中では、合理的不合理なのです。その合理的不合理が描き出されず、不合理だけが残されていることに僕は気持ち悪さを感じていました。

などと色々言いましたが、ストーリーとしては面白く、さすがだなと舌を巻いた次第です。恋愛や結婚、性に対する倫理的な問いも含まれており、この辺は僕の大好物なので考えるところがあって面白かったです。ただ、倫理的な問いに煩悶するときだけさっきまで不合理的だった人物が合理的になってしまう感があったので、問いがぶれてしまって残念だったなあという風に思います。

続編があるということで、そちらも読んでみようと思います。それから、『船を編む』も……。


まほろ駅前多田便利軒 (文春文庫)
三浦 しをん
文藝春秋
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