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風刺という実用的かつ娯楽的なもの 星新一『午後の恐竜』を読んで

星新一を読む、というのは何年ぶりのことでしょう。
恐らく、中学時代に読んだのが最後だと思います。偉人の伝記に飽き飽きしていた僕が初めて触れた小説作家が彼だということができます。

しかし、久々に読んでもこの作家は実に面白いですね。何作品か、読んでいるうちに思い出す作品がありました。それはオチが途中でわかってしまうのですが、それでも面白く読み通せるのは彼の力量があまりにも大きいからです。

さて、星新一ファンはそのSF的世界感とブラックユーモアにひきつけられてこの作品を読んでいるのだと覆います(少なくとも、僕はそうです)。
その面だけを見れば、星新一はエンタメ作家ということになります。しかし、彼の魅力はそれだけではないのです。彼の作品には、総てにとは言いませんが、意味がある。
それは、彼が社会に対する鋭い洞察力を持っているから可能なことでしょう。彼の魅力は、まさに社会を「風刺」するところにあると考えられるわけです。

風刺、という文化がどこで生まれたかなんてことを僕は知りません(ごめんなさい、調べるのが面倒になってきまして)。けれども、日本において明治の小説には風刺画が載っていましたし、外国でもそれなりに「風刺」という行為は市民権を得ていたということができます。

「風刺」という行為はどうして人口に膾炙するに至ったのでしょうか。
恐らく、だれかを見下したい、という人間の欲求が根底にあるのだと思います。どのような高尚な次元の話でも、わかりやすい次元に墜落させられる、それが風刺というものの魔力だと思うわけです。

星新一はこの風刺の名手です。
例えばこの短編集の表題作である「午後の恐竜」でも、核爆弾を作り出した人間の風刺になっていると言えます。
もっといえば、「エデン改造計画」なんてまさに風刺です。人間の創り出した文明の中では、何かまわりくどいことをしなければ享楽を得ることができない。それを冷静に、客観的に描写することができたのは、星新一をおいてほかにいないでしょう。

「契約時代」も僕は大好きなお話です。よかれと思っていることが、実は悪い方向に進んでいたりすることはよくあることです。また、人は財力と権力には目がないのだということも気づかされます。みんな欲のない人間だったら、経済学者なんていらんのです(といって、僕が無政府主義者や共産主義者なんてことはないんですけどね)。

風刺はエンターテインメントであると同時に、僕らに大事なことを教えてくれています。
星新一の文章はわかりやすく、小学生の高学年ならば、その意味を解釈することができるでしょう。
僕の知的営みは、星新一によって開始されたといっても過言ではないかもしれません。今後も、日本の子供たちに星新一を読み継いでほしいなあと思います。
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