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イヨネスコの戯曲「禿の女歌手」を読んだ

演劇部の部室に別役実氏の戯曲がたくさんあるため、不条理演劇というものに少なからず興味を抱いていた。彼の著作である「さらだ殺人事件」を一度演じた関係もあり、それでいくともう少し興味を持ってもよかったはずなのだが、どうもその手の戯曲の積極的な読者になりえなかったし、進んで上演しようと言う気にはなれなかった。それは、不条理演劇というものの可能性を僕が見つけることができなかったからである。

先日、雨傘屋で天野天街氏が演出をつけた「禿の女歌手」を観劇した。天才だと思った。そして今また戯曲を読み返して、天街氏は天才だという気持ちをより一層強くした。

僕はきっと、この戯曲だけを読んでもつまらないと思っただろう。もちろん、認めるべきところはある。論理や因果についての懐疑という点で、不条理演劇の言わんとするところ(そういうものを排しているのかもしれないが)がなんとなく分かったような気がするからだ。

しかし、この戯曲が面白いかと訊かれれば、そうではない。それは、戯曲の宿命であるのかもしれない。演出がなければ、役者がいなければ面白いもの足りえないのかもしれない。特に、不条理演劇の場合はそうであろう。実篤の戯曲は、むしろ上演しない方が良いと思うけれど。そうえいば、戯曲だけを読んだことがあまりない。勉強せねばならない。

特に演出の力は偉大であると僕は感じた。同時に、演出の権限というものは一体どこまであるのだろうかと感じた。戯曲と読み比べてみると、話の大筋は一致しているが言葉自体はかなり書き換えられていることがわかる。僕が読んだ訳者とは違う訳というレベルではなく、もっと大幅に書き換えられている。作者の尊重というものは、果たしてどこまでなされるべきか。

まあ、面白いものを届けるという観点からいけば、面白くないものを尊重したってどうしようもないわけだけど。また、今回は言葉尻をとって心地よいリズムを奏でるという目的があった以上、書き換えるのは大成功に終わったといって良いでだろう。いや、本当に天才だと思った

僕も演出経験が一度だけあるのですが、あれは難しい。今回のを見て、もっと精進せねばと思った次第です。もっと、積極的に面白くしていかなければならない。脚本と演出は別であって然るべきなのですね。別にやる人が違う必要はないけれど、ある程度違う脳みそでやらないといけない。


演劇って難しいなと再確認。それはまあ、創作全般に言えることなんだけどもね。
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