2014/03/07 Category : 雑学 キリスト教にも仏教にも「地獄」があるけど、それってどういうこと? 不思議なことに、キリスト教にも仏教にも「地獄」という場所が存在しますよね。しかしながら、「天国」という概念は仏教にはなく、「極楽浄土」や「涅槃」というのは、キリスト教にはありません。どうして「地獄」だけが共通しており、同じ言葉を用いるのでしょうか?今回は言葉の由来から、死後の世界の比較を進めてみたいと思います。◆『聖書』の中の「地獄」キリスト教における地獄観というのは、主として『聖書』の記述に基づいています。ではその『聖書』ではどのように描かれているのでしょうか。『聖書』中ではハデス(ギリシャ語:αδης)とゲヘナ(γαιεννα)という二つが地獄に準ずる場所として書かれています。日本語の新共同訳聖書ではハデスを陰府、ゲヘナを地獄と訳していますが、この二つにどう違いがあるのか、というのは各宗派によって異なります。完全に同一視している宗派もあるのだとか。さて、そのハデスとゲヘナですが。個人的には、『聖書』中では少し性質が違うように感じました。★ハデスハデスという言葉は、ヘブライ語「שאול(シェオル)」の訳です。この「שאול」は初めて聖書中に登場するのは創世記37:35のこと。死んだ息子のいるハデスへ私も下っていこう、という父の嘆きが描かれています。しかしこのハデス、「死者の行く場所」と言い切ってしまうことは難しそうです。なぜなら民数記16:32-33に「生きたまま人々がハデスに落ちていく」というショッキングなシーンが書かれているのです。うーん、寿命でなくても落ちる可能性のあるハデス、なかなか怖い所ですね。しかしこのハデスには「神の救い」が存在しています。有名な詩編の中にも神はハデスから魂を救い出して下さる、と書かれている箇所がありその「救い」を期待することはできそうです。★ゲヘナ一方、ゲヘナが最初に出てくるのはヨシュア記のこと。ここでは「ヒンノムの谷」という具体的な地名を意味する「גי-הינום」というヘブライ語が使われており、この音訳が「ゲヘナ=γαιεννα」であると考えられます。転じて、イエス・キリストの誕生後に書かれたいわゆる『新約聖書』の中では、「罪のある人間が死後に落ちるところ」として扱われています。これは仏教の中での「地獄」とも共通しますよね。そしてこちらのゲヘナは落ちたが最後、天国に行くことはできないのだと考えられます。つまり。ハデスは「死者も生者も行く可能性があり」「神の救いがあるところ」で、ゲヘナは「死者のみが行く」「落ちたら最後」の場所なのです。◆仏教における地獄さてさて、仏教での地獄とは何か見ていきましょう。奈落という言葉を知っている人は多いのではないでしょうか。舞台の床下のことであり、この奈落に落ちて大怪我を負う役者もいます。その奈落は元々サンクスリット語のनरक(Naraka)から来ており、日本においてそのまま音訳されたのだと考えられます。そして奈落は後に「地獄」と書かれるようになり、例えば源信の『往生要集』の中では地獄の様相が事細かに描かれています。一口に地獄と言っても、その種類は様々。最も重い罪を犯した者は「八大地獄」と呼ばれる地獄に行きます。有名な「熱湯の釜の中に入れられる」という場所もこの中にあり、その様子はもう壮絶です。日本においては12世紀に描かれた『地獄草子』等によって地獄という概念がビジュアル化され、広く人々の間に知れ渡りました。今でも美術館のHPなどで綺麗な写真を閲覧できるため、興味がある方はぜひ見られて下さい。仏教における地獄で特徴的なのは、「永遠にいる場所なのではなく、いつかは転生する」という点です。仏教には六道輪廻といって、迷いある心は六道(六つの世界と考えて良いでしょう)を何度も巡るのだ、という考えがあります。地獄はその六道の中の一つ、地獄道を指すのです。しかしいつかは輪廻転生によってまた別の世界へ行きます。これがキリスト教との大きな違いですね。◆まとめ2つの「地獄」を見てきましたが、いかがでしたか?キリスト教の地獄は「ゲヘナ」を、仏教の地獄は「奈落」を指す言葉なのです。違う宗教の違う概念を同じ単語にしてしまうというのは面白い現象ですね。皆さんの意見や発見も募集しています! PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword