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スティーブンソン『ジーキル博士とハイド氏』(田中西次郎訳)を読んで

ジーキル博士とハイド氏 (新潮文庫)



スティーブンソン『ジーキル博士とハイド氏』は原題では"The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde"となっており、直訳すると邦題は『ジキル博士とハイド氏の奇妙な物語』となっている。
外国の作品(映画なんかも含めて)のタイトルが邦訳されるときに変わってしまうのはよくある現象ですが、この作品のタイトル変更には一体どういう意図があるのでしょうか? 少し気になるところですね。

さて、この『ジーキル博士とハイド氏』読んだことはなくとも、あらすじと悲惨な結末を知っている方は多いのではないでしょうか? 実は僕も小学生のときに既に本の存在は知っていて、その後、この話の結末を知ることになりました。と言って、今回が初読だったんですけどね。

薄い本だったのですが、読むのに結構骨が折れました。やはり、僕は翻訳作品を読むのは苦手なようです。しかし、今回は訳がうまかったのかストーリーが面白かったのか、骨が折れたとはいっても楽しんで読むことができました。

悪の人格であるハイド氏と、善悪混合の人格であるジーキル氏の物語。ハイド氏が悪であるのに対して、ジーキル氏が混合人格であるというのが面白いところですよね。完全なる善人はいないのだという思想がここにあるような気がしてなりません。性善説か性悪説かでいえば、性悪説の方かもしれませんね。純粋な悪は抽出しうるが、純粋な善を抽出することはできない。まあ、他の人が薬を飲んでいれば、もしかしたら純粋な善を抽出することができたのかもしれませんが。


話の内容の面白さも去ることながら、このお話は構成面も面白い。既に指摘されているようですが、死せる人の意図を知るために長い手紙が導入されているというのは、漱石の『こころ』と連関するところがあります。そういえば漱石は『行人』の中でも手紙を有効に使っております。

いわゆる「心理小説」とでも呼ばれるものは「手紙」というものが大きなキーワードになりうるのかもしれません。
はてさて、手紙の効力とは何か。まず、既に死んでしまった人物に物語をさせることができる。さらに、三人称小説も手紙形式の中では、それを読み上げていく上で一人称小説になる。別の角度から見てみれば、他にも効果があるかもしれません。


善とは何か、悪とは何か。そういうことについて考えさせる内容になっています。
まだ読んだことのない方は、この機会に是非!


ジーキル博士とハイド氏 (新潮文庫)
スティーヴンソン
新潮社
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